「やっぱり、知事が辞めるというのは、独特なんです。涙を流す女性職員もいました」。東京都の猪瀬直樹前知事が都議会の同意を経て正式に辞職した平成25年12月24日の夕方。クリスマスイブに浮足立ちはじめるころ、ある都幹部から、そんな話を聞いた。確かに、この日、都庁内の空気は複雑だった。悲しむ、惜しむ、あるいは喜ぶ、安堵する…。そんな思いが庁舎の中に、入り交じっていた。ただ、幹部であれ、一般職員であれ、最大公約数的に胸の内にあった思いは、「この1年、いったい何だったのか」-。それは、間違いなかった。元国会議員や元首長、ジャーナリストら、さまざまな名前がポスト猪瀬に挙がる今、改めて、“空白時代”とも評される猪瀬さんが都政に携わった日々を振り返ってみる。

 平成23年3月11日。東日本大震災が発生した日、前知事の石原慎太郎氏が4選出馬を表明した。そして、現職として震災対応の流れのまま、当選。都庁記者クラブに籍を置くことになったのは、その直後だった。当時、副知事だった猪瀬さんに会ったとき、副知事の名刺と、ある博物館の名称が入った名刺、その2枚をもらった。「メルマガ読んでるか」「読んでますよ」。そんな、やり取りとともに。

 副知事時代の猪瀬氏さんには、勢いがあった。東京電力の幹部を副知事室に呼んで詰問し、ソフトバンクの孫正義さんと談笑して地下鉄内の携帯電話の通信を可能にする方策を語らう。そして、その場には猪瀬さんから声をかけられたメディアが集まった。

 「パフォーマンス」と揶揄されることもあった。東京電力の経営体質を追及するため、都内にある東電保有施設をまわって写真とともにデータを集めさせ、都施設の24時間の電力使用状況を調べ上げさせた。東京電力の株主総会にも乗り込み、都を代表して主張を展開した。東電改革は一定の成果を上げたが、それは「東京都」ではなく、「猪瀬直樹」の政策となり、いつの間にか手柄にすりかわっていく。スタンドプレーにもみえる姿勢は、都職員や都議の中に、疑問と不満を生じさせていった。

 「ファクト(事実)とエビデンス(証拠)」という言葉をさかんに耳にしたのもこのころだった。東電追及の流れは、結果として東京電力病院売却という“果実”を生んだが、皮肉にもそれは、5000万円受領問題をめぐる疑惑の“種子”ともなった。都議会で二転三転する説明には、「ファクトとエビデンスはどこにいった」とヤジが飛んだ。

 平成24年4月、米ワシントンでの講演で、石原氏が尖閣諸島購入構想を突如として表明した。都庁にいた猪瀬さんは取材に対し、「購入基金として寄付を募る」と口にした。思いつきのような発言に、都職員はスキーム作りと理屈づけに追われた。それでも、寄付金は着々と集まり、総額14億8520万1967円に達した。都は基金化し、政権が島の有効活用策などを打ち出した際に譲渡する考えだが、その道筋はまだみえてこない。

 「政治家として、アマチュアだった」。猪瀬さんは、辞職会見でそんな言葉を口にした。433万票、いや、猪瀬さんに言わせれば切り上げての「434万票」だが、有権者からそれだけの付託を受けた知事が、今回の一件をこう総括してしまうことに、違和感を通り越し、猪瀬さんを取材してきた立場としては寂しさすら感じる。しかし、プロフェッショナルな作家として、紡ぎ出す言葉にはいつも、感銘を受けた。

 猪瀬さんには何度か、インタビューしたり、原稿を依頼したりしたことがあった。印象的なのは、震災後、電力改革に取り組んでいたころに申し込んだインタビューと、尖閣諸島の寄付金についての寄稿だ。

 「『戦後社会』は戦争を想定外にして生き残るかどうかの発想を持たなくてよかった。3・11以降は歴史区分として『災後社会』と位置づけ、生き残るための思想とは何かと考える必要がある。目の前にあるリスクを考えずに生きてきたのが戦後社会。災後社会は個人でリスクについて考え、意識面でも資金面でもリスクへのコストを払うという思想を持つことが大事だ」(平成23年12月30日付産経新聞東京版)

 「平成23年の3月11日に東日本大震災が起き、その後も水害や台風被害が相次いだ。この国の文化は災害に遭いながらも育まれ、無常観という思想や春夏秋冬の季節感になって表れ、情緒的な語彙表現も他の文化に比べると深い」

