2017年10月27日 12:38 公開

ドナルド・トランプ米大統領は26日、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺に関する2800件の機密資料公開を承認した。ただし、国家安全保障上の懸念を理由に、その他の資料は公開しなかった。複数の情報機関が一部の非公開を求めたとされている。

1992年に議会が可決した法律は、ケネディ大統領暗殺に関する約500万ページにわたる全記録を25年以内に全て公開するよう定めていた。その期限が26日だった。90%以上の記録がすでに公開されている。

米国立公文書記録管理局が26日に新たに公開した資料について、政権幹部は内容を明らかにしていない。

ケネディ大統領が54年前にテキサス州ダラスで射殺されて以来、その死をめぐっては陰謀説がしきりに取り沙汰されてきた。

米中央情報局(CIA)や連邦捜査局(FBI)、国務省、そのほかの部局が公開直前に、特定の文書の機密を保持するよう求めたとされており、政府の隠蔽疑惑は解消されそうにない。

トランプ氏は政府幹部あての公開指示書で、米国民は「この重大な出来事の全てを完全に知る」権利があるとし、「そのため本日ついに、ベールをはがすよう命じる」と書いた。

一部の非公開文書はさらに今後6カ月かけて、内容を精査される。しかし、来年4月26日の期限後も公開されないままの可能性がある。

政府関係者によると、一部非公開の要請に大統領は不承不承に応じたという。

トランプ氏は、「わが国の安全に取り返しのつかない形で損害を与えてしまうよりは、非公開措置を今のところ受け入れるしかない」と補足した。

新たに公開された資料は国立公文書記録管理局のウェブサイトに掲載されている。

<トランプ氏はツイッターで、「長い間待っていたジョン・F・ケネディの文書が明日公開される。すごく興味深い!」と投稿した>

何が起たのか?

ケネディ大統領は1963年11月22日、オープントップのリムジン車でダラス市内を移動中に射殺された。

大統領の前に座っていたテキサス州のジョン・コナリー知事は負傷。ダラス市警のJ・D・ティピット巡査は、その直後に殺害された。

リー・ハービー・オズワルド容疑者が逮捕され、ケネディ大統領とティピット巡査の殺害容疑で起訴された。しかしオズワルド容疑者は、自分は「ただの身代わり」だと、容疑を否認した。

事件から2日後の11月24日、オズワルド容疑者はダラス警察署の地下で、地元ナイトクラブのオーナー、ジャック・ルビーに射殺された。

公式見解は?

1964年9月に公表されたウォーレン委員会の調査報告書は、オズワルド容疑者が、致命傷となる銃弾をテキサス教科書倉庫ビルから撃ったと断定した。

「リー・ハービー・オズワルドとジャック・ルビーのいずれも、国内外を問わず何らかの陰謀に加担していた証拠はない」と委員会は結論している。

一方で暗殺に関する下院特別調査委員会の1979年調査は、狙撃犯が2人いた「可能性が高い」と見解を示した。

リー・ハービー・オズワルドとは何者だったのか?

元海兵隊員でマルクス主義者を自称していた。1959年にソビエト連邦に渡り、1962年までそこで暮らした。

ミンスクのラジオやテレビの製造工場で働き、妻となる女性と出会う。

ウォーレン委員会は、ケネディ暗殺事件の2カ月前に、オズワルド容疑者がメキシコシティでキューバとロシアの大使館を訪れていたことを突き止めている。

諸説飛び交う

狙撃手がもう1人いたかもしれないという意見のほかに、致命傷の銃弾はケネディ大統領の背後ではなく前面から撃たれたはずだと言う人もいる。

警察が逮捕後のオズワルド容疑者の頬をパラフィンで調べたところ、容疑者はライフルを発砲していない可能性が指摘された。ただし、この検査の信頼性は疑問視されている。

コナリー元知事は、ウォーレン委員会の結論に異を唱え、自分に当たった銃弾はケネディ大統領には当たっていないと主張していた。

(英語記事 JFK assassination: Trump declassifies some documents