矢崎泰久(ジャーナリスト)

 コロンブスがアメリカから梅毒と唐辛子とタバコの三つを持ち帰ったというのが通説になっていますね。よけいなことをしてくれたのかもしれないけれど(笑)。アメリカ大陸で原住民が常用していたタバコをコロンブス一行が試してみたら、なかなかいいものじゃないかというわけで、その種を持ち帰ってきた。それでヨーロッパとか中国とかキューバとかでどんどんタバコが栽培されるようになったわけでしょう。

 日本人も、ポルトガル人がタバコ吸っているのをみて、あれはなんだということで自分たちも吸うようになった。日本ってある種、「間の文化」じゃないですか。タバコを吸うのが一つのクッションになる。「間がもたない」という言葉があるように、座持ちとか間持ちとか、つまり間をとることを重んじる日本の文化にタバコが合っていたからこれだけ広がったんじゃないでしょうか。煙管(きせる)とか、煙草入れ、煙草盆といったようなタバコに関するグッズを考えてね。落語に煙管がよく出てくるくらいだから、タバコ文化というものが江戸時代にはすでに定着していた。

 それが明治になると葉巻とかパイプ煙草が外国との出会いによっていっぱい入ってくる。西洋に追いつけ追い越せという文明開化が、タバコ文化においても日本を駆り立てた。葉巻やパイプ煙草を目の当たりにして、好き嫌いは別としてタバコ文化も西洋化していったという歴史があると思うんですよ。そういう文化的な背景を持つものを悪あしざまに罵ののしって、なきものにしようという風潮は救いようがない。

 タバコというのはナス科の多年草で、収穫してからいったん乾燥させたあと、樽に詰めて熟成させる。このときに適度な湿度を与えるんです。このへんが微妙でね。だから、本来、湿度の高い日本にはタバコ文化はなかったはずで、完全に輸入文化なんですね。タバコのおかげで日本人は世界とつながることができたと言ってもいいんです。

シガー派とシガレット派

 タバコのみはシガー派とシガレット派に分かれますよね。紙巻タバコ(シガレット)ではなく、葉で巻いてタバコ本来のおいしさを楽しむシガー派。それからパイプですね。名人になると、一度パイプに火をつけたら、一日中消さないでずっと手にして、吸いたいときにフッと吸う。あのタイミングというか、コツというかね、これはもう一種の芸ですね。ぼくにはまねできない。趣味が高じてブライヤーの木の根を自分で彫(ほ)ってパイプをつくっていた友人もいました。

 シガー派の友人は、朝起きてまず一本のシガーの吸い口をカットして火を点けて、それを一日中持ち歩いているわけです。そうして夜寝るときに最後の一服を吸って消す。アルミで出来ているケースに入れたりしてね。その葉巻も一本、何万円かしたりする。これって大変な贅沢ですよ。

 あこがれをこめて言うんですが、パイプや葉巻を吸っている連中のほうが本格的なタバコのみだと思うんですよね。ぼくのような紙巻きたばこをスパスパ吸っているようなのはタバコのみとしては二流、三流ですね。手っ取り早いからどうしてもシガレットにいっちゃう。やっぱり葉巻やパイプを愛用する人たちはとてもダンディですね。そういう洒落た生き方というのは、本当に大事にしなくちゃいけない。

 シガレット派でも、作家の野坂昭如さんとか、もうお亡くなりになったエッセイストで中国文学者の草森紳一さんは、両切りのピースしかのまなかった。それで、絶対に切らさないように、いわゆる「ピー罐(かん)」(罐入りピース)をいつも左手に持っていないと落ち着かなくて、持ったまま電車に乗ったりするんです。車掌や周囲の乗客に注意されるんだけど、電車の中で吸いやしないんだから。吸っていれば注意するのはわかるけどね。中毒といえば中毒なんだろうけど、それってすばらしいことだと思うんですよ。

 野坂さんも草森さんも、誰かがフィルター付きのタバコを勧めたりすると怒り狂うんです。フィルターを付けてのむことすらタバコに対する冒瀆(ぼうとく)だと思っているから、許せないんですね。そういう人たちにとってはすごく生きにくい世の中になったわけだけれど、「傾(かぶ)く」というか、何かにすごく執着する生き方って、とても人間らしいと思う。そういうものを削ぎ取ってしまおうとするのは人類を滅ぼす感性です。

伯父・物集高量(もずめ たかかず)


