そういうふうに良かれと思ってやってくれることが大概差別だという思いが私の中にあって、行政っていつもそういうところを勘違いしているなと思います。私が一番大切だと思っているのはインクルーシブ教育で、常に障害者だけでなく外国人だったり、いろんな人達が学校の中で共同生活をする中で、どうやって自分と全然違うタイプの人と生活していくか学び合っていくことがすごく大事だと思っています。日本は今、全く逆のことをやろうとしているので、勘違いが多いと私は思っています。

 私も街を歩いてて「偉いわねえ」って泣かれることがあります。でも、おかしいでしょう? ただ普通にバスに乗っただけなのに、感動してお金くれる人がいるんですよ。もらいますけど(笑)。

 そういうのはちょっと違うんじゃないかなと思っていて、偉いわねっていう言われ方はすごく他人事な感じがします。どういう言われ方をするとよかったと思うかというと「私はあなたがこういうことをやっているのを見て勇気をもらいました。だから自分も明日からこういうことをやってみようかなと思います」とか、自分にちゃんと関連付けて、自分にとって私の存在がどういう意味があったかというところまで伝えてくれると、わー生きててよかったな、呼吸器つけながらバス乗っていて良かったなと思いますね。
(iStock)
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 当事者として生きていて思うのは、周りが思っているほど私は大変じゃないんですよ。大変なことも多いですけど、結構面白いんですね。目の前に障害が治る薬があったら飲みますかと言われたら、私は多分飲まないと思うんです。障害と生きるって大変なことがありすぎて面白いんです。別に強がりではなくて、障害があることで、健常者にはない喜びを得られる機会がもの凄くたくさんあって、色んな人に出会えたり、指が動く、手が動くことを凄く幸せに感じられたりだとか、世の中の一個一個の現象に対してすごく敏感になるんです。

 私は進行性の障害なので、いつどう死んでいくかわからない、いつまで生きられるか、いつまで体が動くかわからないという状態に置かれている。死ぬことが身近にあるんですね。だから逆にいまやれることやらなくちゃとか、生に対する、生きるということに対する意識が健常者に比べると日常的に自分の中に湧き上がる機会も多い。1日1日を面白く楽しく生きていこうという思いが凄くあって、障害者として生きるってすごく面白いなと思うんですね。