テレビが「芸」を殺した

 テレビの午後7時から11時までのプライムタイムの視聴率1%は、関東地区で40万人、関西なら16万人、全国では117万人の視聴者に換算されるという。

 この時間帯のお笑い番組は、15%の視聴率を稼ぐと「合格ライン」とされる。単純計算すれば1755万人の視線を画面に向けさせたことになるが、振り返ってみると、新聞や雑誌を含む活字メディアで、これほど影響力のある媒体がどれだけあるだろうか。

 在京キー局の番組プロデューサーは言う。「劇場で300人を笑わせるのと、1755万人を笑わせるのは、同じ『お笑い』でありながら次元が全く異なる。だからこそ、テレビでウケるには、その違いを理解していなければなりません」

 舞台に立つ芸人たちは、客席の温度をリアルに肌で感じ、「空気」を読み取ることができる。だが、テレビの場合、視聴者の笑い声が返ってこない。しかも、番組がおもしろくないと感じれば、さっさとチャンネルを変えられ、画面の向こう側にある空気は読めない。ただ、唯一の反応があるとすれば、後日発表される視聴率だけである。

 かつて「花王名人劇場」(関西テレビ系)などを手掛け、漫才ブームの火付け役となったテレビプロデューサー、澤田隆治は言う。

 「テレビが求める笑いとは分かりやすさ。そこに『芸』なんか求めていません」
フジテレビ「オレたちひょうきん族」のざんげ室シーン。左から横澤彪、ビートたけし、明石家さんま。ザンゲするのは日枝久編成局長(当時)=1986年2月 
 漫才ブームの渦中だった昭和56年、テレビのお笑いを根本から変えたと言われるフジテレビ系の大ヒット番組「オレたちひょうきん族」がスタートした。

 ブームで名を売ったビートたけしや島田紳助らがそのまま横滑りする形で出演した番組のコンセプトは、アドリブを重視した即興的な笑い。それは当時、いかりや長介率いるザ・ドリフターズの看板番組として、圧倒的人気を誇った「8時だヨ!全員集合」(TBS系)へのあからさまな「挑戦」だった。

 当時の「ひょうきん族」プロデューサー、横澤彪(たけし)=故人=は生前、次のように語っている。

 「僕が特に気を配ったのは、漫才という笑芸をどう新しく見せるかでした。言い換えれば、吉本の漫才師たちが築き上げた話芸をいかに解体し、キャラを引き立たせるかに苦心したということです」

 横澤が求めたのは「芸」ではなく芸人の「キャラクター」。入念なリハーサルを繰り返し、お決まりのオチに向かって突き進む「ドリフ的笑い」とは一線を画した新しいスタイルを確立することで、ひょうきん族は盤石の“王者”を完全に抜き去った。

 「冗長な部分、ウケてないところはどんどん編集を入れましたね。テレビは食事をしながらとか、本を読みながらとか、いつも何かを『しながら』見る媒体ですから、視聴者の耳目を引きつける演出が必要だったんです」
「8時だよ!全員集合」の最終回で挨拶するザ・ドリフターズ。左から志村けん、仲本工事、いかりや長介、加藤茶、高木ブー、荒井注=1985年9月28日
 共演者からネタを振られたら必要以上に大げさに切り返し、突然のハプニングにはオーバーアクションで自分をアピールする。ひょうきん族で横澤が取った手法は、その後のお笑い番組の「主流」に変わったが、一方で芸人から「芸」を奪う皮肉も招いた。

 澤田は自戒を込めて言う。「芸を失った芸人は、芸人ではなくタレント。リアクションだけなら素人でもできる。僕が思うに、今の時代の最高の『リアクション芸人』は、橋下徹さんじゃないですか?」

 「15分のネタを3分でやらせる」「実力よりもキャラを重視する」…。今、そうしたテレビのお笑いに対する批判は、「ベテラン」と呼ばれる芸人になればなるほど強く感じている。

 ベテラン漫才コンビ、オール阪神・巨人のオール巨人は「テレビがなかったら芸人はもっとつぶれている」と前置きした上で、こうも付け加えた。

 「僕らは劇場で一番頑張るし、大事にしている。でもテレビやと、漫才が編集で無残にカットされてしまう。ええ格好やなくて、ほんまお客さんに悪いと思っています。だからもう一生、テレビには出なくてもいいですね」(敬称略)
※産経新聞連載「吉本興業研究」の一部を再録。