小島卓(ジャーナリスト)

 「牛」の保護をめぐってインドが大きく揺れている。経済発展で食の多様性が増し、食用牛の需要が高まる一方で、ヒンドゥー教原理主義団体などが行政に「愛国」的な圧力をかける。おかげで今年に入って、牛の食肉解体を全面禁止したり、特定の祭の期間にすべての食肉販売を禁止するなど、州政府レベルで法規制が軒並み強化されている。

 その発端はマハラシュトラ州政府で20年前に州法制定しながら中央政府がこれまで施行認可をしなかった、修正「動物保護法」を今年3月、大統領府が認めたからだ。これによりインド最大の商都ムンバイを有する同州ですべての牛の食肉解体が禁止となった。
(iStock)
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 さらに9月から年末にかけてインドは様々な宗教の大祭が相次ぎ「祭りの季節」を迎える。それに合わせて牛以外の食肉規制もこれまで以上に強化されそうだ。例えばこの9月半ばには(厳格な菜食主義が基本の)ジャイナ教徒の大祭期間中、北西部の4つの州政府がすべての食肉販売(鶏卵と魚は除く)を禁止した。

 こうした食肉規制で最も窮地に陥るのがイスラム教徒だ。イスラム料理には食肉が不可欠だ。豚肉は食べないし、牛肉は必ずしも重要ではない。むしろ羊肉と鶏肉が料理に欠かせない。ところが聖なる牛でもない他の肉にも「動物保護」を名目に規制が強化されている。しかも、インドの食肉解体業者にはイスラム教徒が多い。食肉規制で生業そのものが危機に陥りかねないわけだ。

 9月半ばには「聖なる牛」の保護派が暴走し、デリー近郊の村でイスラム教徒が食牛の濡れ衣を着せられ村民たちに殺された。この集団リンチ殺人ではスマホを通じたSNS上の噂が発端となっているようで、「牛を守るために人が殺される」という悲劇を生んだ。目下、インドで進む牛や食肉を禁じる流れで一番問題なのは、政治的な扇動が色濃いことだ。伝統は伝統で守るべきだが、それがいつのまにイスラム教徒への憎しみにすり替えられる。それを政権政党の下部組織であるRSS(民族義勇団)などが中心となって行っているからだ。

 インドは家畜数で世界最大の国であると同時に、水牛の食肉輸出では2014年にヴェトナムを抜いて世界最大輸出国となっている。水牛肉の年間輸出額は40億ドル超。いまやコメを抜いてインド最大の輸出農産品だ。人口の約7割を占めるヒンドゥー教徒にとって牛と水牛は宗教的には別物だが、その四肢で田畑を耕し、荷物を運び、乳で健康を恵み、糞は炊事の燃料を作ってくれる家畜としては牛も水牛も同じである。

 「聖なる牛」の保護がいつのまにかイスラム教徒への弾圧にすり替えられる昨今の牛様騒動を現地メディアは「牛肉のジハード(聖戦)」と呼ぶ。「寛容と非暴力を美徳とし、多様性と世俗主義(セキュラリズム)を国是とするインド社会の劣化」と批判する市民の声も少なくない。