八幡和郎(徳島文理大教授、評論家)

 結果的には、自公連立勢力の圧勝に終わった総選挙であるが、極めて遺憾だったのは、憲法にのっとった政権選択のプロセスに対して、これを尊重する必要がないという執拗(しつよう)な攻撃が、朝日新聞を代表とする「自称リベラル勢力」から繰り返されたことである。

 選挙の前には「解散して国民の判断を求めることは大義がない」といい、選挙が始まったら「たとえ、与党勢力が過半数を取っても、現在の議席より減ったら辞めるべきだ」と批判した。ところが、自公が公選前の議席数を確保すると「議席数だけで結果を論じるべきでない」「得票率は過半数を割っている」「棄権も含めれば国民の4分の1くらいにしか支持されていない」と主張しはじめた。
2017年11月1日、特別国会が召集され、開かれた衆院本会議
2017年11月1日、特別国会が召集され、開かれた衆院本会議
 さらに、公職選挙法で禁じられている選挙活動への妨害行為を正当化し、しかも、それを針小棒大に「国民の声」として報道した。これは、もはや憲法にのっとった民主主義のプロセスを愚弄(ぐろう)し、その正当性を否定する暴挙であり、ナチスやボリシェビキのやり口にたとえられるべきものだ。 

 「立憲主義」という言葉は、英語では Constitutionalism、フランス語でConstitutionnalismeというが、それほどメジャーな言葉ではないし、その内容を明確に定義できるものではない。だいたい、英国では成文法としての憲法がいまだにないのである。ただ、憲法やそれに類する基本的な法原則を権力行使の前提として尊重すべきだという考え方だ。

 その意味では、選挙で政府を選ぶということを前提にしているわけですらない。むしろ、政府は国家元首が指名し、それに対して議会が必要な立法権や予算のチェック機能をもつという意味合いだ。実際、現在でも欧州諸国では、国王や大統領が首相を指名して、政党色がない実務内閣が成立することもときどきある。

 ただ、日本では明治時代、王政復古の大号令で天皇とその権威によって指名された取り巻きが立法や行政を動かしていたのに対して、憲法を制定して議会を設置すべきという自由民権運動が興り、その結果として、当時の欧州の政治思想に沿ったかたちで、大日本帝国憲法が制定された。帝国憲法では、内閣が議会での多数政党に基盤を置くことは当然の前提とはされていなかったが、実際に制度を運用していくうちに、そうしないと制度が機能しないことが明らかになった。そこで、大正2年に桂太郎内閣、13年に清浦奎吾内閣といういずれも政党に基盤を置かない超然内閣に対して、2度の護憲運動が起こり、議会の多数党を基盤とする政府を原則とするという考え方が確立された。