古田博司(筑波大学教授)
 昭和28(1953)年生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。下関市立大学助教授などを経て、現在、筑波大学大学院人文社会科学研究科教授。韓国滞在が長く、朝鮮半島の研究者として著名。文明論や思想についても論考を多数発表しており、本誌で「近代以後」を連載中。著書に『日本文明圏の覚醒』(筑摩書房)、『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国』(ワック)、『ヨーロッパ思想を読み解く』(ちくま新書)など。

朝貢とはゴネとたかりである

 今回正論編集部から現在の韓国問題が旬だから書いてくれとの依頼があった。そこで歴史的な経緯をどこまで遡るべきか、悩んだのである。戦後の朝鮮研究は、共産主義者の左翼や社会主義のほうが資本主義よりも「自由」だと思い込んだ、自由主義者に非ざる日米版リベラリストたちにより大きな制約を受けてきた。

 朝鮮半島は、清のヌルハチの息子が奉天(現・瀋陽)から軍を発して一週間余りでソウルを落とせるほど平坦な、いわば廊下である。この廊下を満州から切り離し、そこに自立性を見出すことに彼らは躍起になったのだった。そしてその自立性を帝国日本が奪ったのだと喧伝した。

 だが、廊下は廊下であるから、異民族の侵入に抗することができない。歴代の王は逃亡する。李朝では、海沿いの江華島に逃亡用の王宮までしつらえられていた。このような国では、まともな国家運営はできない。国内では宮廷派閥闘争と粗放な古代経済ばかりが繰り返された。そして貨幣流通の企図はその都度挫折したのだった。

 満州には、モンゴル系の部族とジュシェン(女真)系の部族がいた。それらはいくつかの小部族に分かれており、そのうちの或る者たちは朝鮮と同じようにシナに朝貢した。別にシナを慕って朝貢するわけではない。行くと、シナ側から金銀、絹布、薬材、香料、針、衣服などの高価な賜い物があるから行くのである。これを賞賜とか回賜とか言っていた。これを国に持って帰って売るわけである。

 朝貢使節の人数分くれるので人数を水増しし、それがばれて戦争になることがあった。明の正統年間にはモンゴル系のオイラト族がこれをやり、両者緊張してオイラトは明に侵入し、保安の近くの土木堡でぶつかって、あろうことか明帝の英宗が捕まってしまった。これをシナの歴史では、シナにとってあり得べからざる変事として、「土木の変」(1449年)という。

 この戦いでは李朝は軍馬として3万匹を明から要求されたが、ゴネて負けてもらった。援軍をよこせと言われたが、倭寇が侵入するのを明の代わりに塀となって防いでいると言い訳しゴマかして、行かなかった。こういうのをシナと朝鮮の宗藩関係とか、臣従関係とかいう。

 結局オイラトは朝鮮に南下してこなかったからよかったものの、ここを貫かれれば、今度は朝鮮を橋頭堡にしてシナ全土への征服戦が始まるのである。これをやったのが、清のヌルハチとその息子だった。廊下としての朝鮮は、シナにとっての地政学上の弱点なのである。だからシナは朝鮮とワンセットで北方異民族に対するが、朝鮮はごねたりゴマかしたりして、自己のダメージを最小限にすべく努めるわけだ。

女や軍馬を強制される伝統

 満州の遼陽には明の派出の軍政府があった。李朝はここを通じて、北辺の衞りに馬1万匹とか、処女(若い娘の意)3千人とかを要求される。馬はモンゴルに征服された時代に、済州島を丸ごと馬牧場にされたため、朝鮮には馬が豊富だと思い込まれ、後世も要求された。すぐ凍死するので頭数も多い。処女何千人というのは、モンゴル時代に高麗人の下女が大都の貴族家庭で大人気だったので、これもシナの思い込みを払拭できなかったのかもしれない。これが「従軍」慰安婦の韓国発「強制性」の起源だろうか。

 遼陽の軍政府を通じて、李朝は年3回の朝貢使節と随時のそれを遼陽ルートで送った。それ以外にも、北方民族の動きやシナの王族争いの貴重な情報源として、適宜官吏を遼陽に送っていた。ここには降伏したジュシェン人たちの居住区もあった。

 17世紀になって、ジュシェン系の勢力が伸長した。ジュシェン人は遊牧民のモンゴル人と異なり、定住農耕もする狩猟民だった。明人が毎年ジュシェンの地を侵し、銀を掘り、高麗人参を採り、木を伐り、松の実、きのこ、キクラゲ、川真珠を取っていくので、越境した明人を見つけ次第殺していた。

 ついにヌルハチは怒りを発した。「明は天下の国の中で自分の国が主であるというのだ。主であればすべての国に悉く主であるはずだ。どうして我ひとりだけに主であらうか」(満文老トウ研究会『満文老トウI』東洋文庫、47頁)。今風に言えば中華思想に対する憤怒であろうか。ジュシェン・モンゴル連合軍に対し、明は李朝に援軍を要請した。李朝はこの度はゴマかせなかった。

