ちなみに李容洙は2007年のアメリカ下院公聴会でも「16歳の秋、国民服に戦闘帽姿の日本人男性から革靴を見せられ、母親に気づかれないように家を出た」という内容を語っている。ところが、どうしたことか、直後に来日すると「日本兵に連行された」と語り、「日本兵が家に侵入してきて、首をつかまれ引きずり出された」「軍人と女に刀をつきつけられ、口をふさがれ連れ出された」などと証言したのである。下記の一文は2009年3月に彼女が語った内容である。

 オンマは、生まれたばかりの弟のいる部屋の方にいました。わたしの家はわらぶき屋根の家で、後ろに小さな窓がありました。何か物音が聞こえたようなので窓の方を見ました。すると、数日前、ヨモギ採りにさそってくれた友だちが手招きしています。

 「なんだろう」

 外に出てみると、友だちのそばに目深に帽子をかぶった軍人が立っていました。友だちは、その男から手招きされるようにいわれたといい、わたしに風呂敷包みを渡しました。さわってみると、そこには靴と服が入っているようでした。

 「いっしょに来い」

 軍人はそういうと、歩き出しました。怖くなって逃げようとしたのですが、友だちが「行こう」といって歩きだしたので、わたしも風呂敷包みをもってついて行きました。近くの踏切まで行くと、そこに三人の女の人が待っていました。そして、そのまま駅につれていかれ、五人は汽車に乗せられました。わたしはそれまで、汽車に乗ったことがありません。怖さと不安と乗り物酔いで、わたしは吐きながら叫びました。「オンマ!オンマ!」

 軍人はわたしを黙らせようと「チョウセンジン!」「チョウセンピー!」と怒鳴りながら、わたしの髪をつかんで床にたたきつけました。(李容洙・高柳美知子、『わたしは日本軍「慰安婦」だった』、新日本出版社、2009年、29~30頁)

 ちなみに、上記の内容は「15歳の私に起こったこと」らしく、年齢も92年の証言とは食い違っている。これ以外にも彼女の証言は食い違いが数多く指摘されている。李容洙の証言が時と場によって変わるのはかねてから指摘されてきたことで、慰安婦問題に関心を持つ日本人の間でも広く知られている。ただし、韓国国内においては元従軍慰安婦女性の証言に異議を差し挟むことは「社会的なタブー」であり、誰もその証言の矛盾について指摘しようとしない。

 韓国国内では元慰安婦女性は(銅像も含めて)神聖にして侵すべからざる存在であり、その証言は聖書の聖句のように、一字一句疑わず押し頂かなければならないものなのである。そうでない輩は「親日派」「売国奴」として、糾弾され、社会的に抹殺される。

 慰安婦に関する著書の記述に難癖をつけられ、民事訴訟に巻き込まれ、刑事告訴までされた朴裕河(パク・ユハ)世宗大学校教授の事例はその典型である。付け加えていうと、韓国社会では「日本政府は慰安婦の存在自体を認めていない」「日本は元慰安婦女性に対し謝罪も補償もまったくしていない」などといった事実無根の風説が広く信じられており、さらに「日本軍が元慰安婦女性を直接強制連行した」という根拠のない主張までも、いまだ事実として信じられている。