【9月21日付、植松聖被告の手紙】
 この度も『創』10月号を差し入れて貰いまして誠にありがとうございます。
 篠田先生がほとんど頭のメモだけで鮮明に記した対談を拝読させて頂きました。優れた脳ミソは、創りがどう違うのか、とても気になります。
 そこで、訂正ではないのですが、私は謙遜して「半分の同意」と答えています。
「意思疎通がとれない者を安楽死させる」考えを本心で否定するのは「バカ」と「ブサイク」です。
 バカは自分で考えることができずに、常識を丸呑みし、ブサイクは風当たりが厳しい為に、周囲の意見に同調します。更に言うと「自分より下の存在」が欲しいだけかもしれません。
 希望の無い者は人の足を引っぱることしかできませんし、山程ある問題を何も解決せずに否定をすることが博識と勘違いしています。
「私は考えています」それを主張する為に「障がい者」「障碍者」と述べる識者を、本当はバカなんだろう。と、疑っています。
 もし、手足がなければ面倒で不便な障害ですが、それを克服して強くなる姿に感動を覚えるはずです。
 人を想う心があれば、障害者も健常者も関係ありません。人生は、大麻を吸って楽しくお喋りすれば、それで充分です。
 
 日本人は「大麻」に対する無知の知を認め、学ぶ必要があります。
 大麻が「薬」になる理由は、楽しい心が身体を「超回復」させる為です。
 大麻は生産性が落ちると指摘されますが、それは完全な誤解であり、その原因は“気温”です。
 大麻を認めない本当の理由は「タバコ・精神薬」を売り捌く為です。
 大麻を吸うと「生きている喜び」を改めて実感します。生きることが当たり前の社会では、命に対して無自覚になります。
 皆様は、首輪でしばられた番犬の気持ちを考えたことがあるでしょうか。
 津久井警察署の前の家では番犬を飼っていましたが、その鳴き声は「人間死ね‼」と、憎しみに満ちていました。
 私は、大麻を吸って障害者支援の夜勤をしたことがあります。それは、より心を開き会話を試みる為ですが、それでも、心失者とは会話ができませんでした。
 話を戻しますと、年金・生活保護受給者などの自立できないヒマ人ばかりが声を挙げる日本で、私の考えに賛同できるはずがありませんし、空気を読めばそれが異質な思想であると分かります。
 ですが、その集団から離れて個人に問いかけた時に、心失者を擁護するわけがございません。彼らを安楽死させることは仕方が無いことです。
 このような文章では反感を買うだけかもしれませんが、私に人心掌握する技術はございませんので、自分の信じる正論を述べることしかできません。