「殺害された19人は記号」元職員が感じた相模原事件の生きた証

『月刊「創」』 2017年5・6月号

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西角純志(津久井やまゆり園元職員)

 津久井やまゆり園の事件から半年を経て、NHKは2017年1月26日に「19のいのち」というサイトを立ち上げました。犠牲となった19人のプロフィールをイラストを使って紹介し、関係者のコメントやいろいろな意見を取り上げています。
 
 それ以前にNHKで放送されたのが、私が出演した2016年12月6日の「ハートネットTV シリーズ相模原障害者施設殺傷事件 匿名の命に 生きた証を」でした。

 その活動そのものは『創』2016年10月号「亡くなった19人中6人が私がお世話した方だった」や『現代思想』同10月号に「津久井やまゆり園の悲劇―『内なる優生思想』に抗して」を寄稿した昨年9月から始まっていました。私は、やまゆり園の元職員として自分にできることは何かと考えた場合、19人の「声なき声」を拾い集め、文字化・言語化していくことだ、と思っていました。その頃は、ちょうどNHKから取材を受けていた時で、「ハートネットTV」の密着取材のもと、私はやまゆり園関係者に連絡を取るようになったのです。

 今回の事件では、犠牲者19人は語られない人、語るに足りる人生がなかった人とされています。遺族の感情を考慮し、名前を公表しないという警察の匿名発表もこれを裏打ちしています。彼らは殺害される以前から語ることができない人にされておりました。19人が記号としてしか処理されていない今回の事件を見て当惑するのは私だけではないと思います。

 犠牲者一人ひとりの人生は津久井やまゆり園で共に過ごしたボランティアさんも含めて多くの人々の心に刻まれているはずです。19人の「生きた証」を言語化し文字化するというのは、植松容疑者の「障害者はいなくなればいい」という言動に対する社会的なアンチテーゼでもあります。「痕跡も何もなくなればいい」ということではいけなくて、痕跡を残していく必要があるのだ、それが事件を風化させない、忘れない、というメッセージになると考えました。

 ただ、今の段階で考えてみると、それだけではなく、今後、匿名での裁判ということになれば、裁判における証言として、「生きた証」というものが意味をもつことになるとも考えられます。

「津久井やまゆり園」の元職員・太田顕さん=2017年2月21日、相模原市 
 今回の「聞き取り」活動そのもののアイディアは私ですが、やまゆり園に勤めていたのは2001年から4年間だけなので、園に36年間勤務した太田顕さんに協力を依頼しました。太田さんとは懇意で、『現代思想』の原稿を見てもらったりもしていました。具体的にどのような取り組みを行うか、ということで、2016年11月から元職員等に聞き取りを始めることにしました。11月5日に太田さんの家で打ち合わせをして、それから2週間ぐらい連日、連夜、やまゆり園関係者などいろいろな所を回りました。

 「ハートネットTV」は反響を呼んで、『東京新聞』が12月8日夕刊トップで報じ、そのあと朝日、読売、産経、毎日と取材が続き、年が明けてからも共同通信、NHK、時事通信、神奈川新聞の取材がありました。12月15日の阿佐ヶ谷市民講座では報道陣含め約70名の参加者がありました。こんなに関心が高いとは思いもよりませんでした。

 12月26日には献花台の撤去のニュースが流されました。これは『日刊スポーツ』が一面を割いて報道しました。当日の「報道ステーション」では、(名前は出ませんでしたが)、私の「あなたたちを忘れない」「事件を風化させない」というメッセージが報じられました。26日朝のNHK「おはよう日本」では、献花台撤去に合わせて「ハートネットTV」のダイジェスト版が流されました。
「そっとしておいて下さい」

事件発生から半年を前後にして、新聞各紙に「生きた証」に関する様々な記事が出ました。26日にはNHK「首都圏ネットワーク」と「ニュース7」でも活動について報じられました。

 植松容疑者の鑑定留置終了後の起訴にあたって特集を組みたい、ということで、2月に入って、TBSの密着取材を受けました。その間にも県の地元説明会や、移転に伴う専門部会があり、私も傍聴しています。

 19人が亡くなられて、職員含む27人がケガをされましたが、NHKやTBSの取材・ロケで訪ねて行けたのは10人ぐらいでした。やはり当初は、(今もそうかもしれませんが)元職員の中には自分のことのようにショックを受けている方もおられ、取材に応じていただくのが難しかったこともあります。

追悼式には遺族ら関係者が多数出席した=2017年7月24日、相模原市南区
 『創』2016年10月号では19人中6人の方のお世話をしていたと書きましたが、関係者を訪ね歩く中でもう一人お世話していた方がいることに気が付きました。その方は、私がいた当時は短期入所だったのですが、後に本入所になったのです。元職員を訪ねる中で、特徴を聞いて「あ、この人、○○さんだ」と分かったのです。

