松井秀喜(元プロ野球選手)

 ―1992(平成4)年のドラフト会議で、復帰されたばかりの長嶋監督に劇的にクジを引き当てられましたね。そのことを今ではどのように感じていらっしゃいますか?あれは日本球界にとってエポックメーキングなできごとであり、運命的なドラフトでした。

 一言で言ったら、やっぱり引き寄せられたというんですかね。御縁をいただいたという感じです。本当に感謝しています。そもそも僕をドラフトで指名することをいち早く決断してくださったのも、長嶋監督だったと聞いていました。

 監督が「松井でいくんだ」と指名してくださり、ドラフト会議で引き当ててくださったからこそ、今の松井秀喜があるのだと思っています。僕のプロ野球人生のすべてのスタートがあのドラフトです。長嶋監督は、野球選手、松井秀喜に一番影響を与えてくれた人です。

 えっ?残りクジだったんですか?当たりクジを最後に残してくださったのも、いわゆる長嶋監督の幸運を引き寄せるパワーだったのではないでしょうか。

 ―1999(平成11)年の開幕後、不調に陥ったとき、長嶋監督からアドバイスがあったそうですが、それはどのようなものだったのですか?

 ある意味、入団からずっとアドバイスや指導をいただいていたので、この時期だから、このアドバイス…というのは特になかったような気がします。

 監督の打撃指導は一貫しておられました。すべてはスイングのキレに集約されるのですが、キレの良さを出すために、ボールの見方からとらえ方まで、素振りを通して教えていただきました。ボールを打つわけでもなく、ただ黙々とバットを振る。素振りというのは、見方によっては単純なことなのかもしれません。でも僕にとってはとても充実した、大切な時間でした。監督からいただいたアドバイスは、松井秀喜の打撃をつくるうえで礎となっています。

 ―2002(平成14)年にFA権を取得し、2003年(平成15)にヤンキース入りをされましたが、大リーグへの挑戦は、いつ頃、どのような思いで決めたのですか?大リーグ入りに際して、長嶋監督からはどのような言葉をかけられましたか?

 はっきり決意を固めたのは、日本シリーズが終った直後のことです。心の中でくすぶっていた思いが抑えきれなかった。日本一になったことで、その思いがより一層抑えにくくなったのはあったと思います。

 もし長嶋監督がユニホームを着ていたら?...どのような判断ができていたかはわかりません。それは今でもわからないです。ただ、大リーグへ挑戦することが決まってからは、「とにかく頑張って来い」と声をかけてくださいました。

 長嶋監督がジョー・ディマジオ選手のファンであったことはよく知られていますが、僕がセンターのポジションにコンバートされたとき、「ディマジオになれ」とおっしゃっていました。そういう意味では、ヤンキースは運命的であり、必然的だったのかもしれません。

 ―2006(平成18)年5月11日の試合で骨折し、日米通算試合連続出場の記録が止まりました。そのとき、長嶋監督からどのようなアドバイスがありましたか?「リハビリはうそをつかないぞ」という内容だったと報道されていますが。

 確か手術が終って、すぐに電話で話をさせていただきました。とにかく監督は「やったのはしかたない。しっかりリハビリして頑張りなさい」という言葉をかけてくださいました。

 監督は僕よりも毎日、過酷なリハビリをされていたと思います。それを考えたら、自分のリハビリなんて限られた数カ月です。大変な状態でありながら、逆に僕を励ましてくださる監督には、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 ―ニューヨークのご自宅に、長嶋監督から届いたサイン入りの色紙が飾ってあるというのは本当ですか?それには「最後まであきらめずに頑張れ」と書いてある、という報道があります。その言葉をどう考えていらっしゃいますか?

 本当です。今でも大切に飾らせていただいています。色紙の言葉にはどんなに励まされたかわかりません。色紙をいただいたのは、後半戦も中盤にさしかかっていた頃だったのですが、あの言葉に奮起し、シーズン終了まで頑張ったことを覚えています。

 監督が左手で書いてくださった文字を見て、心が震えたというか、魂が揺さぶられたことを、昨日のことのように思い出します。

松井秀喜(Hideki MATSUI)
1974(昭和49)年石川県生まれ。星稜高校時代の4度の甲子園出場を経て、1993(平成5)年、ドラフト1位で巨人入団。日本球界屈指の強打者として活躍し、2002(平成14)年にFA権を取得。2003(平成15)年にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。開幕戦で初打席初安打初打点を記録。ワールドシリーズでも本塁打を放つなど、1年目から勝負強さを発揮し、7年に渡りチームの主軸として活躍。2009(平成21)年オフにロサンゼルス・エンゼルスへ移籍。その後、オークランド・アスレチックス(2011年)、タンパベイ・レイズ(2012年)等でプレー。2012年シーズン限りで現役引退。2013年長嶋茂雄氏と同時に国民栄誉賞を受賞。