2014年を振り返ると、様々なニュース・事件・事故があったが、最も気がかりなのはやはり天変地異に関わるもの。

 特に、9月に噴火した御嶽山(死者・行方不明者63人)は戦後最悪の火山噴火災害となった。

 また2013年暮れから噴火が始まり、島の形が大きく変わった小笠原諸島の西之島は、2014年に入りさらに活動が激しくなり、元の規模の10倍近い面積にまで拡大した。現在も島は海上保安庁によって常時監視され、活発な噴煙が確認されている。

 11月には、阿蘇山が小規模噴火し、噴煙が1000メートルの高さにまで上がった。小規模とはいえ、1995年以来の噴火規模である。

 また12月に入ると、北海道の十勝岳、福島県の吾妻山について、警戒レベルを平時の「1」から、レベル「2」(火口周辺警報)に引き上げた。いずれも、火山の活動が活発化している(火山性微動)ことが確認されたためだ。

 さらに蔵王山についても、大きな火山性微動が確認されたと12月に入って報じられた。

 西之島、御嶽山、阿蘇、吾妻、蔵王…。言うまでもなく、これらの現象は一直線上に繋がっている。それは、「3.11」以降、日本列島が乗る地殻が、不安定さを増している、という事実だ。

 巨大地震と火山の活動は、連動している。江戸中期の1707年10月、東海―東南海地震の連動型(南海トラフ)とされる「宝永地震」が紀伊半島南部を中心に起こった。この時の地震規模は、おおよそM8.0クラスの後半、と予想されている。

雪が積もった御嶽山山頂で、行方不明者を捜す自衛隊員ら
 「3.11」に匹敵する超巨大地震である。

 「宝永地震」のわずか49日後、今度は富士山が噴火した。世に言う「宝永の大噴火」である。「宝永地震」と併せて、日本の太平洋側に壊滅的な被害が出た。

 地震と火山は、密接に連動する。「3.11」の直後、「富士山も噴火か?」などとセンセーショナルな記事が週刊誌やスポーツ紙などで踊った。

 私も、「宝永」の故事に習い、「3.11」直後、富士の噴火を最も懸念した。しかし、現在に至るまで富士の噴火はない。

 「3.11」で刺激されたプレートが、じっと沈黙して、再び凶暴な音を立てるのを、地下で待っているような、そんな不気味な予感さえ感じる。

 境的にもまれに見る地震・火山大国の我が国において、次なる富士の大噴火は、必ずやってくる。「宝永」以来300年沈黙を続けている富士山はいつ火を吹いても全くおかしくはない。

 富士五湖の一つ、河口湖の水位が急低下した、というニュースは記憶に新しい。噴火との関連は定かではないが、不気味な富士の胎動がもう始まっているのか。

 「3.11」いや、もっと前の阪神・淡路大震災から日本列島が地震の活発期に入っていることは、言われているとおりである。2015年、一直線上でつながったこれらの異変が、結実しないことを祈るばかりだ。

 しかし、例えば「宝永」が起こった江戸中期、時代は空前の好況の真っ最中であった。「宝永」の前の元号は「元禄」だが、この時期の日本は「元禄バブル」ともいうべき活況を呈していた。

 戦国時代後期から始まった日本全土の土地改良と新田開発はこの時代、一段落し、急速に拡大した生産量が巨大な人口を支え、元禄時代、日本の人口は戦国時代の倍、約3000万人に増加するまでになった。

 江戸、京、大坂、博多など、日本各地に大人口を誇る消費地が生まれ、そこと生産地を結ぶ物流網が大きく発達した。元禄や宝永の時代は、日本が空前の「大成長」を迎えた時期であったと同時に、また巨大な天変地異が相次いだ時代でもあった。

 「宝永地震」「宝永噴火」を筆頭に、元禄年間には「元禄大地震」と呼ばれる関東地方を襲った強い地震が有り、特に小田原城下に壊滅的な被害を出した。

 しかしそれでも、当時の人々は複数の巨大地震と大噴火を乗り越えている。地震や噴火で被害のあった地域に対し、幕府は無税として復興を奨励した。今と違って重機やトラクのない時代、人力主体の復興には気の遠くなる時間がかかったが、それでも成し遂げた。江戸幕府はその後、160年間続く。

 地震や火山、といった天変地異は、避けて通ることが出来ない。そして幸か不幸か、そのサイクルには長期的なムラがある。考えてみれば、日本の戦後の高度成長期は、たまたまこの「幸運な地震や火山の活動の空白期」だった、という見方もできる。

 朝鮮戦争からバブル時代まで、日本海中部地震(1982年)以外、多数の死者や大被害を出した地震はなかった。それが90年代に入ると、北海道南西沖地震(1993年)を皮切りに、阪神・淡路大震災(1995年)、新潟中越地震(2004年)と立て続けに大被害を起こした地震が発生した。無論「3.11」もその延長線上にある。

 戦後の日本経済の発展の時期と、「地震や火山の休眠期」は、偶然にも一致している。

 元禄時代がそうであったように、我が国の祖先たちはかつて、大災害期に爛熟を迎え、しかしそれを絶やすこと無く、その災難を乗り越えてきた。

 2015年の経済はどうなるか不透明だが、きっとそれを打ち消すような、過酷な自然災害が待ち受けていることは、想像に難くない。しかしそれに怯まず、困難に一致団結し、超克する「連帯」と「絆」が必要である。

 不気味な地下のうねりは、2015年も変わること無く我々の枕元に息を潜めている。常に飛び起きる警戒を怠ること無く、いまはつかの間、眠ろう。