先崎彰容(日本大学教授)

 今回の衆院解散の大義は、「国難」の打開にあると安倍晋三首相は言っている。北朝鮮への対応と少子高齢化対策の抜本的変更について国民に信を問う。

 この大義名分を批判しつつ、あくまでも保守政党を自任するのが希望の党ということになる。希望の党に受け入れを認められない、あるいは拒否したグループが立憲民主党を掲げ、社民・共産と連携しつつ第3の勢力をつくる-選挙情勢はこうして固まりつつある。

 しかし、表面的な事実から見ても、政治情勢の推移からしても、今回の三つどもえの選挙戦は全く新しい事態では「ない」。筆者はこれまでにも複数の講演で、現在の日本政治は、今から30年近く前に注目することが必要だ、と述べることから始めてきた。

 国会前デモが起きれば1960年代が参照され、選挙になれば安倍政権「5年」の採点だと騒ぐが、前者は長きにすぎ、後者は短すぎる。

 今回の選挙は90年代初頭、とりわけ細川護煕政権前後の政治状況から復習せねばならない。構造が似ている、というよりその延長線上にあるからだ。

 細川政権誕生の経緯を略述しておこう。「55年体制」の自民党一党支配に対する国民の食傷感が、日本新党と新生党などの出現に新鮮さを感じさせ期待をもたせた。
細川内閣が発足し、シャンパンで乾杯する細川護熙首相(中央)、羽田孜副総理兼外相(左)ら=1993年8月9日、首相官邸
細川内閣が発足し、シャンパンで乾杯する細川護熙首相(中央)、羽田孜副総理兼外相(左)ら=1993年8月9日、首相官邸
 理由は紋切り型の批判だけを吐き続け、実際の政権担当能力を欠いた社会党への違和感を、これら保守新党がすくい取る役目を果たしたからだ。新政権の「顔」だった細川氏を担いだのは、二大政党制の必要性を掲げて自民党を飛びだした小沢一郎氏だった。

 小沢氏だけではない、細川氏も羽田孜氏も武村正義氏すら自民党出身だといえば、今回の希望の党の顔ぶれに重なってしまう。

 大前研一氏なる人物が登場する際に掲げた政策が「規制緩和」と「地方分権」であり、その政党名が「平成維新の会」だったといえば、膝を叩(たた)く人も多いのではないだろうか。

 また当時、小沢氏の自民党批判は、東西冷戦構造でアメリカ側についているだけで十分だという「アメリカ追従保守」自民党に揺さぶりをかけることだった。憲法9条に「第3項」を付け加え、国連との関係を意識した自衛隊の性格を明記せよ、とは他ならぬ小沢氏の考えであった。

 国際社会秩序の激変に敏感に反応し、だからこそ国内改革も必要だ、その改革こそ選挙制度改革なのだというのが、小沢氏の考えだったのである。