「家庭内喫煙」の法規制で子供の健康はホントに守れるのか

『玉巻弘光』

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玉巻弘光(東海大学名誉教授)

 東京都議会では、都民ファーストの会と公明党、民進党が共同で提出している「東京都子どもを受動喫煙から守る条例」が、議会多数派の提案であるところから、近々成立が見込まれる。
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 都民ファーストの会のウェブサイトで公表されている条例案の概要によると、子供の受動喫煙を防止するため、都や都民、保護者などの責務などを定め、またその具体的方策として、喫煙者に子供がいる部屋や自動車内では喫煙しないよう求めている。あわせて受動喫煙防止策が不十分な飲食店やゲームセンターに子供を立ち入らせないことや、公園・学校・小児医療機関周辺での受動喫煙防止を定めている。ただし、いずれも努力義務とし、罰則規定は設けていない。ただし、伝えられるところによると、今後、時機を見て罰則規定を置く方針であるといわれている。なお現在、この条例とは別に、東京都がウェブサイトで「東京都受動喫煙防止条例(仮称)」の新たな制定に係るパブリックコメントを募集しており、両条例の統合が検討されていないことには疑問を禁じ得ない。

 今回、筆者は全国初の屋内喫煙を規制した「神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例」の、施行後3年ごとの条例見直しの検討部会長を既に2回務めた経験を有することもあって、「iRONNA」編集部から、この条例案に関し、特に家庭内喫煙規制を中心に意見を求められたので、部会長という立場を既に離れた個人としての見解を述べてみたい。

 まず、条例案で「受動喫煙」とは、「他人のたばこの煙又は蒸気(肉眼で見える煙又は蒸気に限らず、残留するたばこの臭気その他の排出物を含む。)を吸わされることをいう」と規定されている。要するに、たとえ一瞬であっても、また、ごくごく微量であっても、喫煙者のたばこ煙が他人に及ぶと、受動喫煙に該当するということのようであるが、そこまで徹底しなければならない科学的根拠はあるのか、甚だ疑問である。

 一定以上の受動喫煙がさまざまな健康影響を生じさせることについては、おおむね立場の違いを超えて一致して認めているところであろう。筆者は医学生理学の知識に欠けるが、たばこ煙に一瞬さらされることが疾病の原因となるだろうか、大いに疑問を感じる。健康保障は重要ではあるが、多種多様な有害物質に取り囲まれた現代の生活環境において、有害物質にさらされることが少しでも許されないとなると、現代生活の否定しか選択肢はないだろう。いや、石器時代に逆戻りしたとしても、多種多様な天然の有害物質から逃れることなど不可能であろう。
「不愉快」だから法規制?

 それゆえ、有害であるとされる物質について、許容限度を定めて規制しているのが現実であり、たばこ煙をその例外とする論理的・科学的根拠は存在しないのではないか。たばこ煙中には200種類以上の有害物質が含まれ、発がん性物質は50種類以上にのぼるといわれており、その代表例として取り上げられるものにニコチン、タール、一酸化炭素があるが、これらはたばこ煙固有のものではない。特にタールと一酸化炭素は環境中のさまざまなところに存在し、環境基準などによって規制されている。

 たばこから出る有害物質は一切許容されないが、同一物質でも出どころが異なれば一定の範囲で受け入れられるという主張は、およそ論理的でも科学的でもない。炭火で焼いた焼き鳥や焼き肉は、おそらく一酸化炭素まみれであろう。実際にかつて、冷凍スモークマグロを輸入しようとしたところ、一酸化素汚染を理由に輸入差し止めになり、最高裁まで争われた事件(最高裁平成16年4月26日判決)があったほどだ。
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 人の健康を守るために法令によって規制しなければならない有害物質は、規制が健康保全を目的とするものである限り、その出どころを問わず、人体に対する影響という観点で、同じ手法・同じ基準で規制されるべきであろう。合理的根拠なしに別基準が定められれば、行政法上の平等原則に反する。

 さて、本稿で主に論じることが求められたのは「家庭内喫煙」の規制問題である。前置きが若干長くなってしまったが、筆者の基本的考え方は、規制の対象とされるべき受動喫煙とは、人の疾病原因となることについてエビデンス(証拠)のある受動喫煙に限られるというものである。確かに、たばこ煙をごくわずかでも浴びることは不愉快ではあるが、「不愉快」を法規制の根拠とする妥当性はあるのだろうか。健康被害を生じるからこそ規制の必要が認められるのではないか。

