兄の霊を慰めてくれ感謝

靖國神社で兄、李登欽(日本名・岩里武則)氏の「祭神之記」に見入る李登輝氏=平成19年6月7日(日本李登輝友の会撮影) 

 2007年6月7日、私は家内や孫娘とともに靖國神社を参拝しました。昭和20年にルソン島で戦死し、ここに祀られている兄、李登欽の魂と再会したかったのはもちろんですが、もう一つの大きな目的として、敗戦後60年以上にわたり、兄の霊を慰めてきてくれた靖國神社に対し、感謝の思いを伝えたかったのです。

 私にとって靖國神社を訪れるのは初めてでした。台湾総統退任後、なるべく早く訪れたかったのですが、さまざまな制約があり、なかなか叶うことがなかったのです。副総統時代、何度かトランジットで東京に滞在したこともありましたが、その当時はまだ兄の霊が靖國神社に祀られていることを知りませんでした。

 私の家には兄の位牌や墓どころか、遺髪も爪も残ってはおりません。父が兄の戦死を受け入れなかったからです。そのため、葬式も出さず、墓も作らず「南方できっと生きている。台湾に帰ってこないのは、現地妻でももらって暮らしているからに違いない」と、1995年に98歳で亡くなる最期まで言い続けていました。

 こうしたわけで、今や兄の証しがあるのは靖國神社しかありません。そして、戦後数十年もの間、兄の霊を慰め護ってきてくれた靖國神社に対し、私は李家を代表して感謝の念を伝えに行かずにはいられなかったのです。

世界はリーダーなき戦国時代に


 まもなく戦後70年。日本も台湾も、それを取り巻く国際情勢も大きく変わりました。日本が安全保障の大部分を委ねてきたと言っていいアメリカも、9・11テロやリーマンショックによる経済力の凋落によって、アジアにおいて軍事力を十分に行使できない原因となっています。今や世界は、主導する国家なき戦国時代に入ったと言えるでしょう。これをアメリカの政治学者イアン・ブレマー氏は「Gゼロ」の世界と呼んでいます。

 こうした混沌とした時代の中で日本が生き抜いていくためには何が必要か。アメリカの衰退、中国の台頭、北東アジア情勢の急変を見ると、日本の真の自立が急務とされるのは明らかです。

 そのために、国家の基本たる憲法をどう改正していくかが、今日の日本にとって大きな課題です。ご存知のように、現在の日本国憲法はもともと英語で書かれ、日本語に翻訳されたものです。つまり、戦勝国アメリカが、日本を二度とアメリカに刃向かわないようにと押し付けたものが、現在の日本国憲法です。

 その第9条では、日本が軍事力を持つことを禁止しています。このため、日本はアメリカに安全保障を委ねることになりました。しかし今や、アメリカは頼りにならないだけでなく、日本自身も大きく変わり始めました。日本が再生への階段を上り始めたのです。

 歴史を踏まえながら、日本が真に自立するために必要なものを考えるならば、憲法問題を避けては通れません。特に第九条では、日本が軍事力を保持することを禁じています。軍事力を保持することは「即ち戦争を引き起こす」ことを意味するものではありません。自分の身を自分で守る、という国際社会における原則を戦後約70年も放棄したまま、国家にとって致命的な問題が起きずに来られたのは、アメリカによる支援と幸運があったからに他なりません。


人間の本能を知れ




 人間は生まれながらにして戦わずにはいられない本能を有しています。ここでは、トルストイの名作『戦争と平和』をモチーフに、戦うということは人間の生物学上における本能であり、避けられないものであること、そのためには自分の国は自分で守るという力が必要不可欠だということを論じたいと思います。

 人間は、自分が分割されない個(individual)として「かけがえのない一回限りの生を生きる存在」であることを、自覚するとき人格となります。そのとき初めて、自分でない他のすべての人間と向かい合い、他の人間を自分とは分たれるから、なお自分と共に生きる「他者」として経験する可能性を持つのです。

 こうして個としての自我意識を核としながら、自分に向かい合う世界を対象化して捉えていくことができるようになるのであり、そこに文化を生み出し、歴史を作り出していく人格的前提があると言ってよいでしょう。

