高校野球の根本原則を担う日本学生野球憲章には、「野球が人間形成の手段であり、友情、連帯、フェアプレーを理念とする」と書かれている。五輪憲章がIOCの使命としている「スポーツを通じた青少年教育奨励とフェアプレー精神の確立」と相通じるものだ。

 しかし、五輪でうたうアスリートである球児たちは、高校生であり、教育を受ける者として扱われる。球児は高野連の思いにかなった行動規範に収まる限りで大事にされる。礼儀、全力疾走での守備からベンチへの帰還、諦めないプレーがそれだ。

 話は若干それるが、わが子の小学校運動会に行くたび疑問に思うことがあった。五輪に長く携わってきた人間にとって、とても違和感のある光景があった。それは表彰式である。金メダルがないとか、立派な表彰台がないことではない。栄誉を受けるべき児童たちが、校長先生から賞状を受け取るときの形である。校長は高台に立ち、グラウンドレベルにいる児童に賞状を渡すのである。

 五輪では表彰台が用意され、その上に上るのはアスリートである。そして、どんな偉いIOC委員でも国際競技連盟(IF)役員でも、もちろんIOC会長でも、IF会長でも下から上の選手にメダルを掛けるのである。アスリートは主催者の上にある。それがスポーツへの信仰であり、敬意なのだ。甲子園の閉会式で優勝旗を渡される優勝校のキャプテンが表彰台に立つことはない。あくまでもグラウンドレベルである。
第99回全国高校野球選手権大会の開会式で、優勝旗を返還する作新学院の添田真聖主将=8月8日、甲子園球場
第99回全国高校野球選手権大会の開会式で、優勝旗を返還する作新学院の添田真聖主将=8月8日、甲子園球場
 もし、高校野球で主役である選手たちを第一に考えるのであれば、すべての運営方式を変革する必要があるのではないか。まず主催者はベストパフォーマンスを出せる環境づくりに集中すべきだろう。もう100年以上も続いてきた伝統ではあるが、高校野球の新たなスタジアムを考案してもいい。そこがこれから100年の聖地になるようなスタジアムを考えてもいいのではないか。「真夏の風物詩」を無くす必要はない。選手としての球児がその能力を発揮できる環境を作るということである。