中西輝政(京都大学名誉教授)

参拝に「迷いなし」


 安倍晋三首相が2013年12月26日、靖国神社を参拝した。現職首相としては7年ぶりの靖国参拝である。テレビの画面で見たこのときの首相の表情は、力強く、晴れ晴れとしていた。まさに快挙であった。「第1次政権の任期中、参拝できなかったことは痛恨の極み」と述べて参拝への強い意思を吐露していた首相は、就任からこの日まで丸1年間、参拝にベストのタイミングをはかってきたはずである。そのためか、もはや内面の迷いなどまったく感じさせない泰然たる表情だった。

 私はイギリスのウィンストン・チャーチル首相のことを思い出していた。第二次世界大戦でドイツとの戦いで窮地に陥った祖国の生存を託されて首相となった彼は、自らが「運命の人(マン・オブ・ディスティニィ)」だと体で感じとったと書き残している。実際、この前後で彼の顔つきはまったく変わっている。

 私は安倍首相の表情に、これと同じ変容を感じた。安全保障環境の悪化やあまりにも長かった経済不況、そして少子化。危機的状況にある日本が再生へと向かう歴史の大きな流れの先頭に自らが立つと決意し、その役割を自覚した表情のように思えたのだ。

 ところでなぜ、安倍首相はあのタイミングで首相は靖国神社を参拝したのか。

 参拝でもっとも懸念されたのは中国の反応だろう。官製「反日デモ」まで起こした小泉元首相の参拝時よりも、尖閣諸島をめぐる2年越しの危機があって両国関係はかつてなく悪化している。しかし、中国はいまは靖国参拝問題に対して到底、強い対抗措置をとれない。

 その要因の一つには、中国が一昨年11月、東シナ海上に「防空識別圏」を強引に設定したことがある。尖閣諸島上空にまで張り出したエリア内を通過する航空機について飛行計画の提出を求めるなど、通常の意味での「防空識別圏」ではなく、極めて広大な空域に対して、違法にも事実上の「領空支配」を目論んだものだ。このころから自衛隊機のスクランブルがさらに急増したことも発表されており、東シナ海上空は明らかに緊迫の度を強めている。東アジアにおける安全保障環境はさらに大きく悪化したのだ。

 これは、日本のみならずアメリカ、すなわち日米同盟にとって決して容認できない問題である。実際、設定公表からわずか3日後にアメリカ軍は2機のB52戦略爆撃機を東シナ海上空の、中国が設定した「防空識別圏」の奥深くにまで強制飛行させて、「中国の野望は許さない」との覇権国家としての決意を示した。こうした状況下で、中国も直ちに下手な挑発行為には出られない、という読みが安倍首相にはあったのではないか。中国による「防空識別圏」の突然の設定強行、これが靖国参拝への道を掃き清めたといえば、少々不謹慎な言い方になるが、政治的な真実であることは間違いない。

 中国共産党の内部事情も、首相の判断の材料になったと思われる。一昨年12月上旬には、胡錦濤時代の公安部門トップで石油利権派(国有企業としての石油業界を牛耳る権力グループ)の・ボス・だった周永康が自宅で軟禁され、取り調べを受けていることが判明した。容疑は汚職とも「反党集団」とも言われているが、周永康はかつて1年半がかりで粛清された薄熙来の後見人でもあり、習近平が上海閥をターゲットに仕掛けた権力闘争がいまだ終結を見ることなく続いていることを意味している。しかし、周は薄熙来以上の大物であり、年が明けて半月以上が経っても事態は膠着し、「止め」を刺せていない。抵抗勢力があり、習近平の権力は依然、確立されてはいないということだろう。こうしたときに、日米とこれ以上の摩擦は起こせないはずである。

 また北朝鮮では2013年11月、中国とつながりの深かった張成沢が粛清・処刑され、中朝間の緊張が伝えられ、中国は不測の事態に備えて人民解放軍の大部隊を中朝国境近くに派遣していると言われている。また北朝鮮の暴発リスクがここまで高まった以上、韓国の朴槿恵政権による靖国参拝への反応はすでに早くから読み切れていた。

