「殿の気まぐれ」と重なる小池百合子の裏切り

『岩渕美克』

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岩渕美克(日本大学法学部教授)

 大義のない解散・総選挙だけでも有権者の気持ちが揺らいでいると思われるのに、それを上回るかのような出来事が野党の側にも起こった。それが、小池百合子東京都知事を代表とする希望の党の立ち上げであり、それに伴う最大野党・民進党の対応である。
希望の党設立会見で細野豪志元環境相(左)と握手を交わす小池百合子代表。右は若狭勝氏=9月27日、東京・新宿のホテル(酒巻俊介撮影)
 言葉はややきついかもしれないが、選挙費用と候補者が欲しい希望の党と、低迷する支持率の起爆剤として「小池人気」が欲しい民進党とのチキンレースに、民進党が敗れたという現象である。都議選の際も、都民ファーストの会が単独過半数を目指すと目標を上方修正しながら、50人しか候補者を集められなかったのは選挙費用を自前で用意できる塾生がいなかったためであろう。今回の衆院選でも、100人を超える候補者を擁立するとなれば、供託金、選挙費用を自前で用意できるものに限られる。そうなれば現職議員や元議員などに間違いなく頼らざるを得ない。そうした思惑に合致したのが民進党であったのであろう。

 当初、新党の立ち上げは比較的淡々とした形で準備をしていたような印象であった。離党した現職の国会議員を若狭勝氏が面談をして仲間に加わることを認めていった。断る人がいなかったのは奇異に感じる部分も確かになかったわけではないが、それでも順調に見えていた。ところが突然、若狭氏を中心とした立ち上げ準備、議論をリセットするという表現で、小池知事が自ら新党の代表となることで国政への関与を明確にしたのである。それ以前は、あくまでも都知事として希望の党を応援する対応で一貫していたと思われていたのが、「予想通り」より直接的な関与を明らかにしたのである。

 そうなると、日本最大都市である東京都の知事と政権交代を狙う国政政党の代表が務まるのかという疑問がわいてくる。小池知事は「可能である」と繰り返すが、現実に都政の日程をキャンセルしているようであるし、真剣に政権交代を目指す政党を立ち上げようとするのであれば、首班指名に誰を考えているかを明確にしたほうがわかりやすい。戦略なのかもしれないが、政党の代表について、小池知事の考え方には不可解な点が多くみられるのである。まずは、小池知事が立ち上げた都民ファーストの例を考えてみよう。

 都民ファーストは当初、知事特別秘書の野田数(かずさ)氏を代表に立てていた。都議選が近づくと、小池知事自ら代表に収まり、「小池人気」にあやかる姿勢を明らかにしたものの、選挙に大勝すると野田氏に戻すことになった。選挙だけの小池代表だったのである。しかも、戻したところで、政党の代表とはいえ都議選は出馬しなかった野田氏には安定した収入は見込めない。さらには情報公開請求で明らかになった、野田氏が掛け持ちする特別秘書の給与額に批判が集まると、今度は初当選した元秘書の荒木千陽(ちはる)都議を代表に据えたのである。そもそも、知事が自らの特別秘書を都議会最大会派の代表にしていたこと自体が二元代表制の否定につながる行為である。これでは「都政改革を進める」と言えるかも難しい。
やはり総理大臣が目的か

 また、このように代表がころころ変わるのは、政党組織として正常、安定しているとはとても言い難い。しかも、情報公開を旨とする割には、代表の交代を所属議員へ十分な説明もなされていなかったことが報道され、結局離党者まで出している。こうしてみると、小池知事には「政党および代表とは何であるか」という考えがやや希薄にさえ感じてしまうのである。まして、希望の党でもそれまで議論を積み重ねてきた側近と思われる若狭氏や細野豪志元環境相の議論をリセットするとまで言い放つのは、あまりにも国会議員軽視であり、あたかも使用人を使うような物言いとしかみえない。