 ここで私のことを例に挙げましょう。12歳の頃、私は家を出ました。母は食事の際、家で商っていた豚肉の一番いいところを私の目の前にどっさりと盛ってくれたり、膝の上に抱き上げたりと、私のことを溺愛していました。

 しかし私は、母の愛情には感謝しつつも、このままでは自分がダメになってしまう、自分が無くなってしまうような気がして、家を離れなければならないと決心したのです。

 とはいえ、これほど愛する息子が家を出るなどと聞いたら、母はきっと悲しむだろうと考え、私は一計を案じました。「この三芝の田舎にいてはきっと学校の試験に受からないだろう。だから淡水の街へ出て勉強したい」と嘘をついたのです。

 そして私は家を離れることになり、最初は先生の家で、続いて友人の家で居候をすることになりました。居候の身では自分の家と同じように振る舞うわけにはいきません。まさに「居候、3杯目にはそっと出し」を地でいくような生活を経験したことで、他者との関わりというものを学んだのです。

 12歳だった私が家や家族というものから分離し、居候という共棲を選択したことは、人間としての本能的な選択だったともいえるでしょう。

 こうした人間の自己形成に当たって、人は二つの根源的衝動と取り組まなければなりません。すなわち「共棲的環境からの分離への欲求」とともに「自分を守ってくれる対象に近付こうとする結合」への欲求です。

分離と共棲の繰り返し


5年ぶりの来日で講演する李登輝・元台湾総統=平成26年9月21日、東京・大手町のサンケイプラザ(蔵賢斗撮影)
 宗教的なシンボルを用いれば、この過程は「パラダイス」と「楽園喪失」とも表現することができるでしょう。旧約聖書の創世記冒頭における天地創造の記述も同じく、こうした分離過程を物語っています。

 神の天地創造は、分離と区分とに基づいて、混沌に秩序を与えることによって成し遂げられました。

 神は光と闇とを分け、大空の下と上とに水を分けて天を造り、最後に乾いたところから、水を分けて海と地を造りました。それまで互いに融け合っていたものを分かつことによって、はじめて時間が成立するのです。すなわち、創世記がその冒頭に記す「初めて」という時間が始まるのです。

 光と闇、上と下、男と女といった分離過程こそは、生まれると同時に呑み込まれる永遠の一体性に終止符を打つものです。

 こうして、創世記第一章は神の創造の行為における、分離がアイデンティティの前提となる時間経験を、可能にすることを教えているのです。

 このように、人類の古い神話はそのシンボルとして、個人の生活史の中で繰り返される生命原理を示すゆえにきわめて実際的な意味を持っていることがわかるでしょう。アイデンティティ、自我意識、時間の歴史経験は分離と自己自身であるとする勇気によって得られます。

 エデンの東においても、人間はこの神の被造物たることをやめません。そこでは、人間の生は戦いであるのみでなく、神から許された遊びでもあり、過酷な労働であるのみでなく、神の贈りものでもあるともされています。

 こうした「人間とは何か」の説明によって分かることは、個人の生活史の中で繰り返される生命原理が示すように、分離と共棲(結合)の繰り返しです。そして同時に、自由と不自由の繰り返しでもあります。

 人類と平和を論じる前に、戦争と平和を人間はどう考えているか、を言わなければなりません。戦争はいけない、戦争はやむをえない、戦争は戦うべきだ、などと話す人の価値判断ばかりが先走った議論の多い中で、現実の世界における平和がどのように可能となるのかを考えなければなりません。

トルストイの戦争観


 『戦争と平和』を書いたトルストイの考え方を見ることは非常に有益と考えます。トルストイは「『戦争と平和』という本について数言」という、結びの中で、彼にとって最も重要な考えを述べているからです。

 「私は進行している歴史上の事件の原因は、我々の理性の理解の及ぶものでないことが明らかだと悟った。数百万の人間がおたがいに殺し合おうとし、五十万を殺した事件が『人の人間の意志をその原因』としているはずがない。

何のために数百万の人間がお互いに殺し合ったのか、世界の創造の時から、それは肉体的にも、精神的にも悪だということがわかっているのに?それが必然的に必要だったからであり、それを行いながら、人間たちはミツバチが秋になる頃、お互いに殺し合い、動物の雄たちがお互いに殺し合う、あの自然の、動物学的法則を実現していたからである。それ以外の答えを、この恐ろしい問いに答えることは出来ない。

