「分煙先進国」日本の知恵と技術を生かそう

『コンフォール』 愛煙家通信 No.21 2017年夏号

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秦郁彦(現代史家)

屋内ばかりか屋外もアウト


 2020年の東京五輪に向け、受動喫煙対策の強化を狙う厚生労働省の健康増進法改正案が立ち往生している。たばこ議員連盟(野田毅会長)の主導する自民党が阻止する構えを崩さないからだ。

 通例だと政権与党の対立は内輪の暗闘にとどまり、メディアが騒ぎ出す以前に双方が歩み寄ることで収拾されてきた。そうならなかったのは「スモークフリー(たばこのない)社会に向けて歴史的一歩を踏み出さないといけない」と意気込む塩崎恭久厚労相の挑戦的姿勢が一因かと思われる。

 厚労相の発言を聞いて、さては1920年から33年まで施行され、「酒のない社会の実験」と評されたアメリカの禁酒法にならい世界最初の完全禁煙法を目指しているのか、と忖度(そんたく)する人がいるかもしれない。

 一挙に禁煙法まで行くのは無理だろうが、厚労省案が実現すれば、日本がたばこ規制では世界中でもっとも厳しい国になるのは、ほぼ間違いない。屋内喫煙はアウトだが、野外はセーフというのが世界の大勢なのに、わが国は屋内ばかりか屋外もアウトの範囲を広げつつあるからだ。

 屋外禁煙という日本独自の手法が生まれたのは、15年前の2002年に制定されたポイ捨てや路上喫煙を禁止する千代田区の条例が最初で、マスコミの話題を集めた。

 28カ条からなる「安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例」は、自宅周辺の清掃、防犯カメラの設置、吸い殻、空き缶等の投げ捨て禁止、違法駐車の防止と幅広いが、区長が指定した路上禁煙地区等の道路上における喫煙とポイ捨てを禁止していた。違反者には「2万円以下」の過料(罰則)となっていたが、トラブルを避けるため2000円しか徴集しないという戦略は成功した。
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 徴集に出かけるパトロール隊(現在は22人)を、発案者の区長が高層階の自室でたばこを吸いながら見送っているとか、隣区との境界をまたいで立ち、1000円に負けろとごねた人士もいたらしい。

難解をきわめる区条例


 こうした華々しい宣伝効果のせいか、たちまち全国の自治体に波及、今や東京23区のうち22区(残る1区は渋谷区)、全国では243の市区町村が類似の条例を施行している。
次々に疑問がわく条例
 ただし適用区域の広狭、罰則の寛厳はまちまち、それに追加や改正も加わるので、全容を把握している人は皆無だろう。私も23区の関連条例に目を通し比較検分を試みたが、難解すぎて何度読んでも頭に入らない。40年住んでいる目黒区の「ポイ捨てなどのないまちをみんなでつくる条例」(2003年)も同様なので困惑していたところへ、2017年6月25日付の「めぐろ区報」が届いた。そのなかに「めぐろたばこルール――区内での喫煙のきまり」を見つけたので、次に要点を転記しよう。

①たばこのポイ捨てや歩きたばこは、区内全域で禁止です。
②路上喫煙禁止区内では、指定喫煙所以外の路上で立ちどまっての喫煙も禁止です。

 中学生でも読める平易な日本語だが、区内全域はともかく路上喫煙禁止区域の範囲がわからない。指定喫煙所の数や所在地も知るすべがない。たちどまり喫煙の禁止をなぜ①に入れなかったのか。吸い殻のポイ捨ては喫煙が先行するはずなのに別々の行為として、併記しているのはなぜか。他区の条例もそうだが、「歩行禁煙」と「路上禁煙」はどう違うのか、次々に疑問が湧く。

 区報は罰則の存在に触れていないが、条例を読むと違反者への罰金「3万円以下」は、ポイ捨てだけに適用されると解せる。区役所に聞いてみると罰金を取り立てた実例はないというので、解明するのはやめにした。

 他の区に当ってみると、罰則の有無は「あり」が13区、「なし」が10区とほぼ半々、取り立ての実績は「あり」が4区、「なし」が7区、不明(非公開)が11区もある。「なし」が多いのは類似の案件で区が敗訴する判例があったのも影響しているらしい。

 罰則がないにもかかわらず、きびしいと定評がある港区は、駅周辺など47カ所の指定喫煙所以外は全区にわたり路上喫煙やポイ捨てを禁じ、違反者には巡回員が説諭するにとどめているが、外国人にも守らせるつもりか英文のポスターも作っている。