 太田さんと私は誰をどう訪ねるか、という計画を立てて、最初にボランティアさんを訪ねました。でもボランティアさんは入所者を知ってはいたものの、ごく短い期間なので、名前と顔がなかなか一致せず、思い出というところまでは出てこないようです。

 やまゆり園は同性介助が原則なので、男性の入所者についてはほぼ分かるのですが、女性入所者については情報がありません。太田さんにセッティングしてもらって、女性元職員3人の座談会を考えていました。でも結局、直前になって断られ、実現しませんでした。それで私の知っている女性元職員に当日になって直接電話をかけました。 

 やまゆり園の職員や入所者がよく通っていたのが近くの食堂「キッチンたかはし」で、私もよく知っていたので突然訪問して、いろんな情報を得ることができました。

 犠牲者19人のうち分かったのが14人だった。私たちが退職した後に入所された方もいらっしゃるので、その方は私たちにも分かりません。

 その他の被害者についてはどうなのか、誰がどうケガをしたのかなどもまだ分かりません。被害者として公表されているのは、尾野一矢さんと諸橋孝治さんの2人だけです。女性だと、野口貴子さんが実名公表されました。また、森真吾さんも事件発生当時は名前や顔を出されていました。

 職員の誰がケガをした、といったことも公式には出ていません。事件の時に結束バンドで縛られた職員というのも名前は出ていませんし、発言もしていません。2月23日には現役3人の職員が心的外傷後ストレス障害(PTSD)の労災認定を受けたニュースがありましたが、被害者の名前というのは職員も含めて出ていないのです。警察発表で新聞に名前が出たのは尾野一矢さん、諸橋孝治さんの2人です。私は職員の住所録をたまたま持っていました。その住所録を手掛かりに何人か当たっています。

 仲のよい県の職員もいるのですが、県から通達が出ていて、「取材には応じられない」というのです。現役職員にはまだ当たることができていません。ただ4月になると人事異動があるので、その中でいろいろな情報が出てくる可能性はあります。

 14人分かった犠牲者のうち直接当たることのできたのは3人でした。ひとりは、存命中ずっと太田さんがご家族と関わりのあったラジオが好きな男性。もうひとりはお兄さんが大好きな女性の方です。ある男性からは最近「どうぞこのままそっとしておいて下さいませ」とのお返事をいただきました。
園の建て替えをめぐって

 ラジオが好きな男性、通称「ラジオさん」の場合は、存命中から家族と職員とのつながりがあったので、何とかコンタクトを取ることができました。そのようなかたちで直接は3名ですが、もう少し増やしていきたいと思っています。元職員への「聞き取り」では、電話を切られたことも度々あります。関係者の間ではいまだに閉塞感があります。語ることができる雰囲気を作らないと、なかなか口を開いてもらえない感じです。

 やまゆり園の再生構想として建て替えが決まったのは9月12日でした。年明けの1月10日、県は、有識者と障害者団体を招いて公聴会(ヒアリング)を開きました。この時、建て替えに関しては、反対意見が多数出されました。80億円をかけて建て替えすることをめぐり「同じ場所に再び大規模な施設を造るのは時代錯誤だ」「入所者の本人の意向を確認するべきだ」といった意見です。

 今でも「地域移行が先だ」「グループホームのような小規模型の施設にせよ」「同じ場所で建て替えるのは事件をなかったかのようにするものである」といった批判があります。

 一方で、「お別れ会」というのが10月16日にやまゆり園で行われました。園と家族会の主催によるもので、約400人が参加しています。これは「非公開」でしたので、私たちもメディアも入っていません。ただ、参加者の中にICレコーダーに録音されていた方もいたので、私たちも聴くことができました。これは、10月21日の『神奈川新聞』で活字化されています。

 亡くなられた方一人ひとりのエピソードを入倉かおる園長が遺影を掲げて名前を呼びながら語られています。ただ、男性2人、女性1人の計3人だけは名前も遺影もなかったそうです。

事件から1年を前に、津久井やまゆり園の内部が報道陣に公開された=2017年7月、相模原市
 『東京新聞』11月18日によれば、「遺族によっては、やまゆり園への入所を知らせておらず、偽名で葬儀をせざるを得なかった方もいる」とのことです。

 10月22日に旧相模湖町の元町会議員、宮崎昭子さんの呼びかけで、障害の有無にかかわらず「共に生きる社会を考えるつどい」が相模湖公民館で開かれました。「お別れ会」が地元住民に「非公開」であったこと、あるいは、東京や横浜では「つどい」が開かれましたが相模原では開かれなかったことへの疑問もあったのかもしれません。25人の参加者がいて、翌日の『神奈川新聞』『東京新聞』『しんぶん赤旗』NHKニュースでも報道されました。地元ではその後、11月27日、最近では3月22日にも「つどい」が開かれました。他方で、11月16・18・19日には県による地元説明会があって、慰霊碑を建てて欲しい、という要望が出たりしています。

