障害を持った子供の将来を悲観して、自分も介護がすごく大変だということもあって、親が障害を持った子供を殺したんです。その殺したことに対して近所の人たちが、どうかあのお母さんを刑罰に処さないでほしい、だって大変だったもの、すごく苦労していたのはわかっていたから、だから許してあげてということで、減刑嘆願運動が起きたんです。

 それを受けて障害者たちが、自分たちは殺されてもいい存在なのか、ということで起こした運動が最初なんですね。私はそれをすごく思い出したんです。障害者って殺されても仕方がない存在なのかなということが、今回の事件とリンクして、頭の中に浮かんできたんです。

 それを施設だけの問題だとか、重度障害者をもった家族だけの問題ということにしないで、社会運動としてこの事件の意味をちゃんと取り上げて広げなければ、ますます私たち重度障害者の生きていく場所がなくなっていくんじゃないか。そう思ったので、匿名性をどうするかという問題、個人の問題とするのか社会の問題とするのかは大事なことだと思います。

――この事件を通じて、障害者に対する社会意識が変わったということはないのでしょうか?

海老原 私が当事者として感じることは、良かれと思ってやってくれることがだいたい差別なんです。特別支援学校とかもそうですよね。送迎をつけて、保護者の負担を減らして、人手も増やして、学校の中で手厚く見てもらえる。あたかもその子のためになっている感じがしますが、学校の中ではそれでよいかもしれないけれど、社会に1回出たら障害を持った人のペースで社会は動いていないんです。あっという間に取り残されていくわけで、それをフォローする仕組みは社会にはないんです。
「津久井やまゆり園」の献花台で花束を手向けた後、目頭を押さえる女性=2016年8月2日、相模原市(三尾郁恵撮影)
「津久井やまゆり園」の献花台で花束を手向けた後、目頭を押さえる女性=2016年8月2日、相模原市(三尾郁恵撮影)
 確かに同じペースの子しかいない環境ではいじめもないと思いますが、社会に出たらいじめられるんです。トロいとか、仕事ができないとか。挙句の果てに殺されたりするわけじゃないですか。それに対応する力は、特別支援学校では身につかないんですね。