 全体的な見地から歴史を考察すると、我々は様々な事件が生じるもとになっている太古からの法則を疑いなく確信する。個人的な見地から見ると、我々は逆のものを信じるのだ。

 他人を殺している人間、ネマン渡河の命令を出しているナポレオン、勤務に採用してくれることを願い出たり、手を上げたり下ろしたりしているときのあなたや私…我々にはすべて自分の行為のひとつひとつが、理性的な原因と我々の自由意志をその基礎としており、どんな行動をするかは我々次第で決まるのだと疑いなく確信する。我々は自分の自由の意識を我々のあらゆる行為に行き渡らせる。

 このように二種類の行為がある。一方は私の意志に支配されるものであり、もう一方は支配されないものである。そして、矛盾を生み出す誤りが生じるのは、私の自我に、つまり私の存在のもっとも高度な抽象されたものにかかわる、あらゆる行為に当然付随している自由の意識を私が他の人々と一緒にしており、私の自由意志を他人の自由意志に一致させることに束縛されている自分の行為にまで誤って及ぼしてしまうからにすぎない。自由と不自由の境界を明らかにするのは全く困難であり、その境界を明らかにすることが心理学の本質的な唯一の課題になる。

 しかし我々の最大の自由と最大の不自由の条件を観察してみると、我々の行為が抽象的であればあるほど、したがって、他人の行為との結びつきが少なければ少ないほどそれは自由であり、逆に我々の行為が他人と結びついていればいるほど、不自由だということを認めずにはいられない。もっとも強く切り離せない、重苦しい、不断の他人との結びつきは他人に対する権力と呼ばれるものにほかならず、それは真の意味では他人にもっとも多く束縛されることにほかならない」
このように、トルストイの戦争に対する観察は、人間とは何かということをよく説明しており、逆にこれはまた平和に対する人間の考え方にも当てはまることと思えます。

生存競争はなくせない


 トルストイは、秋になって交配が終わると、せっかく集めてきた蜜をただ飽食するだけのオスバチは殺されてしまうというミツバチの法則について言及しています。
私もこの法則を確かめてみたいと思い、台湾南部の視察へ赴いた際、ちょうど養蜂場を訪れたため、オーナーに確かめてみたところ、秋になるとオスバチがみな殺されてしまうというのは本当だ、ということがわかりました。ロシアでも台湾でも、ミツバチの行動は変わりませんでした。つまり、ミツバチの本能がそうした行動を起こさせるのでしょう。

 同時に、こうした生きるためには犠牲を払わざるをえない例は人間にもあります。日本の東北地方に「こけし」というものがありますが、日本から来るお客さんに対し、私はよく「こけしは男か女か」という質問をします。ほとんどの方が答えられません。

 こけしは、数年に一度は凶作や飢饉に見舞われていた東北地方で作られたものです。飢饉になると食べるものがない。おのずと限られた食料を食べさせる対象を決めなくてはなりません。男の子は将来働き手になるが、女の子はそうではありません。そうすると、口減らしの対象に選ばれるのは女の子ということになります。つまり「子消し」というわけです。そして、女の子の霊を慰め、祀る意味で作られたのがこけしなのです。

 もちろんこけしの根源には諸説あるようですが、私は人間が生きるための本能というものを考えた場合、この説がもっともしっくり合うような気がしてなりません。

 平和を求めたいというのは、大部分の人間の欲求でしょう。しかし、そうした期待はトルストイが『戦争と平和』で述べた考え方や、「人間とは何か」という本質に基づいて考えれば、首尾一貫した原理、原則の適用は不可能な事と言わざるをえません。可能なのは、具体的な状況の中から平和の条件を探ることに過ぎません。そうなると、戦争はいけない、戦争は戦うべきだとは簡単に言えなくなるのです。

どうすれば平和を実現できるか

1984
平成19年の来日で松尾芭蕉の足跡をたどって岩手・中尊寺を訪れた李登輝氏。日本李登輝友の会によると、中尊寺は直前に訪れた中国の仏教関係団体の圧力で、予定された出迎えを中止。車の乗り入れまで拒否し、当時84歳の李氏は長い参道を歩かされたという(同会撮影)