 毎月一回開かれる家族会にも犠牲者の家族は来ていません。家族会の大月和真会長は「遺族は語れる心境にはない」と言っておられました。大月会長自身は、1月26日を前後して取材に応じられています。

 園の建て替えをめぐっては、やまゆり園の家族会が考えているものと障害者団体が考えているものとでは、ちょっと意向が違います。障害者団体は地域移行前提とまでは言いませんが、分散型の小規模なものにして欲しい、という考えです。

 ところが、大月会長が配られたものを見ると、本来ならば障害者団体は我々家族会を応援していただきたいところ、そうではない形になっている、といいます。家族会では「津久井やまゆり園という言葉を聞きたくない」という方もいたりするそうです。
封印された犠牲者たちの人生

 犠牲者遺族の間で匿名についての意識は変わってきていると思います。なぜかと言うと、「19のいのち」のサイトで、何人かの方のイラストや遺族や元職員の方の語るエピソードが今も更新されています。つまり、NHKは遺族にアタックしているわけですね。イラストであれば顔を出していいですよ、とか少しずつ変わってきているようです。NHKなど報道関係者は別としても、現在、犠牲者に直接当たっているのは太田さんで、元職員については私が何人か当たっています。

 植松被告に東京、朝日、毎日、神奈川の各紙が接見して、3月1日にその発言が報じられました。マスコミ各社の間では、「弁護士がちょくちょく接見に来ているようで、おそらく報道のされ方を見て、面会に応じるのをやめさせるという、方針転換をしたのではないか」という憶測が飛び交っているそうです。

 「聞き取り」活動をする中で考えたことは、事件の後、オリンピックやパラリンピックが来ることになって、そちらの方は名前が連呼される一方で、事件の犠牲者たちのほうは「語られない」「語るに足りる人生がなかった」ものとされてしまっている。そういう中で「声なき声」を拾い上げる、事件を風化させない、ということです。

 「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」、という言葉があります。この言葉はナチス・ドイツからアメリカに亡命したユダヤ系知識人テオドール・W・アドルノが戦後の西ドイツに帰還した際に、「文化批判と社会」(1949年)に書き記した言葉としてよく知られています。

 アドルノは、死者や犠牲者を忘却し、何事もなかったかのように「以前」の文化を保持し続けようとする肯定的な、自己保身的な態度を痛烈に批判しています。

 死者や犠牲者を前にして何もできなかった自分自身の無力さが、生き残った者の良心をさいなむというのです。容疑者によって殺害され家族によっても封印された犠牲者たちの人生とは一体何だったのでしょうか。

 役に立たないものは切り捨てる、障害者がまさにそうだ、というのが植松容疑者の論理だとすれば、それに対するアンチテーゼとして、資本主義的な合理性・効率性に対する批判になります。健常者は資本主義の論理でどんどん効率的に仕事ができるけれど、障害者はそうでない。専門的な言葉で言えば、労働価値説の世界をどう考えるか、再生産論、贈与論という問題にもつながってきます。障害者という存在それ自体が、資本主義に対する批判になるのではないかと考えています。柄谷行人は『世界史の構造』(岩波書店、2010年)においてマルクス主義的な「下部構造」を「生産様式」としてではなく「交換様式」として捉えなおすことを主張されていますが、これを理論化しなければならないと考えています。

「津久井やまゆり園」の献花台に手を合わせる男性 =2016年8月、相模原市緑区(三尾郁恵撮影)
 今回の事件は、施設職員や福祉関係者が受けた衝撃よりも、障害を持った当事者とその家族が受けた衝撃の方が大きいのではないかと思います。というのも、献花に訪れるのは障害当事者や障害者の家族が多いからです。彼らは自分の身内や親族でもないのに他の都道府県からも献花に訪れています。

 やはり当事者の問題としてこの事件を捉えているからではないでしょうか。ナイフを向けられたのは19人だけではなくて自分たちにも向けられたのだということです。車椅子で散歩をしても襲われるのではないかという不安もあるという話を聞きます。その一方で残念ながら事件があったことすら知らない障害者や、知らせない、口にしない職員や施設があることも事実です。

 しかしながら「生きた証」の公表の道筋は決して容易なことではありません。被害者家族、家族会の意向もあり、そして地域住民、運営母体である「かながわ共同会」の思惑もあります。地域社会の再生への道のりはまだまだ険しいのが現実です。

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