 こうした状況を総合すると、中国共産党指導部や韓国の朴政権が当面、安倍首相の靖国参拝に集中して対応する余裕がないことは十分に予見できたのである。

 朝日新聞をはじめとする日本の反安倍メディアは、米国が首相の靖国参拝に「失望した」との言葉で不満表明したことを、参拝が実現したことへの悔しさと世論の大勢が「参拝支持」を示したことへの負け惜しみを込めて大仰に取り沙汰している。しかし、これはどこの国でも同盟国同士がしばしば交わす、ごく率直かつ健全な意思疎通の姿といえるもので、もっとバランスをもって受け止めることが大切だ。

伊藤博文、吉田茂…捲土重来で大事に挑む


 ここで2012年12月の第2次安倍政権発足後の1年を振り返ってみたい。この間で特筆すべきはなんといっても、2013年7月の参議院選挙での自民・公明の勝利である。政権与党の両党が安定多数を獲得したことにより、日本の政治は久しぶりにねじれを解消し、とくに2009年の民主党への政権交代以降のおよそ3年半に渡る「悪夢の時代」を脱して、ようやくにして安定した政策遂行の基盤ができあがった。第1次安倍内閣の末期、自らの手になる2007年7月の参議院選挙での敗北によって生じた自民党内の混乱と衆参両院で多数政党が異なるという「ねじれ」の発生によって、日本が迷い込んだ長く陰鬱なトンネルは実に6年間に及んだ。安倍首相自身の手による「リベンジ戦の大勝利」によって、そこから脱した昨夏の参院選は、文字通り戦後日本政治史の一つの画期として後世の歴史家は評価することになるであろう。

 与党の参院選勝利は、日本経済を回復軌道に乗せたアベノミクスによって導かれたことは間違いない。ただ、もう一つ、忘れてはならないのは、尖閣をめぐる日中のつばぜりあいが、あの参院選大勝利の隠れた要因だったということである。

 民主党・野田政権時代の2012年9月にわが国が国有化して以降、中国は「尖閣諸島掠奪」の意図をより露わにし始めた。中国全土で反日暴動を起こし、その後も中国軍機が領空侵犯をしたり、海軍の艦船が海自の護衛艦をロックオンしたりし、尖閣周辺のわが国領海への中国公船の侵入を常態化させようとしてきた。国有化1年を前にした2013年9月9日には、攻撃型とみられる軍の無人機を日本の防空識別圏に侵入させ、尖閣諸島付近を飛行させた。

 日本は中国の攻撃的な行動によって戦後初めて、領土主権、さらには主権国家としての独立が直接脅かされる事態に直面したのである。

 この厳しい状況下でも安倍政権は中国に譲歩せず、「なんとしても押し返す」という強い決意を、国民に、そして国際社会に示し続けてきた。このことを、国民はしっかりと見つめ、特にダイナミックな「地球儀外交」で雄々しく立ち向かう安倍首相への信頼感を深めてきたのである。ただ、この危機的状況に対応しようとしても、2013年7月までは衆参のねじれが足を引っ張り、安全保障関連の法律を新たに制定するのはおろか改正するのも不可能だった。そして参院選の結果は、このねじれを解消することが、日本を救うのに不可欠なプロセスだということを国民が理解したがゆえの選択だったのである。

 2013年2月に発足した韓国の朴槿恵政権が日本人の誰もが予想もしていなかったほど強硬な反日的な姿勢を示し、歴史、特に慰安婦問題にアメリカを巻き込み、日米韓の提携に大きな亀裂が入りかねない流れになりかけた瞬間もあった。そこで隠忍自重した安倍首相に対し、「この歴史攻撃を真正面から受けて立たなければ保守政権としての価値がないではないか」という声も上がった。しかしこれも、参議院選挙で多数を回復して、政権基盤を確立するという戦略的対応だったことは今となっては多くの国民が理解しているだろう。