 父親の義理の兄貴にあたる物集高量(もずめ たかかず)という国文学者で博打(ばくち)打ちの伯父がいたんですが、彼には三つ大好きだったものがあって、一つはタバコ、一つは博打、それから女。この三つを生涯手放さず、百六まで生きました。その当時は東京でいちばんの長生きだったから都知事が弔辞(ちょうじ)を読んだほどです。葬式ではぼくら全員でタバコを吸って見送りました。

 ゴールデンバットを最低十箱は身近に置いてないと落ち着かないチェーンスモーカーで、目が覚めてから寝るまで、飯を食うときもタバコをくゆらせていた。それこそおならをすると煙が出るんじゃないかというくらい。そういう生き方をしていた人なんです。それでボケもせず長寿を全うしました。

 競馬の馬券は自分で買わなければ当たらんと思っている人だから、百歳を超えて足腰が弱っても必ず自分で場外馬券売り場に出かけるんですよ。ついていってやろうとしてもうるさがるだけでね。ところが、爺さんだからモタモタしている。それで、締め切り近くになると後ろに並んでいる連中が焦(あせ)り始めるんですよ。「ジジイ、いいかげんにしろ」「モタモタするな」とか声がかかると、爺さんパッと振り向いてステッキを振り上げてね、「ジジイの後ろに並ぶな! そんなことじゃ馬券は当たらないぞ!」(笑)。そういう男でした。

 亡くなる前の日でしたが、入院先の婦長さんから「おじいさんのことで話がある」と電話で呼び出されたんですよ。何かと思ったら、看護婦のスカートの中に手を入れて困っているから注意してくれって言うんです。百六のジイさんですよ。それはそれですごいことなんだけれど、奥さんも死んじゃって、私が後見人になっていたものですから、しかたなく、「もう少しうまくやれないのか」って説教していたら、看護婦さんたちが集まってきて、「いいのよ、私たちはぜんぜん平気だから」って言うんです。爺さんは年寄りと醜いものが嫌いで、きれいな若い娘(こ)には手を出すけれど、婦長には手を出さないから嫉妬しているだけだって(笑)。

 その爺さんが、『百歳は折り返し点』(日本出版社)という本を書いて、これがものすごく売れてテレビでも取り上げられました。黒柳徹子さんが爺さんを気に入ってね、「徹子の部屋」にはレギュラーかっていうくらい何回も出演した。番組に呼ばれるとタバコを吸いながら古謡を唄うんですよ。これがまた上手(じょうず)でね。そのころは「徹子の部屋」でもタバコを吸っちゃいけないってことはなかったんですね。

 いまのテレビは昼から夜までバカ番組ばかりですね。どうでもいいようなくだらない話をして、わざとらしくギャーギャー笑って。やってるやつもやってるやつだけど、観てるほうも観てるほうです(笑)。だけど、あれ誰もタバコ吸ってませんね。禁煙なんでしょうね、きっと。

 映画もいまはタバコを吸うシーンが極端に少ないですよね。だけど、もしタバコがなかったら、たとえば『カサブランカ』という映画は成立しなかったと思うんですよ。ハンフリー・ボガートがタバコくわえてね、紫煙をくゆらせながらイングリッド・バーグマンと別れるあのラストシーンなんて、言ってみればタバコが主役です。宮崎駿さんもヘビースモーカーだから、『風立ちぬ』でもタバコのシーンをいっぱい描いていましたね。配給会社とか資金を出した連中は文句を言ったらしいんだけど、彼は押し通したわけでしょう。あの時代のあの雰囲気のなかではタバコは重要なモチーフなんだし、宮崎駿自身にとっても、絵を描き、ストーリーを考えるときに、タバコはなくてはならないものなんですよね。そういうことを単細胞な人はわかろうとしない。

 映画監督でいえば市川崑さんがいつもタバコをくわえていましたね。彼は前歯が一本欠けていたから、ちょうどタバコがおさまる。だからくわえやすいし、そこに次のタバコを入れておけるんです(笑)。それで吸いたくなったらパッと火を点けて吸う。だから、いつもタバコが歯のまんなかから突き出ている。おもしろかったですよ。

嫌煙権運動は体にわるい

 タバコのニコチンが認知症とか脳にいいといっている学者もいるんだけど、役者の小沢昭一さんが死ぬまでタバコをやめなかったのは、認知症が怖かったからなんです。母親が九十いくつまで生きたけど、大変な認知症で、彼はずいぶん苦労したんですね。だから、自分はボケたくないからタバコはやめないと言って、本当に死ぬまで手放さなかった。小沢昭一の葬儀のときは、百六で死んだ爺さんを思い出して、ぼくはお焼香のときにタバコを吸って、それをさして帰ってきました。害ばかりあげつらうんじゃなくて、いいほうに目を向ければタバコにもいろいろ効用はあるはずなんだけれど、でも、そういうこととは関係なくタバコは大切なものだと言いたいわけでね。

