影山貴彦(同志社女子大学情報メディア学科教授)

 私が放送業界を強く志すきっかけとなった方が3人いる。

 おひとりは筑紫哲也さん。新聞と放送を近づけた大きな功労者だろう。彼ほど華のあるジャーナリストにいまだ出会ったことがない。偉ぶったところがなく、文化・エンターテインメントに造詣が深くいらしたのも大好きなポイントだった。
テレビ復帰会見を行った久米宏=2005年2月1日、東京(高橋朋彦撮影)
テレビ復帰会見を行った久米宏氏=2005年2月1日、東京(高橋朋彦撮影)
 もうおひとりが久米宏さん。久米さんに関しては『ニュースステーション』のキャスター(ご本人は「ニュースの司会者」と表現されていたが…)時代もさることながら、『ぴったしカン・カン』、『ザ・ベストテン』などエンターテインメント色も満載で、テンポ、ユーモア、知性ある司会に思いきり傾倒した。筑紫さん、久米さんと同じ大学、同じ学部、同じ学科に進みたい一心で、嫌でしかたなかった受験勉強に精を出したものだ。

 そして3人目が、今回のテーマに直結する倉本聰さんである。現在活躍するあまたの脚本家の中で最大級に好きであるだけにとどまらず、すべての放送業界人の中でもっとも尊敬していると言っても過言ではない。倉本聰の名をはっきりと認識できていない子供の頃から、彼の書いたドラマのセリフが心に突き刺さり、何度も頭の中で反芻(はんすう)していた筋金入りのファンなのだ。心に深くとどまり、長らく離れないセリフを書く脚本家、それが倉本さんだ。

 彼の手掛けたドラマや映画を真剣に見て、シナリオ本やエッセー本をむさぼるように熱中して読んできた。私にとって、存在すべてが放送業界のお手本のような方である。大学教員となった今、時折講義で『北の国から』など倉本作品を取り上げる。時代を越えて、学生たちも感じるところが大きいようだ。涙を浮かべながら画面に見入る教え子も少なくない。

 テレビ朝日系の『やすらぎの郷』が今回のお題であるが、以上のようなわけで、今回の短文は倉本さんへの憧憬(しょうけい)に終始した個所もあるかもしれない。ご海容賜れば幸いだ。

 2クール(半年間)の昼の帯ドラマとして4月にスタートした『やすらぎの郷』。1カ月を残すのみとなった。毎回毎回引き込まれている。もちろん1度も見逃したことはない。大学の教え子くらいの若者にとっては知らない場合もあろうが、かつて帯ドラマといえば、別にNHKの専売特許ではなかったのだ。

 昨年の春、惜しまれながら幕を閉じたフジテレビ系(東海テレビ制作)の昼の帯ドラマは記憶に新しいが、TBS系(TBS、MBS、CBC各局が制作)でも長らく帯ドラマを作っていたし、日本テレビ系やテレビ朝日系、そしてテレビ東京系でも帯ドラマが放送されていた時期があった。テレビ黎明期は別として、ここ数十年のテレビ放送の歴史の中で、民放の帯ドラマが全く放送されていなかったブランクの時期は、東海テレビ制作のドラマが終わってから『やすらぎの郷』がスタートするまでの1年間だけだったともいえる。