ここまで書くと「じゃあ何か代案はあるのか」という声が聞こえてきそうだ。代案は、もちろんある。

 第1に「問題の本質」を見極めることだ。核のごみ問題は、極めて難しい問題であり、一朝一夕の解はない。万能感に酔いしれた官僚がヤンキーのノリで解決できるものでは到底ない。技術的問題以上に、政治社会的な問題であることを共通の理解として、丁寧にコンセンサスを積み上げることが必要なのだ。

 第2に、対話のテーブルに着く前提条件が整えることだ。真っ先に必要なことは、原発再稼働の圧力を止め「原発モラトリアム」(合意までは全原発の停止)をすることだ。こう書くと原発容認派から「原発を止めるために言っているだけだろう」との批判が飛んでくるだろうが、決して「為にする議論」ではない。

 真に核のごみ問題の「出口」に糸口を付けるなら、絶対に必要な条件だと返したい。それがなければ、DVと同じ構図だと、理由は述べたとおりだ。「原発モラトリアム」による電力会社の損失は国が補塡(ほてん)すればよい。交付国債で負担するなど、いくらでも方法はある。

 第3に、日本学術会議の提言に戻ることだ 。核のごみ(=使用済み核燃料)の総量規制と暫定保管を基本的な枠組みとして、社会全体の広範な合意を紡ぎ上げることが必要だろう。なお、日本学術会議はさまざまな議論の末に「総量管理」としているが、これでは抜け穴が透けて見えている。ここは厳密に「総量規制」でなければならない。

 また、暫定保管とは鋼鉄製の乾式キャスクによる数十年から数百年もの「暫定」保管を意味する。福島第一原発事故時に4号機のプールが危機的であったように、現状の水プール保管方式はコストがかさむ上に、停電時など異常時のリスクが大きい。それに対して乾式キャスクは自然空冷であり、圧倒的にリスクが小さく、長期から超長期の保管に適している。

 それを活用した長期〜超長期の「暫定」保管の間に、最終的な「処分」に関して、社会的な合意形成への熟議を図るという意味がある。なお、当然ながら「どこに暫定保管するのだ」という疑問もあるだろう。原則は核のごみを動かすこともリスクだから、原発サイト内が基本となる。ただし、これを巡ってもさまざまな選択肢を議論し合意することも重要だ。
再稼働した関西電力高浜原発3号機(左)と4号機=福井県高浜町(本社ヘリから)
再稼働した関西電力高浜原発3号機(左)と4号機=福井県高浜町(本社ヘリから)
 第4に、コンセンサスの条件を整えることが必要だ。「原発モラトリアム」はすでに述べたが、加えて、場や進行役が信頼される主体から成ることが不可欠だ。かつて成田空港問題円卓会議で隅谷三喜男氏を委員長に宇沢弘文氏も参加されるなど、そうした誰から見ても納得できる体制を選ぶか、さもなくば、座長も事務局も原発容認・批判の同数で構成して、議論し協力しながら運営することで、中立性を維持することも考えられる。もちろん、そうした場は、オープンで透明な運営を必須とし、幅広い主体の参加を通して丁寧な合意の積み上げを目指すことだ。

 要は、核のごみは本当にやっかいな問題だ。すでに純国産でクリーンで無限かつ無尽蔵な風力発電や太陽光発電など再生可能エネルギーが、急速にエネルギーの主力になりつつある中で、こんなやっかいな核のごみを生み出す原発に、これ以上、固執する必要はない。

 ただし、すでに生み出した核のごみや合意次第ではもう少し生み出してしまう核のごみについては、私たちの世代で責任を取る必要がある。もちろん、時間的に責任は取り切れないが、出口が見える可能性のある最善の方向性を整えておくことがせめてもの責任の取り方なのではないか。

 「暫定」とはいえ場合によっては数百年もの長い間の「保管」、さらには10万年もの長い間の管理を必要とする「処分」と、私たち日本人は、何らかのかたちで核のごみを抱え続けなければならない。これは、福島の地が背負った傷跡ともに、原発に手を染めた日本人が背負い続けていかねばならない「業火」なのである。