「戦後史開封」ロッキード事件

産経新聞連載再録(平成6年12月13日から5回)※肩書、年齢等は当時のまま

 総理大臣経験者の逮捕にまで発展した昭和51年のロッキード事件は、まぎれもなく戦後最大の疑獄事件であった。その衝撃は深刻な政治不信を生み、現在の政界再編にまでつながっているが、今、振り返ってみると、事件には依然として“なぞ”のまま残っている部分も多い。

 51年7月27日午前4時半、日比谷公園と道を隔てた東京地検地下の通称“鳥小屋”と呼ばれる仮眠所で、寝返りばかり打っていた特捜部検事、松田昇(61)=現法務省矯正局長=は、覚悟を決めたかのように起き上がった。

 同5時、松田のほか特捜部資料課の田山太市郎課長ら3人を乗せた車が地検裏口からひっそりと、東京・目白台に向け出発した。前夜、ある記者が守衛に「松田さん、家に帰っていないな。変なんだよな」と言っていたことがわかり、1時間繰り上げたのだ。時間調整と心を鎮めるために東京・九段の靖国神社に参拝する。

 午前6時半、元首相、田中角栄(故人)の私邸の150メートル手前で車を止めた。1人を車に残し、別々に歩いて田中邸を目指す。門前近くのタクシー後部座席に、前のシートに足をあげ、松田らをうかがう一見してマスコミ風の男がいた。松田らは素知らぬ顔で進んだ。男は公衆電話に向かって走っていった。しかし、田中邸を出るときの写真は、どのマスコミにも出なかった。今もって、なぞだ。

 私邸の玄関のブザーで応対に出た書生に「田中先生にお目にかかりたい」と名刺を渡すと、応接間に通され、書生は2階に駆け上がった。田中はなかなか降りてはこない。田山は「何かあるといけませんから見てきましょうか」と言った。しかし松田は「気持を整えながら着替えをされているのだろう。まあ待とう」と制した。

 20分もたっただろうか。背広姿の田中が現れた。座りもせず、いきなり「君が松田君か」と言う。

 松田「そうです」

 田中「今日は早いね」

 松田「ゴルフに出掛けられることもあるかと思いまして、お迎えに上がりました。これから地検に参りますが」

 田中「ウンウン。ところで、君は等々力(児玉誉士夫邸の住所)担当じゃなかったかね」

 松田「よく御存知ですね」

 田中「入省は何年かね」

 田中と接した人の多くは、こうした田中の記憶力と人懐っこさに魅せられるが、検事の場合「何年入省」という言い方はしないので、松田はちょっと戸惑ってから「検事に任官して13年というところです」と答えると「大したもんだなあ」

 事態をいち早く悟った田中の回転、そして2人のエスプリや適度の威厳によって、話はそれなりにスムーズに運んだ。

 田中は家人に「家のことをしっかりな」と言い残して家を出た。車中、松田が「地検正門に着くと、マスコミがいるかもしれませんが」と尋ねると、「いやかまわん」と答えた。