ローラの「奴隷契約」を公取委のメスは是正できるか

『杉江義浩』

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杉江義浩(ジャーナリスト)

 解散したSMAPをめぐる一連のゴタゴタや、NHK朝ドラ「あまちゃん」でブレイクした女優、のん(能年玲奈さん)が所属事務所から独立したために仕事を干され続けたことのほか、ローラさんの件など、タレントが所属する芸能プロダクションとトラブルになるケースが最近増えているのは、みなさんよくご存じの通りです。
「日本財団DIVERSITY IN THE ARTS企画展」のレセプションに出席した元SMAPの香取慎吾=2017年10月、東京都港区(中井誠撮影)
 こうした芸能人やスポーツ選手が、所属する芸能事務所などと交わす契約などについて、公正取引委員会が調査を始めました。独占禁止法に抵触しないか調べるためです。そしてこの問題に関する第1回目の有識者会議が今年8月に開かれました。

 そうなると長年にわたって「特殊な世界」として放置されてきた日本の芸能界に、初めて行政のメスが入ることになります。これは極めて画期的なことですが、同時に新たな難問に取り組むことにもなりそうです。

 念のため申し添えておくと、私がテレビ番組制作の現場で経験してきた範囲に限って言えば、ご一緒させていただいた芸能人の方々は、ほぼ全員が所属事務所との関係が良好でした。たまたまラッキーだったのかも知れませんが、数百人にのぼる芸能人のほぼすべてです。ですから決して多くの芸能人が所属事務所とのトラブルを抱えているわけではないと言えます。

 ただ、少数であっても、所属事務所によって権利を侵害されているタレントがいたり、元所属事務所からの不当な圧力で活躍の機会を奪われたり、といった事態が生じていることは見過ごしてはならないでしょう。タレント本人の問題のみならず、そのパフォーマンスを享受している社会全体にとっても、業界の発展にとっても、悪影響をもたらす問題だと捉えて改善すべきです。

 「専属芸術家統一契約書」。この聞き慣れない名称の一通の書類は、普通の人はまず目にすることはありません。しかし、日本の芸能プロダクションの間では広く使われていて、タレントはまずこの契約書にサインします。日本音楽事業者協会が作成したひな形で、事実上の共通様式です。

 タレントと芸能事務所、両者の権利関係がこれで決まるわけですが、この統一契約書の内容に、そもそも問題があると指摘する弁護士もいます。

 私の手元にあるのは平成元年改訂版ですが、その中にはタレント側が事務所を辞めるときには、事前に事務所からの書面による承諾を必要とする、といった規定があります。これは事実上、事務所側がOKしなければタレントは永遠に移籍も独立もできないという意味ですから、たしかに事業者と事業者の対等な関係とは言えないでしょう。
突っ込みどころ満載の契約書

 統一契約書の内容には人権上の問題さえあり、突っ込みどころは満載だといえます。しかし、公取委はこれに踏み込むなら、新たな契約のあり方を示したひな形の作成まで、責任を持って取り組むべきではないでしょうか。それは相当な難題ですが、避けては通れない課題ですから、しっかり完遂してもらいたいと思います。
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 もちろん芸能プロダクション側の言い分もわかります。タレントが売れない頃から多くのお金と時間をかけて、滑舌やボイストレーニング、ダンスなどのレッスンを行い、プロとしての心得やマナーを教育し、多大な広告宣伝費を投資するわけです。それがいざ売れっ子になり、収入を得られるようになった途端にポイと辞められたのでは、資金を回収できずにたまったものではない、という主張です。

 これは、誰がタレントを育成するのか、という議論が必要なことを意味しています。またどこまでがタレント個人の才能で、どこまでが周囲の力かという深遠なテーマにもつながってきます。

 これらは個別の事例によって極めて差が大きく、ほとんど指導しなくてもタレントが自らぐんぐん成長し、大スターになる人もいれば、いくら育成にお金と時間をかけても、まるで売れずに終わる芸能人もいるわけです。

 そのリスクの一部を事務所が引き受けているのは事実ですが、だからといって売れたタレントを生涯支配し続けてもよい、という根拠にはなりません。タレントは単なる商品ではない、人間である、という認識は常に重要です。

 もう一点、契約の問題とは別に、大手芸能プロダクション数社が市場を独占しているのではないか、という疑惑も表沙汰になるかもしれません。いわゆる闇カルテルです。私はむしろこの問題こそ、日本の芸能界のダークな部分であり、必要があれば行政がメスを入れるべきテーマだと考えます。

 ネット上では既に大いに語られていますが、テレビのワイドショーでは決して話題になることがない「タレントの誰々が事務所からの圧力によって仕事を干されている」といった情報。テレビ局がなぜそういう情報を発信しないのかというと、テレビ局自体も大手芸能プロダクションの意向に気をつかい「仕事を干す」片棒を担いでいる共犯者であるからです。
一介の芸能プロがなぜ干せるのか

