もっとも、浅草の町民たちは国と違ってオリンピックだけを見据えているわけではない。じつは1964年の東京五輪の後、浅草は長らく「斜陽の時代」に苦しんだ歴史がある。

「もともと浅草は映画館や大衆芸能といった歓楽街として栄えてきましたが、東京五輪後にカラーテレビが普及したことや、住環境の充実などもあって、ゴーストタウン化してしまったのです。夜に外を歩けば“5人と犬1匹”しか歩いていないと揶揄されたりもしました。

 もうあんな苦い経験はしたくない──と浅草の商人たちは景気に流されない逞しさを身につけてきたんです」(冨永さん)

 前出の浅草観光連盟・冨士会長もこう話す。

「オリンピックを軽視しているわけではありませんが、付け焼刃的なインバウンド対策では何の効果もありません。浅草の人たちはもっと未来を見て本物の日本文化をどう繋げていくかを考えています。

 例えば、三社祭は氏子が三社様に感謝を捧げる宗教的なお祭りです。それがインバウンド狙いで観光事業化し過ぎれば、外国人向けにアレンジするなどとんでもない行事になりかねません。外国の方は日本の文化や風習に触れたくて来ているのに、自分たちの文化を変えてしまっては意味がないでしょう。

 とはいえ、これからは芯の通った浅草文化をしっかり継承しつつも、いかに観光地として新しいものも取り入れて発展させていくか、難しい課題も抱えています。

 川を挟んだ隣の墨田区には東京スカイツリーもあるので、今後は他エリアと線引きをせずに連携を深め、足りないところを補い合ってさらに浅草界隈の魅力を高めていけたらと思っています。観光客にとっては、台東区や浅草、墨田区といった区分けは関係なく“このあたり”に来るわけですからね」

 受動喫煙対策も、国や自治体ごとに喫煙禁止エリアなどの線引きがあり過ぎて、かえって来街者の混乱を招いている現状がある。「多様性」を尊重しながら町全体の文化や秩序を守ってきた浅草流の心意気。そこから学ぶべきことは多いはずだ。

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