 いちばん腹が立つのは、街を歩きながらタバコを吸っているときに近づいてきて「ここは禁煙です」って言うお節介なやつがいることですね。このあいだも環八沿いの人気(ひとけ)のない道で、ちょっと急いでいたんで歩きながらタバコを吸っていたら、ぼくとそう変わらない年配の爺さんが、「あなた、どうしてタバコを吸っているんですか」っていきなり言うんですよ。「ええ、タバコ好きですから」って答えたらそのジジイ、「私はそういうことを聞いているんじゃない。この場所でどうしてタバコを吸っているかと聞いているんだ」と怒っちゃってね。ぼくが「吸いたくなったから吸っている。ほかに何の理由もない。あなた、ぼくが吸いたくないのに吸っていると思っているんですか。好きだから吸っている。それについてあなたにとやかく言われる覚えはぼくにはありません」と言ったら「公衆道徳がわかっていない」とますます怒るわけですよ。

 「公衆道徳というものについてあなたがぼくを説得できるならおやりなさい。お聞きしましょう」とタバコを吸い続けていたら、「すぐにやめてください!」ってヒステリーを起こしてね。老人だから、よっぽど暇だったんでしょうね。

 ある大学で講演を頼まれたときに、壇上でタバコを吸ったんですよ、別に禁煙というわけじゃなかったから。そうしたら、不謹慎だって異議申し立てをしたやつがいましてね。だから、いや不謹慎かどうかは知らないけれど、ちょっとタバコを吸いたくなったので吸ったんでね、そのぶんあなたたちにとっては聞いてよかったなと喜んでもらえるくらいの話はしますよって静かに言ったんですが、そいつはそのあとしつこくうちの会社にまで来て、嫌煙権について記事を書かせろと言い出した。

 「冗談じゃない、タバコを禁止するほうが間違いで、のむほうがまっとうなんです」と言っても、いかにタバコが悪いかを延々とまくしたてて帰らない。そのうち突然ひっくり返ったんです。びっくりして救急車を呼んで、そのまま入院しましたが、彼は「禁煙ジャーナル」とかいう雑誌を出している有名な嫌煙権運動の第一人者でした。そういう狂信的な嫌煙家が思いつめると突然倒れたりする。嫌煙権運動というのがいかに危険なものか、体に悪いかということです(笑)。

喫煙室なんかで吸いたくない

 たしかにタバコが体質に合わないという人はいますよ。だからタバコがいやだ、嫌いだというのはかまわないんだけど、そういう人は、タバコをのんでいるやつを見たら近づいていって「タバコをのんでいただいてどうもありがとうございます」ってお礼を言うべきですよ。われわれは彼らよりずっと税金を払っているんだから、彼らの生活を助けているとは言わないまでも、少なくとも生活を支えてやっているんですからね。

 すぐタバコの値段を上げようとするのも一種のイジメですね。これでも買うかと言わんばかりでね。高い税金をとっているんだから、タバコのみがどこでも吸えるように灰皿を用意するとか、駅には必ずタバコが吸えるような設備を整えるとか、タバコのみを大事にしなければいけない。そうでしょう。

 このごろはけしからんことに居酒屋でも分煙なんてところがある。このあいだなんか、朝鮮焼き肉屋で分煙だといわれてね、のべつ煙を出しているくせに何を言うか、そんな店では食わないと言って久しぶりに怒って出てきました。タバコのみは隔離して勝手にタバコを吸わせておけばいいという基本的な勘違いがある。もののわからないそういう理不尽な人たちが嫌煙権を主張しているわけです。

 だから、ぼくに言わせれば分煙なんかくだらないとしか言いようがない。コーヒーのチェーン店でも喫煙席と禁煙席とに分けて、いかにもいいことをしているかのような顔をしていますが、コーヒーを飲むのにタバコが吸えない席があること自体、もはや文化の破壊です。コーヒーにはタバコが欠かせないんです。チェーン店のコーヒーなんか飲もうとするからそんな目にあうんだ、なんて言うと、また嫌われますけれど。

 タバコのみは空気のいいところでおいしく吸いたいわけですよ。汚れた空気のところで吸ったって少しもおいしくない。デパートや公共施設の喫煙室なんか、ほかのやつのタバコの匂いがするでしょう。いいタバコを吸っている隣でシケたタバコの煙を吸わされるのは不愉快です。

 新幹線でも、ひかりには喫煙車があるんだけど、これがよくない。車両全体にタバコの匂いが染みついていて、ぼくのようなタバコのみですら、ドアを開けて一歩入ったらひっくり返りそうなほど気持ち悪い。

