僕は妻と再婚しましたから一矢は僕の子ではないのですが、一矢が4歳の時に知り合って、全然恥ずかしいと思ったこともないし、障害を持った子がいることを隠そうと思ったこともありません。
事件で一時意識不明の重体となった尾野一矢さん(中央)と父の剛志さん(右)と母のチキ子さん=2017年6月(河野光汰撮影)
事件で一時意識不明の重体となった尾野一矢さん(中央)と父の剛志さん(右)と母のチキ子さん=2017年6月(河野光汰撮影)
 僕が知っている範囲でも、子どもが津久井やまゆり園にいるのに一度も来ない人がいるんです。障害をもった人が亡くなった時に、家族がお墓に入れないという例もあるんです。これが現実なんです。知的障害者であっても自分の子どもはかわいいんですが、それをわかちあえない。だから仕方なく隠す人がいるんです。

 家族会の人たちは互いに顔も知っていますし、匿名でという人たちに僕がおかしいとか言う立場ではないと思います。事件の後、家族会でその問題について話す機会もありませんでした。2016年10月6日のお別れ会には、県の部課長も来たのに、遺族は一人も来ませんでした。まだ気持ちの整理がついていなかったのでしょうね。

 ただ、それから時間がたって、今年7月22日に芹が谷園舎で祈りの集いをやったのですが、その時は亡くなった19人のうち8人の方の遺族、親戚なども含めて十数人が来ていらっしゃいました。

 僕が名前と顔を出して息子のことを語るのも、黙ってしまうと植松に負けたことになるんじゃないかと思うからです。

 僕は家族会の会長を17年もやっていたので、植松とも面識があるんです。息子のいたホームとは別のホームの職員だったために親しくはなかったのですが、話したことも二度くらい覚えています。

 植松は僕のことを知っているから、「会長会長」と言ってました。催し物などの時にも「会長さん、一矢さん元気にやっていますよ」と言ってくれました。

 逮捕されたのをテレビを見た時、最初は彼ではないと思ったんです。全然違う顔でした。職員になりたての写真が出て、初めて彼だとわかったんです。もともとの植松は、好青年で凄く朗らかでした。

 でも、ある日突然刺青をしていることがばれてしまった。その刺青をどうすべきか園の会議でいろいろ意見があったけれど、当時は真面目にやっていたから刺青があるだけで辞めさせるのは酷じゃないかとなったのです。入浴介助や夏のプールの時はウェットスーツを着て刺青を隠してやってきました。

 でもその頃から植松の言動が変わったと言われるんです。障害者に対しても馬鹿にするような言葉の虐待をするようになって、職員が注意すると「わかりました。すいません」と言うのですが、またそれを繰り返す。そうするうちに衆院議長のところへ手紙を持っていくというあの事件につながっていったわけですね。