小浜逸郎(批評家)

 両吉田問題に関わるこのたびの朝日新聞の、あきれ返る愚挙の連続に関しては、いまさら多言を要しますまい。クォリティ・ペーパーなる看板の虚妄性が完膚なきまでに露見したといってよいでしょう。本欄では、少し違った観点から、この愚挙が巻き起こしている現象の問題点を指摘しておきたいと思います。

 ご承知のように、ほとんどの保守系メディアは、ここぞとばかりに朝日叩きに膨大なエネルギーを注ぎ込んでいます。そのことは朝日新聞というインチキメディアの体質を暴き、少しでも日本のジャーナリズムをよい方向に導くことにとってぜひ必要でしょう。またいずれにせよ、このホットな話題はビジネスとして使えるので、ここ当分朝日攻撃の流れは続くと思います。

 しかし気になることが一つあります。それは、朝日新聞という一民間会社への攻撃と責任追及に血道を上げる空気に支配されるあまり、朝日が作り出した大きな国益毀損に対して、政府として今後何をすべきかがあまり論じられず、政権の具体的な動きも鈍いように思えることです。

 従軍慰安婦問題に関しては、中韓の強引極まる反日攻勢が国際舞台でのさばっているために、日本のイメージの汚染を払拭することが難しくなっています。この第一の難事業の遂行を、訂正報道の英訳版さえこそこそとしか発表していない当の朝日に期待することは無理でしょう。まず政府こそが率先して誤ったイメージ払拭のための強力な宣伝戦に乗り出さなくてはなりません。

 国会内には、朝日新聞関係者や河野洋平氏を国会に参考人招致すべきだとか、朝日新聞自身が根本的に検証すべきだなどの意見もありますが、そんな内向きの指摘は、ほとんど何の意味も効果もないでしょう。こういう日本お得意の悠長な「ムラ社会」論議をやっているから、わが国は舐められるのです。

 とはいえ政府部内では、わずかに稲田朋美政調会長が9月3日のBSフジの番組で、河野談話について「虚偽で国の名誉が世界中で失墜している状況は嘆かわしい。名誉回復のために全力で政府も与党も頑張る必要がある」と述べ、談話見直しも含めた対応の必要性を指摘しました。この発言には大いに期待したいと思います。

 しかし、河野談話の見直しという方向性については、安倍総理がかつて「見直しは考えていない」と発言しており、言質をマスコミに取られている関係上、「見直し」は難しいと思います。中途半端な弥縫策は取らないほうがいい。また河野談話は恥ずべき歴史資料としてそのまま残す必要もあります。そこですでに稲田氏も言及している提案ですが、朝日の失態による情勢の新たな展開を存分に活用し、まったく新しく慰安婦問題に関する「安倍談話」を発表するというのはどうでしょうか。安倍総理は「河野談話をそのまま引き継ぐ」とはいっていないのですから、「慰安婦問題そのものが虚偽に基づいていたことが判明したので意味がなくなりました」といえばよい。「見直しは考えていない」という弱気発言を逆用して強気発言に転化するのですね。

 ただし、これをいきなり出すのは拙速です。まず順序として政府があらゆる外交ルートを通じてクマラスワミ報告などを撤回させます。そしてこの問題に関する国際社会における信用がほぼ回復できたと見込めた時点で、きちんとした声明として発信する。これが賢いやり方でしょう。

 もう一つの「吉田調書」問題に関してですが、これもただ朝日攻撃だけを繰り返していても仕方がありません。要点は、所員が吉田所長の命令に違反して撤退したという朝日の捏造記事によって、日本原発の現場技術者のイメージが国際的に毀損されたところにあります。ですから、政府自身が、あれは国内一メディアの誤報であり捏造であったというメッセージをしつこく発信し、真実を伝え直す努力をしなくてはなりません。

 福島原発事故にまつわる風評被害は数知れませんが、この捏造記事は、たんに命を懸けて事に当たっていた所員の人たちの名誉を傷つけただけでなく、原発そのものの危険を過大に印象づけることに貢献したでしょう。じっさい反原発イデオロギーの煽動にこれ努めてきた朝日新聞には、そういう意図があったと筆者は思います。

 ですから、この点でも、朝日の捏造を倫理的に糾弾しているだけでは足りないのです。原発再稼働が日本のエネルギー安全保障にとって喫緊の課題であることは、本欄でも触れましたが、すでにベースロード電源として位置付けられている原子力の重要性を、これを機会にさらにアッピールして、国民の理解を得る必要があります。そのためには、福島事故以降の原子力研究者や現場技術者たちが、いかにより安全な原子力発電の実現をめざして日夜努力を重ねているかを広く知らせるのが一つの方法でしょう。その努力を支えている意志は、あの日、吉田所長の退避勧告にもかかわらず現場に戻ってきた所員たちの心意気と同じものなのです。

 いまだに6割の人たちが原発の存続に反対していますが、これは多くが、確かな知識や情報もないままのただの気分に基づくものです。この現状を少しでも打破することは、国民の福利を何よりも優先すべき国家の責任ではないでしょうか。

 政府の要人は、ムラ社会的な「朝日いじめ」の空気だけに流されず、いま何をなすべきなのかを、広い視野のもとに冷静に考えるのでなくてはなりません。