 現実の世界における平和がどのように可能となるかを考える必要があります。

 平和とは要するに戦争が行われていないという状態に過ぎません。そして世界からすべての戦争をなくしてしまうことは難しいとしても、やはり戦争は例外的な出来事であり、世界の大半の人々にとって平和こそが現実の日常なのです。となると、実現が難しいのは、戦争の廃絶であって平和ではありません。

 さらにいえば、平和が一番大事だ、絶対的な値打ちのある価値だと言うこともできないでしょう。戦争がない状態とは、いわば政治社会の出発点に過ぎないのであって、それだけでは市民が自由も豊かな生活も保障されることはないからです。戦争がない状態としての平和とは、ごく散文的な現実であります。平和の実現とは政治的主張の中で、もっとも保守的な控えめなものに過ぎないのです。

 もちろん問題は、どうすればその平和を実現できるのかという点にあります。平和のためにすべての武器を廃絶すべきだ、と考えることも、実現できそうにないユ
ートピアとしての平和に変わるでしょう。逆に武器で脅さなければ平和を保つことができないと考えるなら、戦力放棄とは武力攻撃に対して自衛的手段を捨て、自ら侵略に身をさらすような愚行に過ぎません。平和についての議論は、実は平和そのものでなく、それを実現する方法をめぐる争いの歴史なのです。

 原理原則として平和を掲げるのでない限り、別に戦争に文句を付けることもないかもしれません。自分の犠牲さえ考える必要がなければ、自国の安全を確保するために考えられる政策の中でも、戦争は大変有効性の高い政策として考えられましょう。自国に脅威を与える国家を外交交渉などで飼い馴らすのではなく、戦争によって取り除くことが可能となるからです。


国際社会の現実「力の行使」


 それどころか、戦争に訴えることによって、初めて理念の貫徹した秩序をつくることもできます。平和を優先するとき、国家間の交渉や合意によって平和を保とうとすれば、自国と価値観も文化も異なる相手との妥協を避けることはできません。戦争をすることで実現できる変革に期待をかける時代への変化が、歴史的に表れることになります。それが現実の国際政治の変化であり、リアリスト的な状態なのです。

 これは国際環境の変化とは無関係ではありません。世界経済をこれまでダイナミックに拡大させてきたグローバル資本主義には、本質的と思われる諸欠陥を内包しており、適切な処方箋が処方されない限り、国際政治に安定的な局面をもたらすことはできないでしょう。

 国際社会が現在のように主導する国家がいなくなった際に、グローバル資本主義を強調する力のある国は、力の現実として、その力の行使を行うでしょう。そして正義を高く掲げて戦闘行為を正当化するような政策や言動をとることになります。

 国際環境の変化によってもたらされた戦闘を正当化するような理念の先走った戦争を前にすると、より現実を踏まえた慎重な政策が可能でないかと考えざるを得ません。すなわち、人間の幸福な立場からして平和を模索すべきであろうと思うのです。

 国際政治の主体は国家です。そして各国がその存続のために権力を行使する限り、国家間の協力関係はごく限られた範囲でしか成立し得ません。国内の社会では、強制力を持つ主体は国家のほかになく、その暴力を背後にして政府が法を執行することも可能となるのに対し、国際社会はそうではありません。

 国際政治では、それぞれの国家に対して強制力を行使することができる法執行の主体は存在しません。国防を委ねることのできる主体が存在しない以上、各国は武力を保持して、その存立を保つほかに選択肢がないのは明白です。こうして、それぞれに主権を主張する国家が軍を保持し、対抗を続ける世界としての国際政治が存在するのです。

国益前に「法の支配」は無力


 このように「国家に分断された世界」における政治とは、平等な主権を持つ世界国家が国益を最大にすべく権力闘争を繰り返す過程であり、法の支配とか正義とかを訴えても意味はないのです。法や正義は国際政治の領域に属する観念であり、国際関係は善悪正邪とは無縁の領域とみなされることになります。