 これ以上条例を検分しても煩にすぎるので、代表例を別表にまとめ、新機軸を持ち込んだ千代田区の近況に注目したい。当初は対象が区の半分ぐらいだったが、路上禁煙地区はしだいに広がり、2010年に霞が関地区が加わり皇居を除く区の全域に拡大した。
東京特別区の喫煙関連の条例
 ところが対象をうっかり「路上」に限定していたため行き場を失った喫煙者たちが公園に集まり、子ども連れの母親から苦情が出たため方針を転換する。道路に面した商店等に話をつけ2009年から初期費用は100%、維持管理費の80%を区が負担して一階に屋内喫煙場所を設置し、誰でも利用できるようにしたのである(毎日新聞2015年1月26日付)。

 その一方で千代田区はパトロール隊をくり出し、2000円(条例では2万円なのに)の徴集もつづけ、2015年度は7207人から取りたてた。石川区長は「東京五輪までに完全分煙し、風格のある街にしたい」と宣言しているが、他区にも波及すれば、屋内喫煙所を嫌う厚労省には苦々しい動向と言えそうだ。
高性能の喫煙室とは?
 東京都も独自の条例制定に乗り出すそうで、7月の都議選には都民ファーストの会と公明党が、罰則付きの受動喫煙防止条例を公約としてかかげた。幼児のいる家庭内も規制しようという提案が小池都知事の本拠地である豊島区議会に出ているが、「密告者」がいないと成り立たぬ話だろう。いずれにせよ、都が既存の区条例とすりあわせるのは容易ではあるまい。

 オリンピック開催に備えてというのが大義名分になっているが、屋外はセーフと思い込んで来日する選手や観光客にどう対応するのか。酷暑対策と並んで頭痛の種になるのではあるまいか。難点はまだある。
( iStock)

煙漏れのない喫煙室


 厚労省は世界保健機関(WHO)から「煙漏(も)れのリスクがあるから喫煙室を設置せずに、屋内は100%禁煙化」の目標を罰則付きで達成するよう督励されている。しかも、先進49カ国がこの条件(病院、学校、飲食店などの公共的場所8カ所)を満たしているのに、努力義務ですませている日本の現状は世界最低レベルだときめつけられ、当惑した。喫煙室の設置を軸に「分煙先進国」の路線を歩んできたわが国に、急激な方向転換を強いることになるからだ。

 喫煙所の総数は不明だが、厚労省は2011年に「受動喫煙防止対策」の名目で、1件の上限を200万円として工事費の半額を負担する助成制度を作り、累計で1551件、30.9億円を交付してきた。

 東京都も一昨年から飲食店の分煙を支援する補助金制度を創設した。初年度予算は77施設、9億1000万円で、店頭表示用の「禁煙」「分煙」「喫煙可」のステッカーを無料配布している。「完全分煙」をめざす千代田区は、全額負担の屋内喫煙所を年に5店のペースで殖やしていく方針だ。ここで方向転換すると、自己負担を含め巨額の投資は無駄となり、喫煙室は取り壊されるに違いない。

 WHOの「要請」や厚労省の「たばこ白書(2016年8月)」で気になるのは「屋内は100%禁煙」のくだりである。およそ科学的、法的論議で100%という目標値はめったに見かけない。行政文書ならなおさらであろう。それをあえて打ち出すのは、0.01%でも煙が洩れたら不合格と判定するためのトリックではないかと、かんぐりたくもなってくる。

 そもそも厚労省は洩れ出る煙の有害物質と許容量を算定していない。副流煙よりも外の空気が汚れているとわかったら困るからだろう。

 次ページの図で示すように高性能の喫煙室だと、ドア下部のガラリから吸い込む空気は煙をふくむ気流を形成して換気扇から建物外へ排出され、急速に希釈されて上空へ散っていく。
肺がんと喫煙の因果関係は解明されていない
  厚労省が定めた「分煙効果判定基準」は副流煙の洩れはないという前提で、外と内の界面での風速が0.2m/秒という条件を満たさないと助成金は交付されない仕組みである。

高性能の屋内喫煙所
 欧米諸国では経済的理由もあり、低性能の喫煙室にしかなじみがないし、日本も間切り板だけで「分煙」している場所はまだ残っている。そうだとすれば、日本はハイテク技術を磨き、より高性能の喫煙室を整備する方向で対処すべきではないかと思う。

 口実を失いかけた原理主義者たちは、喫煙者が煙でにおいを衣服につけてくると言いだしているが、禁煙の次室を作って、外の空気と汚れぐあいを比較したり、臭い消しの装置を開発したりの対策も進んでいる。

肺がんの主犯は誰か


 そもそも喫煙と肺がんの直接因果関係は諸説があり、科学的に立証されているとは言えない。内外で多くの医学者が数十年にわたりマウスにたばこの煙を吸わせ、がんを発生させようと努力を重ねているが、めぼしい成果は見られない。