 「実り豊かで、四方を海に囲まれ、海洋資源も豊富。しかし、その豊かさは逆に災害の源でもあった。脅威は忘れられていたが、震災によって目を覚まされた。日本列島の記憶が、自分のなかにある記憶と重なってくるということが起きている。北海道から沖縄まで、気候風土は違うが、同じ国土、ひとつの文化だという認識が、尖閣諸島にも感じられるようになってきた」

 「それは、東京都が尖閣諸島購入と活用のために募った寄付の集まり方にも表れた。ひたひたと寄せる波のように集まってくる。たとえば韓国の大統領が竹島に上陸したり、日本の国旗をちぎったりするような、どこかファナティック(狂信的)なものではなく、静かな情熱を感じた。寄付は都への支持率でもある」(平成24年9月13日付産経新聞第2社会面)

 震災後の社会を「災後社会」と位置づけ「戦後社会」と比較する、尖閣諸島の購入と利活用で集まった寄付金を「ひたひたと寄せる波」とたとえる…。作家としての揺るぎない歴史観と時間軸、そして、15億円近くに達した寄付金の集まるさまの比喩。知事として説明に追われた5000万円受領問題では見る影もなかった「言葉の力」。評価はどうあれ、猪瀬さんがそれを内包していることは、おそらく今も、変わってはいまい。

都知事選434万票の「おごり」


 辞職が正式に決まった日。NHKの金城正明記者は、ニュース内の解説で、「副知事時代にあった自信が知事選で大勝し、おごりに変わった」と、猪瀬さんが会見で発した「おごりがあった」という言葉を引きながら、その変貌を指摘した。猪瀬さんの人柄自体が変わったわけではなかろうが、おごりが表出するきっかけを都知事選に見いだす向きは少なくないはずだ。

 平成24年12月16日の都知事選挙。電撃的な辞職を発表した石原氏から、「猪瀬さんで十分」と後継指名を受けた。猪瀬さんの立候補は誰もが信じて疑わなかった。そして、それがおそらく当選であることも。

 それでも猪瀬さんは、告示日ぎりぎりまで、沈黙を守った。「都政に空白はつくらない」。表向きはこう発言し、知事不在の中、職務代理者として都政にあたるポーズをとった。それがすべてではなかったことは、こんなエピソードからも自明だろう。

 「『選挙で圧勝して、次の都議選で候補者の応援に差をつけてやる』。都知事選への出馬表明をまだ先に控えた昨年の晩秋。副知事を務めていた猪瀬氏は、都庁舎のエレベーター内で無煙たばこをもてあそびながら、そうつぶやいた。その言葉は都議会への当てつけにも聞こえた」

 (平成25年12月20日付産経新聞3面【都知事の肖像 猪瀬氏辞職】)

 副知事や局長を押しのけてまで、視察やイベントに赴く姿を、都職員ですら訝(いぶか)しんだ。それでも、メディアは都知事選最有力候補の一挙手一投足を追いかける。結果として、露出は高まり、有権者は未来の都知事と現在の副知事を重ね合わせることになったはずだ。そして、そんな“錯覚”が、430万票につながったと言えるだろう。

 「いーのーせー、とーちーじー」。昨年冬の選挙戦では、そんな節回しで、猪瀬さんの陣営は繁華街を練り歩いた。猪瀬さんがスタッフに命じたかけ声だった。Jリーグ元チェアマンの川淵三郎氏が選挙対策本部長を務め、選挙事務所には、小泉純一郎元首相らが訪れた。元ミス・ インターナショナルのグランプリ、ピアニスト、評論家…。多種多彩な顔ぶれが、その応援に入った。ただ、その戦いを裏側で支えたのは石原氏の人脈だった。「ほとんどが、こちらでそろえた」。選挙戦のさなか、東京ミッドタウン前の雑踏で、石原氏に近い人物はこう明かした。

 「平成25年12月16日(日)20時01分、NHKで当確が出ました」

 都知事選投開票日の開票開始直後、猪瀬さんはツイッターにこう書き込んだ。結果は国内選挙史上最多の433万8936票の圧勝だった。

そして、この票数を背景にした「おごり」が顔を出し始める。

 「ギネスに登録してくださいよ」「434万票の民意の重みで(都知事の)椅子も大変だろう」「石原さんの得票も超えた」

 都議会各会派や安倍晋三首相へのあいさつ回りで、そんな言葉が口をついた。安倍首相は「謙虚に言った方がいい」と応じた。翌年に都議選を控えていた都議会各会派からは、表だった批判は起こらなかった。とりわけ当時の会派3役がそろって猪瀬さんの選挙事務所に詣でた民主も、こうした発言には特段言及はしなかった。それでも都議らの胸中には、炎を隠した炭火のような怒りがいきづいた。猪瀬さんの辞任のきっかけになった今年12月の都議会では、自民と公明が代表質問や一般質問で知事答弁を一切求めず、民主もこれを追いかけるように同調したが、こうした異常事態を招く萌芽は猪瀬さんが当選したころ、すでにあったといっていい。