 撫順近郊のサルフで、両軍は激突した。朝鮮兵は敵の勇猛さに恐れをなすと旗をみな隠して、「我が朝鮮はこの戦争に好んで参加したのではない」(同、133頁)と、命乞いし、明兵をみな捕へて山の下に転がした。ジュシェン軍は1625年、ついに遼東を占領した。

最終独立兵器はゴネ・からみ・ツッパリ

 ヌルハチが没すると、子のホンタイジがハンとなった。彼の賢さはまず朝鮮を討ったことである。国境の義州城を落とすと、そのまま軍を江華島に送り、すでにここの王宮に逃げこんでいた朝鮮王を囲んだ。武将が泥人形のように固まった王を見て、彼のハンに対するかつての無礼をなじると、王は「我は知らない。我らの諸大臣が言ったことである」(同・、48頁)と家臣のせいにした。
 その後、朝鮮に軍資金として金、銀、角(薬材)を供出させようとすると、「我が国の産物ではない」と言って、十分の一だけ払ってきた。使者を送り、ジュシェンとモンゴルの諸王たちの親書を渡そうとしたが受け取らなかった。これは2年前の8月23日、李明博前韓国大統領の竹島上陸や天皇陛下への謝罪要求に遺憾の意を表明した、野田佳彦前首相の親書を拒否した非礼を彷彿とさせる。このあたりから、韓国は中国を頼みにし、日本を侮辱し始めたことが分かるだろう。

 さて、王宮で監視下に置かれたジュシェンの使者は馬を奪って脱出するが、途中、朝鮮王の使者に出会う。王が辺境の警備軍に発した勅書を持っていた。そこには、こうあった。ジュシェンは分を越えて尊大で、我らに密かに書をよこした、と。そして「強弱存亡の形勢を計らず、正義をもって断絶し、書を受け取らず断乎として拒否した」(同・、九七〇頁)とも書かれていた。かくしてホンタイジは第二次朝鮮征伐を決意するのであった。無人の荒野を行くがごとくの快走でソウルを落とし、逃げた王を追って南漢山城を包囲すると、朝鮮側はあっけなく降伏した。

東洋的専制圏の極東「韓国」


 民族の行動様式は繰り返されるという前提でざっと朝鮮史をさらってみたのだが、こういうのは左翼やリベラリストの概説書には絶対出てこないので、読者には新鮮に映るのではないだろうか。戦前には、このように満州と朝鮮は一体で研究され、「満鮮史」として高いレベルを有していた。最近ようやく荷見守義『明代遼東と朝鮮』(2014年)などの良書が刊行され、満鮮史研究はふたたび東洋史の側から始められている。おそらく朝鮮史研究者は東洋史研究者ほどには漢文ができないし、弟子もうまく育っていないので、将来的には消え去る運命にあるのではないかと危惧される。

 もっと問題なのは韓国のほうである。日本の左翼・リベラリストの自立史観から発展した自己中心史観で教育されるものだから、歴史的個性から無意識に出てくる行動様式と歴史観がちぐはぐになってしまい、自分たちの姿が全く見えなくなっているのである。ゴネ・たかり・からみ・ツッパリ・人のせい・イガンヂルなどの卑劣DNAが、自分たちの独立を守ってきたのだという自覚のないまま、無意識で拙劣なことを海外に露呈し続けるわけである。繰り返し言うが、朝鮮半島は廊下であり、まともな国家が存立できる基盤を欠いている。独立は常に卑劣なる手段により全うされてきたのであった。あまりに卑劣なので元明交替期には、明ですら李朝が秘かにモンゴルと通じているのではないかと疑っていたほどである。

 ここにもう一つの要素が加わる。今度は、この連載の二回目で詳述した、ユーラシア大陸の極西から極東に及ぶ、圏(zone)の問題だ。具体的には、ロシア・中国・北朝鮮・韓国がこれに含まれる。

 これらの地域は歴史上、独立採算制の地域分業、すなわち封建制を経験したことがない。分業がうまくできない地域なのである。もちろんインドは、カーストという分業をしているからこれらの圏には含まれないし、日本も神道の神様まで分業しているくらいの分業得意国である。では、分業がうまくできない国とは、どのような国なのだろうか。分業は仕事を分割して人にまかせるということだから、できないことには信頼関係が生まれない。信頼関係が生まれないから、約束関係も契約関係もダメだ、ということになる。

分業がダメな東洋的専制体制

 結果として社会的な信頼関係や契約関係が育つことがなく、凝集力を欠いた社会の上に専制集団が派閥をもって君臨し、その不断の闘争による政権交替のみが腐敗緩和の浄化装置となっているというのが、この地域の特徴ということになるだろう。私はこれを東洋的専制圏(A Zone of The Oriental Despotism)と称している。