 いちばんおいしいのは空気のいい野外、たとえば山なんかで吸うのがいちばんですね。都会だと大気汚染がひどいでしょう。平気で排気ガスをまき散らすうえに、花粉、PM2・5、黄砂、放射能……タバコより有害なものがいくらでもある。とくに排気ガスの恐ろしさはタバコの比じゃない。エンジンを一分吹かすだけで空気の汚染度はタバコ三千本分ですからね。タバコの煙なんて微々たるものですよ。

 タバコのみの理想は、まず空気のいいところで吸うこと。いつでもどこでも吸えること。ここでは吸うなと言われるのがいちばん迷惑ですね、わがままかもしれないけれど、吸いたいときに吸いたいんだから。

 麻薬撲滅なんていうけれど、麻薬そのものは本来、医薬品ですよね。だけど、タバコはそういう価値さえ認められない。タバコのみはただそれだけで迫害されて、狭い喫煙室に押し込められる。これだけ多くの人が愛好して吸い続けているのにはそれなりに理由があって、生きていることに直結した何かがタバコにはあるはずなんですよ。そういうものを一切かえりみようとしない。

 カーボンナノチューブっていう炭素系の微粒な素材がありますが、これが人体にものすごく悪いんです。それを使った繊維でできている競泳用水着なんか、軽くて速く泳げるという効率だけを優先して身につけているうちに炭素が体に染み込んで、それこそががんにもなるだろうし、大変なことになる恐れがある。ところが、そういうものは企業や学校がバックについているから大きな問題にはならない。日本ではタバコだけが悪者になっているという印象が強いですね。


「タバコをやめるか、脚を切るか」


 ぼくは糖尿病で、医者に行くたびに「体に悪いからタバコをやめろ」とうるさく言われるんです。いくら体に悪いからって、ぼくはやめないんだから言うだけ無駄だって何度言い聞かせてもわからない。こんなバカも珍しい。いろいろ数値を出してきて、これはタバコによるものだと証明しようとするんです。たとえそれがそのとおりであろうと、ぼくには関係ないと言うと、「タバコをやめなければ壊疽(えそ)で脚を切ることになる。タバコやめますか、脚を切りますか。それこそが決断です」真面目な顔をして言うから、「それは脚を切るに決まっている。脚がなくなってもタバコは吸える」。そう答えたら、もうぼくとは口を聞かないっていうんですよね。俺だって口を聞きたくない。おあいこですよ。

 イジメでもないんだろうし、向こうも商売だから好きなようにやればいいんだけれど、人間ドックで儲けるのはともかく、禁煙治療だとか、タバコがやめられるというような薬を売っている薬品会社とか、そういう嫌煙権運動に便乗して金儲けをしているやつがいちばん下劣ですよ。

 ぼくの周囲で禁煙したりまた吸ったりしている優柔不断なやつらはみんな早死にしました。そういう根性のないやつはもともとタバコを吸っちゃいけないんです(笑)。嫌煙権運動をやっているのはタバコをのむ資格がない、もともとのんじゃいけない連中だからほうっておくしかない。

 タバコというのは人類が発見した偉大なる文化です。「世界文化遺産」がどうとか騒いでいる割には、みなさんあまりにも文化に対する自覚がなさすぎる。体に悪いとか、煙が迷惑だとかいろいろ言うけれど、タバコがなければ人類もなかったというくらい重要なものだとぼくは考えているわけですよ。人間にとっていちばん大事なのは自由だと思うんですが、その自由が保証されるべきもののなかでも、喫煙はその最たるものです。タバコがなかったら、自分の人生は実に寂しいものだったと思う。きっとずいぶん違った人生になっていたでしょうね。

 人間にとっていちばん害をなすのは「ストレス」だと思うんですよ。あらゆる病気はストレスからきている。少なくともぼくはタバコによってストレスは完全に解消されています。二十歳すぎてから喫煙を始めて、それから一度もやめたことはないから、かれこれ六十年以上タバコを吸い続けている。ぼくの健康と生き方を守ってくれているのはタバコじゃないかって、それくらいに思っているんです。


やざき・やすひさ 1933年、東京生まれ。早稲田大学中退。1965年、伝説の雑誌『話の特集』を創刊し、95年まで30年にわたって編集長と社主を兼務。映画、テレビ、ステージのプロデューサーとしても活躍。『情況のなかへ』『編集後記』『変節の人』『口きかん―わが心の菊池寛』『「話の特集」と仲間たち』『あの人がいた』『人生は喜劇だ―知られざる作家の素顔』など多くの著書がある。