宮本悟(聖学院大学教授)

 これは本当にあった話である。1960年10月12日に国連総会で、フィリピン代表団団長であるロレンソ・スムロンが、ソ連の東ヨーロッパ諸国に対する政策を植民地主義として批判する演説をした。それを総会で聞いていた老人が顔を真っ赤にして、その場でクツを脱ぎ、そのクツで机をバンバンと叩き、「クジカの母ちゃんに会わせてやる!」と外国人には意味不明な言葉を叫んだ。

 その老人は、ソ連の最高指導者であるニキータ・フルシチョフであった。「クジカの母ちゃんに会わせてやる!」とは、意訳すると「恐ろしい目に会わせてやる!」というロシア語の恫喝(どうかつ)の慣用句である。国連総会でソ連の最高指導者が怒り狂ってフィリピン代表を恫喝したのである。もちろん、これはスムロンの演説を妨害してやめさせるための恫喝であって、実際にソ連がフィリピンを攻撃するためではなかった。

国連総会で初の一般討論演説を行うトランプ米大統領
=2017年9月19日(ロイター)
国連総会で初の一般討論演説を行うトランプ米大統領
=2017年9月19日(ロイター)
 さて、2017年9月19日にアメリカ大統領であるドナルド・トランプは、就任後初めての国連総会での演説で、北朝鮮の最高指導者である金正恩を「ロケットマン」と呼び、「アメリカと同盟国を守ることを迫られれば北朝鮮を完全に破壊する以外の選択肢はない」と恫喝した。

 それに対して、北朝鮮の最高指導者である金正恩は21日に声明を発表し、トランプの演説を批判して「トランプが何を考えていたとしても、それ以上の結果を目の当たりにすることになるだろう。アメリカの老いぼれ狂人を必ず、必ず、火で制するだろう」と応酬。北朝鮮の外務大臣である李容浩も、23日に国連総会でトランプを「誇大妄想と自画自賛を重ねる精神異常者」と呼び、「アメリカ全土への我が国によるロケット攻撃が避けられなくなる」と恫喝した。

 フルシチョフに比べれば穏やかとはいえ、国連総会を舞台に米朝がお互いに口汚く相手を罵って恫喝したことで、実際に戦争になるのではないかと危惧した向きも多かろう。もちろん、その可能性がゼロとは言わない。しかし、まず、北朝鮮はなぜアメリカを恫喝しているのかを理解する必要があろう。

 北朝鮮がアメリカを口汚く罵って恫喝することは今までも珍しくなかった。なぜ北朝鮮がアメリカに恫喝のメッセージを送るのかは抑止論のゲームによって説明できる。北朝鮮の核兵器とミサイル開発の目的が、アメリカに対する抑止力を持つためであったことは、もはや議論の余地はないだろう。援助やそのための対話を求める瀬戸際外交であるならば、アメリカを攻撃するぞと恫喝する行動を説明できないからである。恫喝されれば援助を送るアメリカではないだろう。では、抑止論のゲームから北朝鮮がなぜアメリカに対して恫喝するのかを説明しよう。