 こうした流れを見て、戦後政治史に詳しい人であれば吉田茂内閣を思い出すはずである。第1次吉田内閣は昭和21年5月に成立したが、政治基盤はGHQ(連合国軍総司令部)最高司令官、マッカーサーの支持がほぼ唯一と言ってよく、非常に脆弱であった。食糧や仕事を求める国民の不満は大きく、昭和22年の総選挙で吉田率いる自由党は日本社会党に第一党の座を明け渡した。吉田には民主党と連立を組んで政権を維持する道もあったが、そうはしなかった。なぜか。日本の議会政治の歴史を貫く重要な教訓があったからである。

 明治31年3月、第三次伊藤博文内閣は地租増徴問題で衆議院選挙に敗北した。同年6月には、大隈重信の進歩党、板垣退助の自由党という民権派が選挙のために合流して組織した憲政党に政権を譲った(いわゆる隈板内閣の誕生)。大日本帝国憲法下では、いわゆる議院内閣制ではないため本来、下野する必要はなかったのだが、伊藤は長期の国家的視点から政権の座を降りたのである。というのも、選挙に敗北した原因の地租増徴は、ロシアの脅威に備えて陸海軍を増強するために計画されたのだが、民権派は国民の増税への不満を背景に国家の安全保障も無視して反対するだけだった。伊藤は、そのような民権派が実際には一国の政権を担う能力がないことを見抜いていた。そして彼らが実際に政権運営を担えば「化けの皮」が剥がれ、国民も認識を新たにして立憲政治が成熟し、かえって新しい日本の政治の進展の道を切り開いていけると考えたのである。つまり、国家の独立や安全を守っていくためには、国民の厚い支持を受けた強固な政権基盤こそが必要だと考えたのである。まさに「急がば回れ」であった。

 そして政権の座についた大隈ら民権派の憲政党は、予期されていた通り内紛を激化させ、政権の分裂に陥った。これを尻目に伊藤は立憲政友会を組織し、明治33年10月に第4次伊藤内閣を発足させ、わが国に本格的な政党政治をもたらしたのである。

 吉田は、大学生時代に見たこの伊藤の手腕とステーツマンシップにならって、敢えて雌伏の道を選んだのである。そして案の定、社会党の片山哲内閣は1年足らずで瓦解し、昭和23年3月に後を継いだ民主党の芦田均内閣も同年10月に昭電疑獄事件で倒れた。そして再び吉田に出番がめぐってきた。少数与党ながら第2次吉田内閣の発足である。しかし、敗戦後の経済的困窮で左傾化していた国民世論もようやく経済再建と治安・安全保障の大切さに目を向けるようになり、翌24年2月の選挙では自由党は大勝利し、吉田は29年11月まで5年9カ月間に渡る長期間、政権を担う基盤を確固たるものにしたのである。

 このときの吉田は、何を為すべきかという意識が明確であった。国内経済の復興、占領の終結と独立の回復、そして国際社会への復帰であり、さらには国家存立に欠かせない再軍備である。当時の国民には相当強い厭戦気分があったが、吉田は被占領状態からの国家の独立回復を成し遂げたうえ、自衛隊法や防衛庁設置法、さらには警察法などを制定し、日本の安全と生存を守る国の基本的なかたちを造り上げた。その一部は、確かに現在では「戦後レジーム」と批判的に言われる制度群でもあった。しかし、左翼勢力が今日では考えられないほど強大だったあの社会情勢の中、吉田でなければ、それですらできなかったであろう。

 2度目の首相就任を果たした安倍首相の問題意識も当時の吉田と同じように、国家の根本的な再生にあることは言うまでもない。今日、日本国家の再生とは、「戦後レジームからの脱却」というキャッチフレーズがその方向を示すもの、と言わねばならないが、本質的には第2次吉田内閣と同じような経過をたどって強固な政権基盤を得た現在、それを成し遂げる条件は十分に整ったといえる。つまり、吉田とは方向においては逆かもしれないが、歴史的な意義や重大性においては同等の重みを持つ国家指導ということである。