 国家より上位に立つ実効的な支配が存在しないという国際政治の基本的特徴は現在でも変わっていないし、まして国家の防衛を委ねることのできるような国際組織などは存在しません。国境を越えた交易や人の行き来がどれほど拡大しようとも、武力に頼らない国防を実現する保証は決してないのです。

 国際政治の安定を考える上で、各国の間の抑止、威嚇、「力の均衡」を無視することができない限り、政策の手段としての武力の必要性を排除することは考えられません。

 はっきり言えば、戦争が国際政治における現実にほかならないからこそ、その現実を冷静に見つめながら、戦争に訴えることなく秩序を保ち、国益を増進する方法を考えるのが現実的見解といえるでしょう。

 政策の手段としての軍事力はあくまで最後の手段であり、戦争によって状況を打開する選択に対しては常に慎重な判断が必要でありましょう。
古今東西の別なく、人類の歴史は異なる組織集団の分離、統合の繰り返しです。結局のところ、歴史の発展とは組織や共同体の盛衰と交代の記録を、よりミクロに捉えれば、組織を掌握する権力者の盛衰と交代の記録にほかなりません。

台湾が晒される中国の威嚇


 時代の断面を切り取れば、組織や共同体の幸、不幸、繁栄、滅亡は指導者によって強く影響されていることがわかります。同時に指導者の持つ力と背負っている条件が組織の盛衰を左右し、興隆と滅亡を決定づける鍵となることが多いともいえます。
 
 1996年、台湾は歴史上初めての総統直接選挙を行いました。それまでの間接選挙から国民が自分の手で総統を選出する方式に変えたのです。この民主的な選挙が気に食わない中国は、選挙戦のさなかに数発のミサイルを台湾沖へ「演習」と称して打ち込みました。明らかに台湾に対する「中国は戦争も辞さない」という威嚇です。

 これに対し私は、テレビ演説を通じて「ミサイルの弾頭は空っぽだ。こちらは幾つものシナリオを用意してある。心配することはない」と国民に訴えました。結果、国民の動揺は収まり、無事に選挙は実施されたのです。

 もし私があの時、中国のミサイル威嚇に怖気づいて投票を延期したり、戒厳令を敷いたりしたら、中国の思う壺だったばかりか、国民からの信任も得られなかったでしょう。私が強い信念と、手段をもって対抗したからこそ民主選挙が実現したと信じています。

憲法改正で軍事的抑止力を


 日本を取り巻く環境はますますきな臭くなってきています。このような状況に置かれながら、国家の根幹を規定する憲法で戦力を保持しないということを規定していることは、自らの生存を放棄している、もしくは他者の手に委ねていると取られかねません。今こそ日本は真の自立のために憲法改正をしなければなりません。

 しかし、これまでの日本において、憲法改正についてはあまり論じられないどころか、むしろ憲法改正に触れることは長くタブーとされてきました。「第九条があるからこそ日本は平和を維持している」といった意見も、左翼の人々をはじめとして一部に根強くあるようです。

 しかし、現実から目を背け、憲法問題を放置したり、無関心でいることは、日本という国の安全を著しく脅かすものと私は感じています。

 60年以上にわたって一字一句も改正されていないことの方が、私にはむしろ異常に思えます。

 歴史は常に移り変わり、時代は変化し、日本、および日本国民が置かれている状況も異なってきているにもかかわらず、国家の根幹たる憲法を放置していては、日本という国家は遠からず、世界の動きや時代から取り残され、衰退を強いられるのではないでしょうか。

国家の生存競争に命捧げた英霊

関西国際空港に到着して歓迎を受ける李登輝夫妻(安元雄太撮影)

 大東亜戦争において、私の兄も、陸軍少尉として戦った私を含め、多くの人々が日本という国のためにと犠牲を払い、命さえも落としました。 あの当時の国際社会も、私が縷々述べたように善悪正邪とは無縁の、武力や軍事による自国権益確保のための熾烈な争いが繰り返されていました。

 そのような過酷な国家の生存競争の中に、自らの命をなげうった彼らが一心に守ろうとしたのは、この日本という国をおいてほかにありません。

 日本は戦後70年、非常な進歩を遂げました。終戦の昭和20年8月15日、私は名古屋城で帝国陸軍少尉として玉音放送を聞いたのです。あれだけ爆撃を受け焦土と化したにもかかわらず、そこから立ち上がり、世界屈指の経済大国を作り上げた日本人の勤勉さと叡智にはただただ頭が下がります。

