ちょうど当時は、民主党前政権を蹴散らして安倍政権が登場し自信満々で船出して一年目、国民の期待を裏切ったイメージを与えられた民主党に対する国民の深い失望への反動も加わって、高い支持率に支えられてて順風満帆の状況だった。

 とりわけ今井尚哉政務秘書官は、第一次安倍政権で初めて秘書官に任命され、安倍首相とともに政権崩壊とその後の野党への下野の悔しさを共有し、それをバネに雌伏してきた固い結束で結ばれている。

 安倍首相からの全幅の信頼を権力の源泉にして、今井氏は、さぞかし万能感に酔いしれていたことだろう。汚染水問題でも小泉元首相が提起した核のごみ問題でも、その万能感に背中を押されて問題を軽視し、「国が前面に出る」と安倍首相に発言させたのではないか。

 ともあれ、「国が前面に出る」と発言した安倍首相もそのシナリオを書いたと思われる今井氏も、今や自分の責任などどこ吹く風の風情である。こうしたトップが「ケツを拭かない」無責任さも、「国が前面に出る」と失敗する一因を構成している。
福島第1原発の除染で出た汚染土を保管する中間貯蔵予定地を視察する安倍首相(左端)=2015年3月、福島県の双葉町役場
福島第1原発の除染で出た汚染土を保管する中間貯蔵予定地を視察する安倍首相(左端)=2015年3月、福島県の双葉町役場
 また、「国が前面に出て失敗する構図」とは別に、旧動燃にしてもNUMOにしても経産省の「科学的特性マップ」にしても、いずれも本質的に失敗は約束されている。
 なぜか。

 第1に、進める側が信頼されていないことだ。多くの国民は「国」や電力会社を信頼していない。3・11後はなおさらだ。信頼されていない人たちが進める場や手続きで、合意どころか対話すらまともにできるはずがない。

 第2に、「同床異夢」どころか「異床異夢」とも言うべき、価値観や問題の見え方があまりにかけ離れている。原発容認派の専門家や官僚は、核廃棄物は安全に処分が可能だと考え、「どこに捨てるか」だけが課題だと考えている。これは、旧動燃もNUMOも今の経産省アプローチでも一貫している。

 他方、原発に批判的な専門家も小泉元首相も一般の人々も、問題をもっと幅広く捉えている。10万年もの安全性が果たして可能なのか、自分たちの世代が10万年先を決めてよいのか、哲学も含めて総動員して考え抜くことが必要と考えるのだ。

 小泉元首相が提起した「10万年も管理が必要な核のごみ」という深遠な問いに対して「前面に出た国」の方は言葉遊びに陥っている対照的な状況に、この差異が見事に現れている。

 第3に、対話のテーブルに着く前提条件が整っていないことだ。一方で原発再稼働を強行に推し進めて核のごみを生み出しながら、他方で「核のごみには皆さんにも責任の一端があります」と言いながら合意を迫るという国や事業者のアプローチは、「暴力を振るいながら俺のカネで飯を食わせてやっている」と迫るドメスティック・バイオレンス(DV)の構図と変わらない。