 成功したら、ノーベル医学賞をもらえるだろうと言う人さえいる。1955年に53%(男子は85%)だった喫煙率は60年後の2016年に19%まで低下した。人口動態統計によると、同期間に肺がん死者は、1119人から70倍の7万7300人へと激増している(詳細は拙著『病気の日本近代史』を参照)。平均寿命も20歳ばかり延び、なおも延びつづけている。控えめに見ても、たばこを肺がんの主犯とみなすのは無理がある。

 では主犯は誰か。他ならぬWHOが2014年3月に、最大のリスクは、自動車の排ガスを筆頭とする大気汚染だと報告している。アクセルを1回踏むとたばこ数十本分の排ガスが出るのは、ドライバーの実感でもある。それに次ぐのは医療用の放射線被曝(ひばく)、たばこ、食生活……。

 厚労省研究班(国立がん研究センター)も2011年10月に「日本におけるがんの原因」と題するレポートを発表している。がん死の要因となる寄与率(推計)の第1位は能動喫煙で23.2%、2位が感染性要因(ウイルスなど)の21.7%、3位が飲酒の6.2%、4位が塩分のとりすぎ(1.4%)、のあと、5位に受動喫煙の0.9%が来る。

 WHOが重視した大気汚染や放射能が出てこないのはなぜかと不審に思ったら、「職業的リスク、大気汚染、放射線暴露などの要因については、日本における信頼性の高いデータがないことから含まれていません」と逃げ口上があって失望した。しかも「日本人のがんの半分以上は原因がわからないままです」と結論しているので、茫然とした。

 首位候補の寄与率をあっさり外したのでは何のためのレポートだったのか、抗議したくなるが、「石油業界と自動車業界が、たばこをスケープゴートにしているようにしか見えない」(養老孟司)のが的を射ているのかもしれない。
がんじがらめの規制は定着しない
 もしわが国の大気汚染度がPM2・5下の北京なみに高まったら、今は野放しに近い自動車の排ガス規制が始まると思われる。北京では自動車のプレート・ナンバーを奇数と偶数に分ける隔日運行、次に工場の操業停止でしのいでいるから、わが国も見習うことになろう。

 ちなみに環境省が算定した喫煙と自動車の年間排出量(2012年)は、窒素酸化物が419トン対68.8万トン(約1500倍)、一酸化炭素が9170トン対280万トン(約300倍)である。肺がん死を減らそうとするなら、排ガスの規制が効果的なはずだ。
 
 すでに引用した厚労省研究班のレポートは、「がんの半分以上は原因がわからない」と結論づけている。言い換えると、がんは複合的要因の産物なのである。

 そうだとすれば、世界のどこよりも高性能の喫煙室からもし洩れたとしても拡散する煙の害は、無視してもよい微量にすぎない。大気汚染は除外しても、受動喫煙の寄与率(0.9%)は能動喫煙の26分の1、飲酒の7分の1にすぎないからである。

 昨年5月に厚労省が受動喫煙に起因する死者1万5000人と発表し、世間を震撼させたが、全がん死亡者の37万人(うち肺がんは7.7万)と寄与率0.9%とは整合せず、怪しげなフェークニュースと評せざるをえない。そして受動喫煙という現象は、遠からず幻の残像として消え失せるのではないか。

がんじがらめの規制は定着しない


 3月1日に厚労省が公表した健康増進法改正案は、病院に適用していた敷地内禁煙を小中高校にまで広げ、官公庁、大学、ホテルは屋内禁煙(喫煙室は不可)、飲食店は一部を除き原則禁煙、違反の喫煙者には30万円以下、管理者には50万円以下の罰金――という強烈な内容である。

 手本を示すつもりか、厚労省は本館の一階外壁に沿って設けていた喫煙所から戻るときは、遠回りして臭いを落とさせていた。

 昨年末には一段と自己規制を強化し、敷地内全面禁煙に切り替え、喫煙職員が「避難」するのを防ぐため、道路を隔てた日比谷公園への出入りを禁じたと朝日新聞(12月9日付)が報じた。耳を疑ったが、本気なら松本楼にカレーを食べに行くのもだめか、と同情にたえない。
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 背水の陣を張ったつもりの喜劇的情景だが、たばこ議連は飲食店に喫煙、分煙、禁煙と表示するのを義務づけ、利用者に選択させるというシンプルな対案を提示し、世論調査(産経FNN)では、60.3%が支持している。

 がんじがらめの法規制は、日本人の心性に馴染(なじ)まず、定着しないと思う。


はた・いくひこ 1932(昭和7)年、山口県生まれ。現代史家。東京大学法学部卒業。ハーバード大、コロンビア大留学。プリンストン大客員教授、拓殖大教授、千葉大教授、日大教授を歴任。法学博士。1993年度菊池寛賞受賞。『靖国神社の祭神たち』『明と暗のノモンハン戦史』『旧日本陸海軍の生態学 組織・戦闘・事件』『慰安婦問題の決算 現代史の深淵』など著作多数。


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