名越健郎(拓殖大学海外事情研究所教授)

 北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)用の水爆実験を実施した後、ロシアのプーチン大統領は「北朝鮮は安全を約束されたとの感触を得ない限り、草を食べてでも兵器開発を続けるだろう」と述べ、北朝鮮への制裁強化は「無益で効果がない」と一蹴した。

 確かに、北朝鮮は飢餓に見舞われ「苦難の行軍」と呼ばれた1990年代後半でも核・ミサイル開発にまい進し、国民への配慮は皆無だった。これまでに計6回の核実験を実施し、「金王朝」の悲願である「核保有国入り」を事実上達成しつつある。

 「草を食べても…」というプーチン大統領の奇妙な比喩(ひゆ)は本質を突いている。ただ、北の核・ミサイル開発をここまで進展させた旧ソ連・ロシアの責任も小さくない。戦後、核兵器の拡散に反対してきたソ連・ロシアは、自らの誤算で北朝鮮を核保有国にしてしまったところがある。
6月15日、モスクワで、報道陣に話をするプーチン大統領
6月15日、モスクワで、報道陣に話をするプーチン大統領
 北朝鮮「創業者」の金日成主席が核保有を意識したのは、朝鮮戦争中にマッカーサー連合国軍総司令官が北朝鮮への核使用を提言したことが契機だったとされる。朝鮮戦争で米軍と3年間戦い抜いた金主席は、米国の侵略阻止には核保有が必要と考え、社会主義同盟国のソ連に技術支援を求めた。

 そして北朝鮮は1956年、ソ連との間で原子力開発に関する合意を結んだ。合意に沿って、北朝鮮は核技術者を旧ソ連の研究施設に派遣。小規模の実験用原子炉が寧辺(ニョンビョン)に建設された。ソ連は原子力技術提供に際し、あくまで平和利用に限定するよう要求した。一方でソ連は、北朝鮮の技術力は低く、開発したところで核兵器製造には至らないと軽視していたという。

 北朝鮮はソ連の要請で、核拡散防止条約(NPT)に加盟する一方、秘密裏に核開発を継続し、80年代には寧辺に新たな核施設が建設された。さらに北朝鮮は1964年に初の核実験に成功した中国に対しても、技術支援を要請したが、中国は拒否したとされる。60~80年代の中ソ対立下、ソ連は北朝鮮を中国に接近させないため、一定の技術支援を提供していた。

 そもそも北朝鮮が核保有にまい進する契機になったのは、1991年のソ連邦崩壊だった。最大の後ろ盾だったソ連の解体で、北朝鮮は安全保障の切り札として核・ミサイルを保有することが不可欠と判断し、開発を強化した。94年には、これを察知したクリントン米政権が寧辺の核施設攻撃を計画し、一触即発の危機を招いたこともある。

 このころ、北朝鮮外交官は冷戦終結で失業したロシアやウクライナの核・ミサイル技術者を高い給与で一本釣りし、北朝鮮に招いた。北朝鮮のミサイルシステムは、旧ソ連のスカッドミサイルを軸にしており、旧ソ連の技術が開発に貢献した。ロシア外務省は、「ロシア国籍の技術者は現在、北朝鮮には一人もいない」としているが、筆者の得ている情報では、一部のロシア人は北朝鮮の女性と結婚し、国籍も変えているという。