憲法改正への流れが「力の行使」を可能にする


 では、日本国家の再生のために安倍首相は何を為すべきなのか。結局のところ、その最大の焦点は憲法の改正である。

 前述したように、尖閣諸島をめぐって中国がいつ武力行使に出てもおかしくない状況が続いている。さらに2013年7月には2度にわたり、日本最南端の島、沖ノ鳥島周辺の日本のEEZ(排他的経済水域)で、中国の海洋調査船が日本に無断で資源探査を行った。沖ノ鳥島は日本のEEZの重要拠点だが、中国は「島ではなく岩にすぎない」として周辺海域が日本のEEZであることを認めてこなかった。中国は、尖閣など「第一列島線」から、小笠原~沖ノ鳥島~グアムに至る「第二列島線」にまで食指を伸ばし始め、西太平洋支配を目指す野望をまたも粗暴な行動で示したのである。そして同じ7月、東シナ海の日中中間線の両側に広がるガス田で日本に何の断りもなく本格開発を始めた。
東京都小笠原村の沖ノ鳥島
 この開発自体が日本に対する挑発行為、主権に対する侵害行為であるが、忘れてならないのは、このガス田をめぐって2008年6月、福田内閣が「日中共同開発」に合意していたことである。日本国内では当時、瀋陽総領事館における脱北者拉致事件、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に対する内政干渉や反日暴動、上海総領事館の電信官脅迫事件、そして油田の一方的な開発などで、対中脅威論が急速に高まりつつあった。にもかかわらず、日本国内では一部の親中派メディアや評論家たちは、この日中共同開発合意が為されると、それが中国の海洋覇権戦略の野心を隠す「目くらまし外交」であることは明らかなのに、古い・日中友好・論をふりかざして「日本が挑発しない限り中国は挑発しないし、必ず平和的解決に応じるのだ。この合意がその証拠だ」と叫び、中国への警戒論を声高に批判したのである。1972年の「日中国交正常化」当時そのままのこうした歪んだ中国観が、尖閣沖漁船衝突事件(2010年9月)が起きるわずか2年前までも依然として幅を利かせていたのである。今日から見て、中国脅威論と日中友好論のどちらが中国を直視していたかはもはや言うまでもないが、今後中国が日本に・融和的・な顔を見せることがあったとしても、このときの教訓を踏まえた対応を心掛けねばならないだろう。

 尖閣にしても、沖ノ鳥島にしてもガス田にしても、中国の長期的な海洋戦略に則っているだけに、単なる一過性の挑発では終わることはない。今後も長く日本は中国の圧力を受け続け、気を緩めれば尖閣もガス田も沖ノ鳥島も、すべて失いかねない。

 この危機の中にあって、日本はどう対処すべきなのか。言うまでもなく、安全保障体制の見直しと強化が必要である。そして最終的にはもちろん憲法改正であるが、それが実現するまでの間も、たとえ一日でも疎かにできないことを考えると、一日も早い集団的自衛権の行使をめぐる憲法解釈の変更、それを受けた自衛隊法、周辺事態法の見直し、日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の再改定、さらには来年度の防衛予算と、中国の脅威に対する日本の防衛力を高める政策を、一つ一つ確実に実行していくことである。

 尖閣諸島については、海上保安庁の巡視船が周辺に常時待機しているから、あるいは領空侵犯されたら航空自衛隊のF15が那覇からスクランブルする体制になっているから、実効支配ができていると思うのはもはや間違いである。国際法的に見て、日本の実効支配はすでに揺らいでいると言わざるを得ない。

