ポリティカル・コレクトネス(PC)について考えてみましょう。PCとは、人権尊重や平等主義、反差別主義の立場から、こうしたカテゴライズやラベリングを印象付ける表現を禁止することです。PCは、カテゴライズやラベリングを嫌います。これらが、共同性からの「追放」の側面を多かれ少なかれもつからです。しかし過剰なPCは、硬直したイデオロギーとなって、人びとを息苦しくさせます。冒頭に掲げた2著、とくに『言ってはいけない』は、過剰なPCに対する挑戦の意図を込めています。

 米国は、民主党政権下で過剰なPCの傾向が顕著でした。多民族国家の秩序維持という難しい課題を前にして、実態としては相互異族視、排外主義、差別などが逓減していないにもかかわらず(だからこそ?)、建前の上でヒステリックなほどにPCを看板として立てています。「メリー・クリスマス」はキリスト教のお祭りの言葉で異教徒の差別につながるから言ってはいけないとか、「天にましますわれらの父よ」は父権主義の表れで女性差別だからダメだとか。

 日本に比べて欧米では、PC問題はかなり深刻なようです。自由、平等、人権などの理念を強固に打ち出してきた歴史を抱えているため、それらの建前と実態との乖離がますます露出してきたからです。欧米は移民・難民問題を抱えており、この問題が生み出す異民族、異教徒間の緊張関係が深まれば深まるほど、建前の欺瞞性が明らかになってきました。EUの見せかけの寛容さの下で、シャルリー・エブド事件、難民たちによる数々の暴動、ホームグロウン・テロ(国外の過激思想に共鳴した国内出身者が自国内で起こすテロ)、本国人たちによる逆襲、難民受け入れ停止国の出現、移民排斥・移民制限を訴える政党の勢力伸長など、もはや収拾がつかないありさまです。

 トランプ大統領が登場したことによって、PCの硬直性に風穴を開けようという雰囲気が新たに生まれました。空疎な理想主義を追わずに、現実をよく見て、本音で大いに語ろうではないかという雰囲気ですね。しかし彼のやり方、とくにアラブ7カ国(のち6カ国)からの移民・難民制限政策がやや急激であったため、それに対する感情的反動もものすごく、連邦地裁やいくつかの州の地裁で大統領令差し止めの仮処分がなされたほか、理念を前面に押し出す民主党陣営の反トランプ勢力も強く、トランプ氏は劣勢に立たされています。
(iStock)
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 けれども難民受け入れ制限についてのトランプ氏の大統領令の中身をよく見ると、テロを防ぐという現実的な観点からは当然といってもよいもので、格別、差別主義とか排外主義とか呼べるものではありません。ちなみにこの点については、拙ブログをご参照ください。