昨年6月、改正医療法が成立し、今年10月には医療事故調査制度が始まる。詳細は政省令などで規定される。現在、厚労省の検討会で議論が進んでいるところである。

医療事故調査制度の設立には、様々な思惑が絡む。悪質な医師を規制するため、医療界を統制したい厚労省、医療事故を起こした医師の処分を願う患者・遺族、医療事故訴訟を新たなビジネスと考える弁護士達である。

 医療界も一枚岩ではない。モデル事業を主導してきた医学界幹部たちは、厚労省寄りの姿勢を貫いている一方、坂根みち子医師や佐藤一樹医師など、この問題に危機感を抱いた医師たちは、通称「坂根班」というグループを結成し、独自案を発表した。この案は、最終的には小田原良治医師らにより日本医療法人協会医療事故調ガイドラインへと引き継がれた。現在、厚労省内での議論では、このガイドラインがベースとなっている。

 一連の議論を通じ、医師法21条との関係、WHOガイドラインとの整合性、報告書の取り扱いなど、医療事故調についての理解が深まり、コンセンサスが形成されつつある。私は、この問題については、もっと議論が必要だと思う。拙速で稚拙な医療事故調は、我が国の医療を崩壊させかねないと考える。

 例えば、調査報告書の取り扱いだ。多くの医師が、調査報告書が遺族に開示されることには反対している。正直に語った医師が、報告書を「証拠」に刑事や民事訴訟に訴えられる可能性があるからだ。真相究明のための調査と、処分を前提にした調査は、本来、明確に区別すべきである。ただ、このような常識は、現状では世間には受け入れられていない。

 4月19日、国立国際医療研究センター病院の整形外科の後期研修医が、誤って血管注射用の造影剤を脊髄造影に用い、患者が死亡する事故が起こった。同病院は、院内に調査委員会を立ち上げ、原因究明を始めるという。この医師は、後日、書類送検され、刑事処分が検討されることになった。別途、民事責任も負うだろう。このような事件が起こった場合、国民は担当医の処分を求める。そして、メディアは、被害者の声を大きく報じる。このような状況下で、院内事故調の調査報告書を、遺族に見せずに済ますことは難しい。また、多くの国民は「調査報告書を入手した遺族は、訴訟に使おうが、刑事告発しようが勝手だ。そんな権利を制限することはできない」と考える。

 業務上過失致死事件での真相究明と処分感情。両者のバランスをどのようにとるかは、もう少し時間をかけた議論が必要だ。医療だけでなく、航空機や鉄道などの他の領域でも、議論が深まるのを待たねばならない。

 さらに、私が問題と考えるのは、厚労省が想定する医療事故調査委員会では真相究明が難しいことだ。例えば、今回の事件では、同院は臨床研修で有名だ。しかしながら、この状況は必ずしも患者のためになっていない。同院の医師は「研修医とレジデントが大勢いるのに、上級医が少ない。この病院らしい事故」という。

 さらに、厚労省の思惑も絡む。同センターは、厚労省により糖尿病研究の拠点と位置づけられている。前出の医師は「糖尿病関係の医師は全部で約30名。常勤医師12名とレジデント7人。入院の多くは食事指導で10名程度にすぎない。一方、事故を起こした整形外科の常勤医は6人。レジデントは2人。入院患者が多く、十分に指導できていたか疑わしい」という。果たして、このような背景を、どのようなスキームで議論すればいいのだろうか。本来、他の病院の運営も熟知する委員が参加する第三者機関がチェックするしかない。

 ところが、現在、議論されている第三者機関が、そのような役割を果たせるかは疑わしい。私が問題と考えているのは、第三者機関として「国が唯一の調査機関」を認定することだ。厚労省は第三者機関を「民間」の機関と唱っているが、その運営に補助金を出せば、厚労省の息のかかった委員が主導権を握る。

 もし、この第三者機関が間違えば、誰がチェックするのだろう。歴史を振り返れば、国は何度も間違ってきた。ハンセン病の隔離政策など、その象徴だ。

 また、厚労省は基本的に医師の味方だ。特に国立の医療機関への対応は常軌を逸することがある。例えば、東大病院のSIGN試験事件では、厚労省は東大病院、ノバルティスファーマと影で口裏を合わせていたことが判明している。また、昨年、国立がん研究センターで臨床研究不正が発覚した際、第三者委員会も作らず、有耶無耶にしてしまった。果たして、国立機関で医療事故が起こった場合、厚労省が認定した第三者委員会は、本当に患者のためになるのだろうか?

 私は、厚労省が主導して「最高裁型」の事故調査委員会を作ることには賛成できない。そうではなく、セカンドオピニオンのように、患者が納得の行くまで他の専門家の意見を聞けるようにするほうがいいと考える。複数の医療機関が事故の原因を調査すれば、自ずと相互チェックするようになる。これは医師にとって都合がいい。厚労省や医師への処罰感情が強い遺族が、どのような意向を持とうが、議論を積み重ねるうちに、妥当なコンセンサスが形成されていくからだ。

 私は、医療事故の死因究明の体制を整備することには賛成だ。ただ、その仕組みは、もっと議論すべきである。今国会に提出されている厚労省案は、多くの患者・遺族のためにならない可能性が高い。