 次に、本稿の主題である家庭内喫煙規制について検討しよう。その検討の大前提として、成長過程にある子供の健康保障の重要性は明白であり、過保護にならない範囲で、子供は受動喫煙に限らず、あらゆる健康上の危険からできる限り保護されなければならないということを確認しておきたい。そしてこのことは、家庭の内外を問わず、同一の要請である。
「法の介入」境界線は

 残念なことではあるが、現代社会に生きる子供の身の回りには危険が満ちあふれている。それらを除去するか減少させることは大人の責任であり、それは受動喫煙危害に限らない。とりわけ子供の家庭内事故の原因をみてみると、受動喫煙などよりももっと防止策を講じなければならない危険が多数存在する。子供の生命身体の安全に直結する危険が家庭内に多数ある中で、なぜ今、家庭内受動喫煙だけを多種の家庭内危険からわざわざ抜き出すのか。子供を受動喫煙から守るという一般受けする名目で、隠された別の目的の達成を模索しているのではないか。

 喫煙が好ましくない行為であることは論をまたない。しかし、子供を守る必要というなら、より大きな危険を防止する責務も併せて保護者に課す必要を検討しないのか。子供の家庭内事故で多いのは溺死、転落、やけど、誤飲など、命にかかわるものが少なくない。家庭内での子供の健康保全ということを目的に新たな法規制を検討する際には、規制目的を達するための方法や内容が均衡のとれたものである必要がある。

 ところで、子供を守る必要があるとはいえ、家庭内まで法規制の対象とすることは妥当だろうか。家庭内は基本的には私的領域として、家族の自律に委ねられるべきであり、プライバシーの領域にまで法が踏み込むことには謙抑的であるべきだ。法学の世界には「法は家庭に入らず」という格言がある。家庭内にも適用されることが当然である刑法ですら、刑の免除という形ではあるが、親族間の窃盗のように法が家庭に入ることを控えている部分がある。

 もちろん家庭内を規制対象とする法制も珍しくはない。児童虐待防止法やドメスティックバイオレンス(DV)防止法、消防法などがそれにあたる。しかし、これらは直ちに人の安全にかかわる問題であり、窃盗や受動喫煙とは危険の性質が異なる。長期的な健康への影響という観点で、受動喫煙問題とシックハウス問題などは共通の性格であろう。
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 法が家庭内にまで介入しなければならない問題と、介入を控えるべき問題の境界線をどこに求めるか。この点について考えるとき、考慮されるべきは、介入の必要性、介入することによって確保される利益と、法が家庭内に介入することによるプライバシー侵害の程度、代替手段の存否、これらを総合的に勘案する必要があろう。法令で家庭内のケースを規律するということであれば、法執行機関が家庭内に入ることは必然であり、それが許されるのはどのような場合に限られるかということが問題となる。

 提案者によると、今回の条例案は、子供のいる家庭内での喫煙者の心構えを説いた「理念条例」にすぎないとのことであり、罰則は規定されていないので、公権力が家庭内に介入することは考えられない。しかし、都民ファーストの会によると今後、罰則規定の追加もあるとのことなので、この問題はあらかじめしっかりと検討しておくべきであろう。ましてや、この条例案と同じ趣旨の豊島区案では、家庭内違反行為を他人が公権力に通報できるという条項まで置かれていた。

 日本国憲法は、他人の法的保護に値する権利利益を侵害しない限り、個人の私事に関する自己決定権を保障している。子供はこの権利を十分に行使できないからこそ、大人が子供に十全の保護を与える必要がある。この憲法上の枠組みを所与の前提として、子供の受動喫煙防止策や一般的受動喫煙防止策を検討すべきである。現下の受動喫煙防止の主張は、この大前提を踏まえたものとなっているだろうか。

たままき・ひろみつ 東海大学名誉教授。昭和27年生まれ。上智大大学院法学研究科修士課程法律学専攻修了。東海大法学部助教授、同教授などを経て現職。専門は行政法。神奈川県たばこ対策推進検討会座長を務める。

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