 日本人の耳には少々乱暴に聞こえるかもしれないが、この状況を打破するために今や日本に求められるのは、「力の行使」なのである。例えば海上保安庁の巡視船が横っ腹同士を合わせる形で中国公船に接舷し、エンジンの推進力で領海外に押し出す。つまり国家の保有する平時の自衛権に基づく力の行使である。今やこういう行動に出なければ、日本の実効支配が確立しているとはいえない状況に追い込まれつつある。もちろん中国側の公船も対抗するであろう。従って、そのときに必要なのは、巡視船の背後には必ず海上自衛隊の護衛艦が控えているという軍事的プレゼンスの明示である。

 ところが現在の日本の法体系では、空を除く陸と海については、どれだけ他国に侵犯されても、防衛出動が下命されない限り、自衛隊は出動することはできない。その防衛出動も発令要件は細かには決まっておらず、端的に言って北海道にロシア軍の数個師団が大挙して上陸してくるような事態でなければまず発令されない。また治安出動は、治安という全く異次元の問題への対応ということである。結局、自衛隊による日本の領域警備にはたいへん大きな隙間があるのである。これを埋めなければならないのであり、集団的自衛権と共に真に機能する個別的自衛権の確立が求められている。領域警備には、三自衛隊が、空自だけではなく陸自・海自もそれぞれの役割を果たせるようにすることが喫緊の課題である。

 それには各種の法令を整備する必要があり、その法令に見合った能力を構築するために防衛予算も措置せねばならぬ。これらはいずれも憲法改正へと向かう大きな流れを維持することで、その過程でこそ実現可能となるテーマなのである。こうした個別テーマを推進する上でも、「その先に憲法改正をやるのだ」という流れを肌身で感じられる状況を維持し続けることが求められるのである。

「憲法改正」という抑止力


 日本がこれらを実行して尖閣防衛の意思を明確に示せば、中国公船の領海侵入は激減するであろう。なぜなら、日本の防衛意志の明示、それが中国指導部に「もしこれ以上、日本を追い詰めれば、日本は一気に憲法改正までゆく」と明白に悟らすことになるからである。中国にとって、日本からの「最大の脅威」、それは日本の憲法改正なのである。「何としても、日本の憲法改正を止めねば」と中国指導部に思わせること、これが一種の対中抑止力として働くのだ。

 国内世論向けに散発的なデモンストレーションは行うかもしれないが、その後は、現状ほどの頻繁な領海侵入は当面はなくなるはずである。あるいは、中国の側から協議を持ちかけてくるかもしれない。それでスムーズに日中関係の修復に向かえるのかどうか、あとはその時の中国の国内情勢次第であろう。

 言うまでもなく、憲法の改正は対外的な「ブラフ」や個別の改革推進のための「追い風」や掛け声になるから必要だというのではない。戦後体制というものの大きな欠陥、あるいは吉田茂以来の戦後からの遺産、これを克服してゆくという21世紀日本の大目標がかかわる歴史的課題だからである。目の前の話とこの大目標とをどうつなぎ合わせるか、というところが重要なのである。

 憲法の問題は、今後数年、日本政治の一番中心テーマにならざるを得ない。最大の目標は日本を無防備国家にあらしめてきた九条の改正、そしてその空虚な思想を提示した前文の修正である。われわれ日本人は、この憲法改正を今すぐ、エネルギッシュに論じ、動かなければならない。

 その過程で、憲法改正に前向きな議論が日本でさらに広まれば、わが国に挑発と挑戦を繰り返す中国と韓国、そして北朝鮮による対日威嚇の動きに対する強力な牽制になる。

 さらにいえば、憲法、特に昭和の戦争への詫び証文である前文と九条を改正した日本に、歴史問題を突き付けてくる国が果たしてあるだろうか。中国やそれに煽られ同調する韓国、北朝鮮、そして国内の左翼リベラル勢力が80年代以降一貫して歴史問題を前面に押し立てて日本を攻撃してきた本当の目的は、日本を常に弱い国家、自存自立できない国家に抑え込んでおく、つまり憲法改正を阻止するという一点にあったことを忘れてはならない。自力で国を守れない日本など、日米同盟がなければ極めて容易に征服できる。つまりそれは元来、共産主義=全体主義陣営による東アジア支配への大きな布石だったのである。