 常識的に考えると、そもそもなぜ一介の企業である芸能プロダクションが、自社を離れたタレントに対してまで「仕事を干す」「テレビに出させない」といった実力行使ができるのか。不思議に感じるのが当然だと思います。CMに出演させるか、させないかを決めるのは、スポンサーであるはずだし、番組に出演させるか、させないかを決めるのは各テレビ局の判断であるはずです。
(iStock)
 にもかかわらず大手芸能プロダクションが、なぜテレビ局というマスメディアに対して圧力をかけられるほど権限を持つのかというと、まさに市場を独占しているからだと考えるのが自然でしょう。

 芸能プロダクション同士が自由競争の状態にあれば、A社の芸能人がダメならB社、B社がダメならC社の芸能人、という出演者の選択肢がテレビ局にはあるはずです。しかし、A社からE社まで市場が寡占状態にある時、それらの各社が談合してカルテルを結べば、一つの芸能事務所に逆らうことはすべての出演者を失う可能性を意味することになります。

 売れっ子の大物芸能人を出演番組から引き上げさせる、という脅しをかけられると、民放各局は反抗することができません。それくらい現在の番組の視聴率は、出演者の人気に依存しています。人気のある芸能人の名前を冠した「誰々のなんとか」というタイトルの番組が、軒並み視聴率を稼いでいることからも想像がつくと思いますが、発注側のテレビ局と受注側の芸能プロダクションの力関係が逆転しているのです。
 
 テレビ局といった報道機関にまで影響力を行使するほど、芸能プロダクションの権限が肥大化するのは、決して健全なメディアの状態ではありません。

 芸能界の市場独占に行政のメスが入ることに期待するだけではなく、テレビ局自身も毅然として自らの編集権を守るべきです。そのためには芸能人の人気に全面的に依存するのではなく、自社の演出力を磨いて視聴率が稼げるよう、番組作りの体制を整える必要があると思います。

 ハリウッドでは俳優を育成しません。自分で俳優学校へ行って学び、エージェント会社を雇います。エージェント会社は仕事を探してくるブッキング業務だけを行い、マネージャーは別に雇います。日本の芸能事務所は、タレントの育成から日々のマネージメント、番組の構成・演出を手がける企画制作プロダクションまで、一社で全てを兼務する特殊な存在になっています。これが芸能界のゼネコンとして、事務所が権限を独占する一因でもあるでしょう。
「義」を求めるなら「仁」を示せ

 今回の公正取引委員会による芸能事務所への介入は、旧態依然とした日本の芸能界特有のシステムを見直し、時代に即した健全な業界へと生まれ変わらせる大きなチャンスであることは事実です。ただし、メスを入れる以上は、責任を持って、これまでの因習に取って代わる代案を出すべきで、それはタレント個人の人権を守ると同時に業界全体を活性化するものでなければなりません。

 いわゆるお役所仕事にありがちな、メスを入れるだけ入れておいて、野暮な正論を押しつけておしまい、というのでは業界が萎縮してしまうでしょう。日本の芸能界には、アジア各国への輸出をはじめとする国際競争力のあるエンターテイメント産業として、今後も発展する潜在能力があります。

 タレントの育成も含めて、業界に関わる事業者すべてがフルに力を発揮できるような、新しいビジネスモデルが見えてくるレベルまで議論を尽くすべきです。それは決して容易な作業ではありません。

2016年7月に所属事務所から独立した女優、のん(小山理絵撮影)
 単純に欧米の契約社会で生まれたドライなエージェント制度を、そのまま日本に輸入しても、うまくいかない気がします。日本の芸能界が独自に発展してきた背景には、良くも悪くも職人の徒弟制度のようなウェットな側面があります。また場合によっては学齢期の子供を預かり、社会人として育てる教育機関としての側面もあります。

 これまでの日本の芸能界は、いわば「仁」「義」「礼」といった日本人らしい美徳を基本にして、その伝統的な倫理観によって成り立ってきた社会と言えるかもしれません。それを対等で合理的な契約関係へと生まれ変わらせることが、今、求められているのです。

 タレント側に育ててくれた事務所に対する「義」の心を求めるのなら、事務所側には、広く世のため人のために巣立つ子供を見送る親心「仁」の精神が不可欠でしょう。こういった美しい日本の心を失うことなく、今の時代に合った新しい芸能界のあり方を策定するのは、相当な難問だと言えそうです。

 このあたりをどう処理するのか、有識者会議の腕の見せ所だと思いますので、注意深く見守っていきたいと思います。

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