吉野嘉高(筑紫女学園大学教授)

 「むき出しの好奇心になど屈しない」。

 鼻っ柱の強そうな山尾志桜里衆院議員がいかにも放ちそうな言葉だ。神奈川新聞の記事を読むと、この文言通りに発言したのかどうかは定かではないが、山尾氏のメディア対応についての決意を読み取ることができる。

 その決意とは、週刊誌で不倫疑惑を報じられた倉持麟太郎弁護士を政策顧問に起用するにあたり、男女の関係があったかどうかということを含め、今後は「『私』の部分に一定のライン」を引き、この件に関係するプライバシーは一切公表しないというものである。
無所属で当選し、喜ぶ山尾志桜里氏=2017年10月、愛知県長久手市(安元雄太撮影)
無所属で当選し、喜ぶ山尾志桜里氏=2017年10月、愛知県長久手市(安元雄太撮影)
 
「むき出しの好奇心」は、著名人のスキャンダルを追う週刊誌やワイドショーの取材の原動力になっているし、その背景には、何百万、何千万という一般読者や視聴者が、こうしたメディアコンテンツをチェックしている。著名人のプライベートな部分を知りたいという情動は多くの日本人によって共有されているのだ。

 スマートフォンで著名人のスキャンダル記事をつい見てしまうことはないだろうか。ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)に書き込みをしてバッシングに参加しなくても、炎上を眺めながら、たたかれている著名人への優越感、たたく側に属していることで得られるつかの間の全能感、一体感などを味わっているのであれば、山尾氏が忌み嫌う「むき出しの好奇心」をあなたも内に秘めているということになる。

 それを断罪するつもりはない。筆者はテレビ局でワイドショー番組の担当をしていたときに「むき出しの好奇心」に突き動かされるように、芸能ネタ、事件ネタを探していたこともあるからだ。そのような欲望に応えることができるネタがウケることも十分に理解できるが、取材される側にとっては、メディアに追いかけられることが心理的負担になるのも確かである。

 では、山尾氏が強い不快感を抱いた「むき出しの好奇心」に下支えされた取材や報道は控えるべきなのだろうか。

 この問題を考えるにあたり、まず広い意味での「報道」の判断基準について述べたい。番組、あるいは週刊誌などで取り上げるべきトピックかどうかの判断基準は二つあると、筆者は考えている。一つは「一般の人が関心をもつもの」(一般の人が好奇心を刺激されるもの)、もう一つは「公共性があるもの」である。この二つの要件をクリアしたものが広い意味での「報道」に値する。ワイドショーであっても、好奇心を刺激するだけで公共性がない著名人のプライバシーを取材し放送することは許されないという考え方だ。

 この判断基準はニュース番組や新聞記事にも適用できる。こうしたおカタいメディアには、「公共性があるもの」という点がより重視されるものの、「一般の人が関心をもつもの」という要素を度外視することはできない。