 また、民主的な平和な国として世界各国の尊敬を受けることができました。その間における人々の努力と指導者に敬意を表したいと思います。それと同時に日本文化の優れた伝統が、進歩した社会の中で失われていなかったことには驚嘆しました。2000年の総統退任以降、私は数度訪日しましたが、必ず田舎をまわりました。

 みなさんは気付かないかもしれませんが、外国から来るとこんな田舎まで、ゴミ一つ落ちていないことは本当に驚きなのです。長い間、伝統的に培われた日本人の考え方であり、国を愛すると同時に村を愛する、自然を愛するという精神に結び付いているのです。

 旅館も、新幹線も、仕事に従事する日本人の真面目さ、細やかさをはっきりと感ずることができます。社会秩序がきちんと保たれているのです。それはまさに精神的に高い日本文化を日本人がもっていることの証明です。

まず信仰を持ちなさい


 しかし、いまの日本には何かが欠けているのも確かです。これを取り戻さなくてはなりません。さもなくば日本は国際的に強い国になれないでしょう。それは、先ほどから書いているように憲法を改正して自分の国は自分たちで守ること、そして同時に日本人自身が「私は誰だ?」と考えることが大切です。

 倉田百三は戯曲「出家とその弟子」で、死を迎える前に、生きている間に何をすべきかと問うています。生きている間に自分の精神を高め、自分以外の公共のために努力しなければいけない、これが公(おおやけ)の精神です。自分さえよければという考え方が若い人に広がっていますが、日本人の一人として奮闘すべきではありませんか。

 私は91歳になっても台湾のために奮闘しています。私は「私(わたくし)」ではない私、公のために奮闘する私です。日本の指導者には、どうもそのような精神が欠けるように思えてなりません。

 日本から私の話を聞きに来る際に最も要望の多いテーマは、リーダーシップ、つまり指導者能力の修練についてです。

 そこで、私は指導者の条件としてまず「信仰」を持ちなさいといいます。どんな宗教でもいいから、ものごとの正邪の判断に当たって、しっかりした考え方の基準が必要だからです。

 次に「権力放棄」をしてほしい。自分が置かれた立場が持つ権力は、人民から一時的に借りたものであって自分のものじゃないからに他なりません。すなわち「公と私(わたくし)の区別」。「私は私でない私」と言ったけれども、すなわち公のために尽くす私がいるのであって、私だけのために生きる私がいるのではないということです。

 特に若い人は「人が嫌がる仕事」を進んでやる必要があります。私は中学生のころ、進んで便所掃除をやりました。どれだけ自分が耐えられるか、自分で試したかったからです。それから「カリスマのマネをしてはいけません」。新聞やテレビに登場するような人物ばかりが実社会を構成しているのではないのです。
 凛として生き、手本となるような人は市井にもたくさんいます。その最もいい例が靖國神社に祀られている英霊の方たちです。
この日本の衰退を食い止め、激動する国際社会の中で生き抜いていくためにも、憲法改正を実現させ、真の自立国家として歩んでいくことこそが、彼らが礎となった平和日本に生きる今日の日本人の務めであり、靖國神社に祀られる英霊の方々に報いることであると思うのです。


李登輝(り・とうき Lee Teng-hui) 
1923年台湾生まれ。京都帝大を終戦のため中退し、台湾大学に編入・卒業。米アイオワ州立大大学院を経て台湾大教授。国民党入党の翌72年、行政院政務委員として入閣。台北市長、台湾省主席などを務め、84年当時の蒋経国総統から副総統に指名され、88年蒋総統死去で総統に昇格。96年、中国の武力でよる威嚇に屈せず台湾初の総統直接選挙を断行、自ら初の民主的総統となり、台湾の民主化を飛躍的に進めた。2000年任期満了で退任。07年第1回後藤新平賞受賞。著書に「『武士道』解題―ノーブレス・オブリージュとは」(小学館)、「李登輝実録―台湾民主化への蒋経国との対話」(産経新聞出版)、「李登輝より日本へ 贈る言葉」(ウェッジ)など。