 このようにして考えると、小池知事の目的は国政進出であり、巷間(こうかん)噂されるように、女性初の総理大臣を目指した行動の一環であることは間違いないように思われる。特に年齢など時間的な問題を考えれば、今回の衆院選に出馬することが肝要であり、何度否定しても出馬の噂が依然消えない理由でもある。出馬しなければ首相には近づけない一方で、出馬すれば都政をないがしろにしているといった批判が沸き上がり、小池人気に水を差すことは疑いないところである。

 こうした悩みから、国政への進出に関しては慎重な物言いになっているのであろう。選挙に勝てるようであれば出馬するだろうとの憶測や、「ただの国会議員はもういい」と言ったなどの報道はその目的を表しているといっていいだろう。政権交代を目指すために、松井一郎大阪府知事や大村秀章愛知県知事と連携しているのも、そうした戦略の一環とすれば納得できる。やはり、首相になることが目的といっていいだろう。

 小池知事は、都知事を足掛かりとしていないのに、この時期に国政へ進出せざるを得ない理由も明確ではない。地方から立ち上げていくと限界があるので、国政進出を余儀なくされるというのであれば、理解はできる。橋下徹前大阪市長がその典型である。しかしながら小池知事は、一昨年までは国会議員の職にあっただけでなく、自民党政権で大臣まで務め上げていた。そうした国政の関与を承知の上で都政に進出したのであるから、国政の改革が進まないのであれば、国会議員にとどまるべきであったのではなかろうか。これならば、いいか悪いかは別として、首相を目指すためであれば納得はできる。少数党でありながら、国民人気を背景にして連立政権を樹立した細川護熙元首相をイメージしているのではなかろうか。となれば、自民党との連立も考えられる。安保法制、憲法改正への対応を公認の条件にするあたりに、そうした余地を残しているように思える。
「都民ファーストの会」の新代表に就任し、記者会見する荒木千陽氏(右)=9月13日、東京都庁
 次は、小池知事の政党観について考えてみよう。都民ファーストは自分に従う人だけを集めた政党であり、希望の党もそうした形にしようとしているのが透けてみえる。その意味で「お友達」を優先するなど、おごりが見えるようになって支持率を大きく落とした安倍晋三首相と似た部分がある。前述のように都民ファーストの代表を特別秘書にして安定した収入を確保しようとしたり、1回生議員であるにもかかわらず元秘書を代表に据えたりしているのも、身内優先の表れといえる。
都知事の実績はメディア政治そのもの

 都知事になってから大きな話題になったのは、豊洲市場移転問題、東京五輪・パラリンピックの会場移転問題、石原慎太郎元都知事に対する税の無駄遣いに対する住民訴訟の見直しなどである。実はこれらがどのようにして決定されたのか明確にされていない。自らの諮問機関で議論したと称するだけである。この本質は、内田茂元都議、森喜朗五輪・パラリンピック組織委員長、石原氏を悪とし、自らを善とすることでマスコミの関心を引き付ける、メディア政治の手法そのものであった。
3月3日、豊洲市場移転問題で記者会見する石原慎太郎元東京都知事(左)と都庁を退庁時取材に応じる小池百合子東京都知事
 結果としては、豊洲移転は築地も残すという敵を作らない結論となったが、いまだに具体策は見えていない。五輪会場移転は現行の通りだが、予算を削減させた効果を宣伝した。

 訴訟問題は従来通りに、東京都としては訴えないという結論になったようである。この問題は、豊洲移転にかかる経費は高すぎることや土壌汚染にかかる費用が掛かりすぎたことに対して、石原氏に賠償責任を追及するように東京都が訴えなさいという住民の要望である。これを今までは責任がないので訴えは起こさないとしていたことを見直すというものであった。ところが移転延期で掛かった費用を小池知事に賠償するように、石原氏と同様の住民訴訟が起こされた。結果として、石原氏を訴えることはしないという結論になったのである。この辺も理由は、少なくとも都民には明確にはされていない。豊洲、五輪・パラリンピックの運営費用の問題も解決してはいない。しかもこれらは時間的な制約のあるものである。やはり都政に専念すべきであるように思える。

