この事件はそのほかにも様々な問題を社会に投げ掛けた。犠牲になった19人がいまだに匿名であるということも、その背後に差別の問題があることを考えれば深刻な事柄だ。さる7月14日、参議院議員会館で日本障害者協議会(JD)主催の集会が開催され、被害者家族の尾野剛志さんがスピーチした。その話はまさに犠牲者が匿名である問題に触れたものだった。警察が今回は特例だと言って匿名発表にしたのだが、これも障害者に対する差別ではないのか。尾野さんがそう言った時、会場から拍手が湧きあがった。匿名問題は報道機関にとってだけでなく、障害当事者にとっても大きな関心事なのだ。
(iStock)
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 今回の事件後1年の報道では、19人の犠牲者遺族のうち匿名ではあるが取材に応じる人が増えた。35歳で亡くなった女性の写真は新聞・テレビで公開された。名前は出せないが、娘の笑顔の写真をぜひ多くの人に見てほしいという親の意思なのだろう。

 NHKが行っているキャンペーン「19のいのち」のウェブサイトには、遺族の言葉が掲載されているが、その35歳の女性の遺族はこう語っている。
 「いま思うことは、『ごめんね』というおわびの気持ちだけです。犯人への憎しみよりも、施設に預けた方が悪いという気持ちが強いのです。容疑者の『障害者は不幸を作る』という言葉には憤りを感じ、違うという気持ちは当然あります。でも社会の中にはそう考える人はいるし、それ以上に優しい人もいます。社会を変えなくてはと思うより、社会はそうしたものだと受け止めています。最近は家族の間で彼女のことを話題にしないようにしています。つらくなるからかもしれません。静かに過ごしたいため、このまま名前を公表せずにいることを望んでいます」

 このほかにも「いつか名前を出して伝えたほうがいいという気持ちもあります。ですが、名前を出せば何か差別を受けるのではないか、誰かが家に押しかけてくるのではないかと、社会の反応が怖く、今はまだそういう心境にはなれないのが現状です」と語る遺族もいる。

 日本社会の現実を思えば、この遺族の不安も理解できる。匿名問題は、障害者差別の深刻な実態を浮き彫りにしたといえる。匿名か顕名かを原則論のレベルで議論することもあってよいが、それにとどまらず遺族や当事者に対して粘り強く働きかけ、壁を超えていく努力を、もっとマスコミはすべきなのだろう。そして、それを一歩一歩超えていくプロセスを社会に明らかにすることが大切だ。これはまさにジャーナリズムに問われた課題だといえよう。課題はあまりにも多いのに、この1年間、果たして議論や事件の解明がどれだけ進んだのかと考えると、絶望的にならざるをえない。事件1年を機にこの間、再び報道はなされているが、一方で事件の風化も指摘されている。この事件にどう立ち向かうべきか、どこまで解明できるのか。日本社会がそのことを問われているように思う。