また、独立戦争当時、各州はそれぞれ法律で個人の銃所有の権利を認めていた。建国の父たちは、「政治的な自由(liberty)」を守るために銃所有の権利を認めるべきだと考えていた。最初に憲法を批准したニューハンプシャー州は、批准の条件として「議会は市民が実際に反乱を起こさない限り、武装解除してはならない」と主張している。建国当初、国民に「自由を守る=個人の銃保有」という概念が刷り込まれたのである。

 修正第2条が制定されたのは、アメリカがまだ国家として十分に確立していない時代であり、西部劇にみられるように領土を拡大する過程で武器保有は不可欠であった。だが、近代国家になった後も、修正第2条の見直しは行われなかった。むしろ各州で様々な規制の試みが行われたが、上述のように最高裁は修正第2条の有効性を認める判決を出している。

 そしてその後、銃規制の問題は一種のイデオロギー問題へと変わっていく。銃規制に反対する保守的な団体や共和党は、銃規制は修正第2条に反する個人の権利を侵害するもので、眼前の銃による犠牲者の姿よりも、修正第2条を守り、個人の自由を擁護すべきだと主張するようになる。
ホワイトハウスで声明を発表するトランプ米大統領=2日(ロイター=共同)
ホワイトハウスで声明を発表するトランプ米大統領=2日(ロイター=共同)
 保守派は銃規制問題を憲法問題にすり替えるようになり、銃規制の強化を主張するリベラル派も修正第2条に踏み込んだ議論を避ける傾向がある。その結果、銃規制といっても銃保有の際の購入者のチェックなどテクニカルな議論で終わってしまっているのが現状だ。だが、銃購入者の身元調査さえ十分に実現していない。2013年に広範な身元調査を義務付ける法案が議会に提出されたが、成立しなかった。

 2014年にオバマ大統領は「世論が議会に銃政策の変更を求めない限り、何も変わらないだろう」と語っている。銃乱射事件が起こると銃規制を求める声は強くなるが、やがて忘れられる。そうしたことが繰り返されているだけで、抜本的な問題解決は進まないのが現実である。アメリカでは銃問題は単に犯罪の問題ではなく、政治問題であり、憲法問題であり、自由の問題なのである。