 このように、人気を権力の背景としてステップ・アップを目指すのは構わないが、少なくとも日本の政党政治を崩壊させるようなことは、未来の日本政治にとって大きな問題である。都民ファースト、希望の党ともに具体的な政策は乏しい。希望の党は、「寛容な保守改革政党」を標榜(ひょうぼう)し、「しがらみのない政治」を目標とすることで、自民党との一線を画しているように思える。だが、寛容な保守とはどのような政治理念を指しているのであろうか。保守中道を言い換えていると思われるが、具体的には全く意味不明である。

 民進党議員の合流条件とした安保法制、憲法改正に賛成することは自民党と同じである。「原発ゼロ」も期限を示さない限りほとんどの政党と変わりはない。とすれば、保守政党でしかないのではないか。どの部分をもって寛容とするかの説明が不足している。その改革の象徴が「しがらみ」を断つことのようだが、何のしがらみかは不明である。例えば、政策協定書では政党支部に対する企業献金は禁止されているが、政党本部や個人については今のところ不明確である。国会議員時代の小池知事は、もちろん企業献金に賛成してきた。どこで考えが変わったかの説明も必要になる。
日本新党の再来?

 思えば、政党そのものに対する考えが不透明な点や、小池人気だけで政党を維持しようとする点に、日本新党の再来を見るような気がしてならない。1993年の都議選でデビューしたものの、4年後には立候補すら少数になり、都政を国政の足掛かりにしたとの批判を受けた。その際の都議選は過去最低の投票率に終わった。政治献金問題といわれるが、細川首相自身も突然に辞任して「殿の気まぐれ」とやゆされた。新党に対する国民の期待が裏切られた原因の一つであったことは疑いのないところである。
1992年7月の参院選で当選が決まり、日本新党の細川護熙代表(左)と握手をする小池百合子氏=東京都港区の選挙事務所
 こうしたことを繰り返しては、政治不信につながるだろう。小池知事には都民の期待にかなうように都政に専念していただくことが肝要である。国政に進出したことで、都民ファーストは公明党との連携が崩れ、最大会派であっても過半数を失う結果となるだろう。1回生議員が大半を占める都民ファーストは順風とはいかない展開になることも予想される。優先課題とした都政改革も順調にいかない可能性も出てきたのである。

 こうした政局の話に報道が終始することで、大義のない解散・総選挙に関する報道は鳴りを潜め、重要な政治課題がないがしろにされることにつながった。もちろんメディアにも責任があると思う。とりわけテレビの情報番組は、こうした視聴者の関心を引きやすい話題を優先する傾向にある。無関係とは言わないが、選挙そのものや公約などの政策課題も丁寧に報道してもらいたい。選挙報道はこれからであるが、政策論議になることを期待したい。党首人気の報道だけでは、必ずしも政治の信頼にはつながらない。

 同様に前原誠司氏は何のために民進党代表になったのであろうか。小池知事と交渉するのであれば、すべての議員を希望の党公認にすることを確約してから希望の党と事実上の合流に踏み切るべきではなかったか。民主党政権時の首相やリベラル派を公認しないのでは、民進党そのものがバラバラにされることになる。それが党代表のすることであろうか。

 こうした一連の動きは、日本政治にとって、国民にとって有意義なものなのだろうか。こうした事態は、与野党ともに信頼を低下させる要因になりはしないだろうか。投票率の低下が心配である。必ずしも投票したい候補者がいない場合に、投票を促すために「選挙はよりマシな人を選ぶ」という考え方がある。投票が民主主義の根幹にかかわる有権者の権利であることを表している。その意味で今回の選挙は、国会議員と、それを選ぶ有権者の矜持(きょうじ)が問われているのではないか。これを機に、日本政治が未来に向けて国民の信頼感を得るようになってほしいものである。

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