「知事にとって政策はおもちゃ」


 都知事になってからの猪瀬さんが、すぐに指示したのは、都庁各局にツイッターのアカウントを取得することだった。試行錯誤の中、各局はこれに取り組んだ。行事によっては、報道陣よりも局の職員の方が熱心に撮影する光景もしばしば。ただ、情報発信力強化の一方で、それに耐えうる政策が猪瀬都政の中で生まれたのかどうか。1年という短期に終わったとはいえ、それを見いだすことは容易ではない。
 「猪瀬知事にとって、政策はおもちゃのようなものだったのではないか」「細かなものはあった。しかし、首都東京をどういう都市にしていくのかという大方針、ビジョンは結局示されなかった」。こう話す都幹部や職員は少なくない。実際、東電改革や地下鉄一元化のように、副知事時代から取り組んできた案件はともかく、それ以外に何があったかと問われると、どうにも思い出せない。
 東電改革では、東電のムダを暴き、社外取締役を送り込んだ。中部電力からの域外供給を受けたり、新電力(特定規模電気事業者、PPS)からの購入を拡大するなどの取り組みもあった。地下鉄一元化では、九段下駅の壁を破って乗り換えを容易にしたり、乗換駅を追加指定することで運賃体系を見直したりといった試みも行った。地下鉄内で携帯電話の通信を可能にしたことは、ネット上でも評価が高い。

 東京から国を変えるという意味では、東電改革は重要な施策だろう。それでも、明確な都政上の政策かどうかには疑問も残る。地下鉄一元化も、「バカの壁」を破るという蟻の一穴をもって経営統合に至ったかどうか、国や東京メトロ側の姿勢からすると、かなり難しい状況だった。

 猪瀬さんのもと、都庁内にはさまざまなプロジェクトチーム(PT)ができた。「東京天然ガス発電所PT」「天然ガス発電所リプレースPT」「時間市場開発PT」「TOKYO就活スタイルPT」…。しかし、東京湾岸に100万キロワット級の発電所を設置するとした東京天然ガス発電所PTは検討の結果、設置そのものを断念し、リプレースPTに引き継いだ。標準時を2時間前倒しするという猪瀬さんらしい発想を生かそうとした時間市場開発PTは、実際のところ、都施設の開館・営業時間を延長する程度の成果にとどまっており、「わざわざPTを設置してやるほどのことか」という声が職員から上がる。猪瀬さんの肝いりでスタートしたTOKYO就活スタイルPTは12月18日に提言を出したが、5000万円受領問題の対応に追われる猪瀬さんは提言の受け取り式に欠席。副知事が代理で受け取るという、どうにも締まらない結果となった。

 都営バスも一部区間で終夜運行の試行を始めたが、旗振り役が退場してしまった上、そもそも都議会内部では異論もあり、タクシー業界などの民業圧迫という指摘もある。1年間は続けて需要を見極めるが、その先は中ぶらりんの状態だ。猪瀬カラーを打ち出そうとした今後10年間の長期計画を今月20日に公表する予定だったが、いったん延期したものの、結局見送られた。

 五輪の準備をめぐっては、メーン会場となる新国立競技場の建て替え問題で、下村博文文科相が「500億円は出すと都議会から内々に了解をもらっている」と明らかにした。発言は昨年12月24日。猪瀬さんが辞職したまさにその日のことだった。知事の職務代理を務める安藤立美副知事は同25日、「白紙。これからだと思っている。500億円ということを前提に話しているわけではない」と述べた。ただ、すでに知事不在の中、五輪が国主導で進んでいくのではないかという危機感が都庁内にはある。

 「いろいろな政策の種をまき、その芽は育ってきたと思う」

 平成19年に副知事に就任してからこれまで、「発想力には驚かされる」という声も高かった。それでも、知事として取り組んだ政策で、どれが芽吹き、育っているのだろうか。猪瀬さんは昨年12月25日の深夜、ツイッターにこう書き込んだ。

 「昨日12月24日、辞職を申し出、都議会本会議でご同意をいただいたところです。ご迷惑をおかけした都民、国民の皆様にはたいへん申し訳なく思っています。しばらくは、自ら深く反省し、静かに振り返る時間を持ちたいと思います」

 静かに振り返り、東京地検の捜査を経た後、改めて、都知事としての1年間を直接聞いてみたいと思う。