お墓参りに行く度に目に入る大きな墓石。そこには私の祖父の兄が眠っている。ただし遺骨はない。彼の遺骨はこの墓地のはるか南にある。赤道を超えた先、ニューギニアの海の底。そこでもう70年以上眠っている。彼の遺骨が日本に戻ることは永遠にないだろう。

 彼は20代前半で徴兵された。その時彼は何を思ったのだろうか。もちろん覚悟はあっただろう。しかし遠くない未来に日本から遠く離れたニューギニア近海で自分が死ぬことまでは覚悟できていたかどうか。きっとこの場所に戻って家族と再開する事を願っていたに違いない。

 思えば徴兵当時はまだ若い。やりたい事もあったろう。人並みに好きな人もいたかもしれない。なにより長男として家族と共にささやかな幸せを享受していただろう。だが彼に日常が戻ってくる事はなかった。お国のためにとの大義の下に遠い異国の地で“名誉の戦死”をとげた。

 このようにお国のためにという大義により数多くの人が戦地に送られた。そうであればこそ、いやしくも国政に携わっている者には戦没者を慰霊する義務があるはずだ。そしてその場所はどこでもいいわけではない。なぜなら、想う人の魂は靖国にいると多くの遺族が確信している以上、靖国神社以外はありえないからだ。

 お墓参りの時期、私はいつも祖父の兄の事を思う。彼の無念を思うといたたまれない気持ちとなる。これからも私はお墓参りを欠かさないつもりだ。機会があったら再び靖国神社を訪れたいとも思っている。私自身できる限り慰霊をしていくつもりだ。

 そしてその責任は安倍総理をはじめとする政治家にもあるはずだ。2013年の安倍総理の参拝は当然の事とはいえ、それができない人が多い現状にあっては英断であったと言える。今年もまた靖国神社を参拝するという英断を下す事を切に望む。