 共産主義のイデオロギーが壊滅した冷戦終焉後は、日本の憲法改正阻止のための切り札として「歴史問題」は、さらに重要性を増した。ただ中韓による対日「歴史攻撃」や謝罪要求などは、日本の憲法改正阻止という大目的のための手段に過ぎず、憲法改正阻止という大目的があるがゆえに、賠償や謝罪問題が解決してもその後も何度も蒸し返されてきたのである。

参拝にのぞむ安倍首相(中央)=靖国神社
 従って日本の政権としては、彼らの狙いの本筋を見極めて、慰安婦や「南京大虐殺」といった個別の歴史問題に取り組むよりも、憲法改正を優先すべきなのである。そもそも彼らの歴史攻撃を乗り越えて改憲議論が現在よりさらに現実味を帯び始めたら、中韓は歴史攻撃自体をやめざるを得ないだろう。日中、日韓関係のさらなる悪化は憲法改正のスケジュールを早めるだけだからである。つまり、われわれが憲法改正を、迫力を持って推進していくこと、論議を盛り上げていくこと自体が外交的、政治的な牽制になり、また対日歴史攻撃をも抑止することになるのである。

 靖国神社参拝もこれまでは歴史攻撃のターゲットになってきた。それに対して安倍首相は今回の参拝で、中韓などによる対日歴史攻撃に、言葉を使わず「反撃」したのだ。憲法改正を掲げることが、歴史攻撃への抑止になるということを踏まえた戦略的行動なのである。憲法改正にはまったく関心のなかった小泉純一郎氏の首相参拝にあれだけ激烈に怒ってみせた中韓の反応が、今回あまりにも静かであることのより大きな要因は、安倍首相のこの戦略の有効性にあったのだ。

「やればできる、日本」へ


 そもそもこの日本の憲法改正、特に安全保障に関して九条と前文といった中心テーマを自力で改正できれば、それは取りも直さず日本の民主主義が成熟し、確立していることを世界に対し、そして後世に対しても、はっきりと示すことになる。

 これほど現状の秩序を遵守しつつ、日本はしっかりとした堅実なやり方で憲法改正という試みを通じ国家の再生に取り組んでいるということを示し、同時に国際秩序も現状維持という国策が日本の国策なのだということを世界に示すものはないだろう。それは完全なる自前の民主主義の確立であり、それに向かっていく第一歩が改正手続きに則った憲法改正なのである。

 言いかえると、この憲法を持ち続ける限り、わが国の民主主義は他者から与えられたものに過ぎないのである。さらに言えば、「『与えられた民主主義』から『自前の民主主義』へ」という、リベラルや左派も説得できる論理は、国民統合という観点からしても非常に重要なテーマだと思う。

 おいそれとは改正できないことは誰もが分かっている。しかしおいそれとできないから、といって「手をこまねいてもう何十年」である。そういう戦後を過ごしてきた我々だが、本当の危機を前に覚悟を固めたら、「やればできるんだ、日本」である。これが、「日本を取り返す」に続いて、我々が掲げるべきスローガンである。その具体的な支えの一つがアベノミクスの成功である。昨年4月からの消費増税の影響を乗り越えて、「失われた二十年」を完全に克服する。これを外しては「やればできる、日本」とはならない。これはあくまで目先の話で、なんといっても本丸は憲法である。今こそ、「日本を取り戻す」ために憲法改正に取り組み、一心不乱、一意専心進むときなのである。そして「やればできる、日本」を天下に示すときだ。


なかにし てるまさ 昭和22(1947)年、大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。同大学院修士課程、ケンブリッジ大学博士課程修了。平成24年、京都大学大学院教授を退官。『大英帝国衰亡史』『日本人として知っておきたい外交の授業』『迫りくる日中冷戦の時代』(PHP研究所)、『賢国への道』(致知出版社)『帝国としての中国』(東洋経済新報社)など著書多数。