川上和久(国際医療福祉大学教授)

 「大義」を辞書で引くと、「人として踏み行うべき道」「国家・君主に臣としてつくすべき道」とある。国民主権の中で「国家・君主に臣としてつくすべき道」はないだろうが、政治は果たして「人として踏み行うべき道」を進んでいるかどうか。日本に限ったことではないが、古今東西歴史をひもといても甚(はなは)だ疑問だ。だからこそ、時として「大義」という言葉を連綿として受け継ぎながら、政治に警鐘を鳴らし続けているのかもしれない。

 戦後日本において、日本国憲法が施行されてからの衆院解散は、今回の解散を含めると24回。反面、任期満了に伴う衆院選が行われたのは1976年12月5日に行われた第34回選挙の1回だけだ。

 いわば、衆議院はどこかで解散するのが当たり前ではある。しかし、「人として踏み行うべき解散」などあったのだろうか。
 
 全部挙げればきりはないが、吉田茂内閣では、吉田首相が右派社会党の西村栄一議員への質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけとなって懲罰動議が出され、吉田首相の足を引っ張りたい自由党非主流派の鳩山一郎や、広川弘禅農相らの暗躍があって、内閣不信任案が賛成229票、反対218票の11票差で可決、1953年3月14日に衆院が解散された。この解散を受けて4月19日に投開票された第26回選挙では、与党自由党が過半数を大きく割り込み、鳩山自由党や改進党も不調で、左派勢力が大きく議席を伸ばす結果となった。
1950年11月、衆議院本会議で施政方針演説をする吉田茂首相。左はもめる野党議員たち
1950年11月、衆議院本会議で施政方針演説をする吉田茂首相。左はもめる野党議員たち
 内閣不信任案の可決で衆院選が行われるのは、きっかけが「バカヤロー」だとしても、政権の可否を問うという意味で有権者も納得はできよう。戦後、内閣不信任案の可決による衆院選は1949年と1953年の吉田茂内閣、1980年の大平正芳内閣、1993年の宮沢喜一内閣と計4回ある。

 内閣不信任案の可決による解散ではなく、首相の「今解散すれば勝てる」「少なくとも負けが少なくて済む」という思惑による解散の方がむしろ多数派なのである。