そしてそのことに伴う次の大きな問題点は、植松被告の障害者観がいったいどういう体験を通じて彼の中に生まれたかということだ。この事件の衝撃はとりわけ、障害者施設の職員だった人物があのような観念に支配されるようになったという事実だ。ここは裁判でも恐らく大きな論点になるに違いない。植松被告が具体的に津久井やまゆり園の職員の仕事をしながら、障害者観が具体的にどう変わっていったのか、自分のその想念が優生思想とどう違うと認識しているのか。そのあたりの核心的な事柄については、彼のさらなる説明を聞いてみなければならない。
(iStock)
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 相模原事件が衝撃的なのは、単に死者が多かったからといったことではなく、戦後、日本社会が敢えて直視してこなかったいろいろな問題を、パンドラの箱を開けるように引きずり出したことだろう。例えば措置入院のあり方についてだ。精神障害の恐れのある者の犯罪については、警察もなかなか対応できずに精神科医に匙をなげるといった対応で、かつ精神障害者の事件であることがわかった時点でマスコミ報道も途絶えてしまうため、実際にどういう対応がなされてその後、当事者はどうなったのかについてはほとんど闇の中だった。

 植松被告についても、措置入院のあり方や退院手続きが適正だったかなど、当初問題になりかけたのは記憶に新しい。その後、厚労省の検証チームでもそのことの検討はなされ、精神科医の判断に問題はなかったという見解が出されている。しかし、退院後の植松被告へのフォローがきちんとなされていなかったことなど、対応のシステムに大きな問題があったことも指摘されている。これについては、措置入院患者の退院後の支援強化を図るための精神保健福祉法改正が次の臨時国会に提出される予定だ。

 平成の時代になって、精神鑑定が鍵になるような難しい事件が目につくようになった。その走りは平成元年の宮﨑勤死刑囚の連続幼女殺害事件だったと思うのだが、精神科医の見解が分かれたというのは象徴的なことだ。裁判所は宮﨑勤に死刑を宣告したことで「裁き」は行ったのだが、ではあの事件が解明されたかといえばそうは言い難い。私は彼が処刑されるまで12年間、密につきあったのだが、わからないことの方が多かったと言うべきかもしれない。

 現在の司法システムではなかなか事件の解明に至らない事例が目につくのは、恐らく今の社会で犯罪が複雑化したことの反映だろう。相模原事件はこのままなら裁判員裁判で裁かれる予定だが、こういう難しい事件をきちんと解明することができるのか、司法や社会の側の力量が問われることになると思う。私は、こういう難しい事件は、社会全体の叡智を結集しないと解明は困難ではないかと思っている。だから事件に関する情報はできるだけ社会にオープンにして、司法関係者だけでなく、精神医学や様々な専門家の知見を生かしていく必要があると思う。