尾野剛志(津久井やまゆり園家族会前会長)

 津久井やまゆり園での事件からもう1年ですが、考えてみればあっという間でした。1日1日を考えた時は凄く長くて、やっと今日も終わったという感じでした。僕は2015年3月まで17年間、津久井やまゆり園の家族会の会長を務めてきました。園や家族のほとんどが実名を出さず、取材も受けないという中で、僕だけは話をしなくちゃいけないという気持ちに駆られて名前を出しました。
報道陣の取材に応じる尾野剛志さんと妻のチキ子さん=2017年1月26日、相模原市(共同通信)
報道陣の取材に応じる尾野剛志さんと妻のチキ子さん=2017年1月26日、相模原市(共同通信)
 多くのマスコミの方から取材していただいて、1日1日、事件について聞かれるのが辛かったんです。でもこうして1年経ってみると、早かったなというのが今の気持ちです。

 2016年7月26日は、朝7時半に園に行きました。5時15分に妻の友達から電話で起こされたんです。「尾野さんの息子、津久井やまゆり園だよね? 大変なことになってるから、ちょっとテレビつけて」と。慌ててつけたら、もう植松が逮捕されていて「15人死亡」というテロップが流れている。その後、犠牲者は19人になりました。

 これは大変だということで私が駆けつけたのが7時ちょうど。園の中に入ったのが7時半でした。既にほとんどの遺族の方はいらしていたようで、僕は自分の息子の一矢のことが心配だったので、体育館に行ったのですが、そこにA4の紙が4枚あって、1課、2課、3課、4課と書いてありました。息子がいる施設は4課なんですが、その4課を見たら、〇が書いてあるのが5つ、×が書いてあるのが4つあって、何も書いてないのが8つか9つ。その何も書いてないところに息子の名前があって、立川の災害医療センターと書いてあったんです。だからすぐに向かいました。

 一矢は何針も縫う大けがで、お腹を刺されて大腸がちぎれる寸前でした。全部割腹して、きれいに洗って縫い上げました。手術が終わった後も「明日の朝までは予断を許さない」と言われました。

 その時、「本人と会っていって下さい」と言われて会いました。一矢は麻酔が効いているはずなのに、僕が看護師さんと話している時に、娘が「お父さん、一矢が泣いてるよ。お父さんの声、聞こえるんだよ」と言ったんです。見るとホントに涙が出ているんですよ。僕もどうやって家に帰ってきたかわからないほどのパニックでした。一矢は結局、23日間入院しました。

 もともとお父さんとかお母さんとは喋らない、自分の言いたいことしか言わない子でした。それが、入院した時、4日めに行った時、急に「お父さん」という言葉を出してくれて、僕も感動しました。退院してきて、今は顔を見て「お父さん」とか「お母さん」と言って、話をしてくれるんです。だから一矢のために、生きている間は頑張ろうと思いました。