例えば3月1日付東京新聞では、植松被告が「私の考えと判断で殺傷し、遺族の皆さまを悲しみと怒りで傷つけてしまったことを心から深くおわびします」と語ったことが報じられている。世間には彼が「謝罪した」という印象が広まったと思うが、問題はその中身だ。今回の手紙によって改めて明らかになったのは、植松被告は事件については謝罪反省をしておらず、犯行に踏み切った彼の思いは変わっていないことだ。つまり2月末に彼が謝罪した対象は障害者の家族など健常者で、それらの人たちを事件に巻き込んだことを謝罪したのだった。犠牲になった障害者に対する見方は、犯行当時と変わっていないのだった。マスコミ報道はある程度目を通しているらしいのだが、それでも日本中が衝撃と悲しみに包まれたこの1年を経ても、彼の思いは変わっていない。ある意味では驚くべきことかもしれない。
相模原殺傷事件から1年となり、事件があった津久井やまゆり園に設けられた献花台に花を供える入倉かおる園長(右から2人目)ら=2017年7月、相模原市緑区
相模原殺傷事件から1年となり、事件があった津久井やまゆり園に設けられた献花台に花を供える入倉かおる園長(右から2人目)ら=2017年7月、相模原市緑区
 彼は2016年の事件の時も、侵入した津久井やまゆり園で、職員らには危害を加えるつもりはないことを告げており(実際には抵抗した職員などに暴力を行使しているのだが)、自分が何を標的にしているかについては明白な意思を持っていた。記者との接見においても、遺族に対しては謝罪し、その後彼は朝日新聞記者の仲介で遺族の接見を受け入れ、直接謝罪もしている。

 さて、この事件の裁判で植松被告の責任能力が大きな争点となることは間違いない。刑法39条では被告が犯行時、心神耗弱ないし心神喪失であったと判断された場合は、それぞれ罪を減じたり無罪にすることが決められており、弁護団も恐らくそれを主張すると思われる。それゆえ植松被告の精神鑑定の中身は重要なのだが、起訴前の鑑定では、彼に「自己愛性パーソナリティ障害」という診断がくだされている。「パーソナリティ障害」は人格障害とも言われ、要するに精神障害ではない、責任能力はあったという診断だ。

 例えば私が12年間関わった宮﨑勤死刑囚の場合は、精神鑑定の診断が精神科医によって幾つにも分かれるという異例の事態となった。それだけ精神鑑定とは難しいものなのだが、社会で大きな問題になった事件の場合は、最終的に裁判所が採用するのは「責任能力あり」と認定したものであることがほとんどだ。裁判所としては社会秩序の維持といったことを念頭に置いて裁きを行うから、どうしてもそうなるわけだ。

 『創』2016年10月号の特集で精神科医の香山リカさんと松本俊彦さんが対談し、その中でも語られているが、今回の事件での植松被告の考え方を「思想」と見るべきか「妄想」と見るべきか、つまり彼は精神障害なのかどうかというのは事件についての一番のポイントだ。