 民衆は「長いものには巻かれろ」式に専制集団や独裁者に従い、経済・政治の責任ある主体であることを自ら好んで回避する。統治形態は王朝国家、征服王朝、独裁国家、強権政体を歴史上繰り返してきた。

 社会的に信頼性や契約性が育たないため、国内の規範・法のみならず、国際的なルールにも進んで従うことができず、自己中心的な価値観で無謀な行動をとりやすい。自己中心的な価値観は他の価値観や社会の多様な言論の存在を許さないが、その不寛容性が却って、彼らの社会的凝集力となってしまっている。そのような圏である。
 もちろん圏としてでなければ、その諸特徴をもつ組織は他の国にも生まれる可能性がある。日本で言えば、戦時中の軍部や戦後のマスコミの一部など。学歴エリートの専制的幹部と、信賞必罰なしにラインを上昇するヒラメ体質の部下たち、自己保存と出世欲だけの社員が集まれば東洋的専制体制に限りなく近くなる。なぜそうなるのか、私は海の向こうの東洋的専制圏との共鳴、あるいはそこから伝統的な知識を借りるという、アジア主義の深い影響を挙げたくなる。中華思想や華夷秩序がその核になっているのだということは、本連載でも繰り返し述べてきた。

産経新聞支局長言論弾圧事件

 さて、ここまで来て産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長が、朴槿恵韓国大統領の名誉を毀損したとして、情報通信網法違反の罪で在宅起訴された事件を取り上げてみたい。
 加藤記者は4月に起きたセウォル号沈没事故に関連するコラムを書き、8月3日の産経新聞電子版に掲載された。コラムは沈没事故の当日に朴大統領が事故の報告を受けてから本部に顔を見せるまで「空白の7時間」があったことに触れ、韓国紙のコラムを引用しながら、朴大統領の男関係のうわさを証券街の関係筋の話として紹介した。(毎日社説、10月10日付)

 産経への捜査は、市民団体による8月6日の告発が発端だが、翌七日に青瓦台の広報首席秘書が「民事、刑事上の責任を最後まで問う」と発言し、同8日にはソウル中央地検が出頭を求める素早さだった。(東京新聞、10月9日付)

 朴大統領は、すでに捜査が始まっていた9月16日、「国民を代表する大統領に対するぼうとく的な発言も度を越している」などと発言し、その2日後、最高検察庁はネット上に虚偽事実を広める犯罪への対応を強化し、ソウル中央地検に専従捜査チームを設けて徹底的に捜査すると発表した。(朝日新聞、10月10日付)

 検察がネット監視強化を打ち出すと、韓国で広く普及している無料チャットアプリ「カカオトーク」の利用者の一部に不安が広がり、セキュリティー機能が高く評価されるドイツのアプリ「テレグラム」へ乗り換える、いわゆる「サイバー亡命」が続出し、10月初旬の一週間だけで150万人が亡命する。危機感を抱いたカカオトークの運営会社は、捜査機関に通信内容を渡すようにという裁判所の令状に基づく命令に協力したことを認めた。(毎日新聞、10月10日付)

 国内法で外国人特派員の国外での言論を弾圧するという異様な挙に、日本新聞協会、ソウル外信記者クラブ、日本外国特派員協会、国境なき記者団、日本ペンクラブなどが次々と懸念と憂慮を表明し、米紙ニューヨーク・タイムズは朴政権の光州ビエンナーレへの介入を取り上げ、表現の自由の弾圧を行っているという画家の言を紹介した。
 米国務省のサキ報道官は8日の記者会見で、「我々は言論と表現の自由を誇りをもって支持する」と、暗に朴政権を批判した。11日には、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が朴政権の政治的意図を挙げ、韓国側を明瞭に批判した。

韓国司法の分業失敗

 この事件の背後には、まず韓国司法の分業の失敗が存在する。韓国法院(最高裁判所)の下に、1988年違憲審査を行う憲法裁判所が設立されたが、2004年に、盧武鉉元大統領が国会の3分の2以上の賛成で弾劾訴追されたとき、憲法裁判所が違憲判決を出すことにより盧氏を救った。これより政治家は憲法裁に持ちこんで生き残りを図り、憲法裁は違憲判決を出すことにより政治的な勢力を拡大するようになってしまった。2011年8月、「従軍」慰安婦の損害賠償請求を政府が支援しないのは違憲だとする判決は、李明博大統領をさらなる反日へと追いつめた。他方、検察を統御する法院は2013年、憲法裁判所に対抗し、日本企業に戦時徴用工への個人賠償を認める判決を出した。検察と憲法裁が分業することなく、互いの専制権力を求めて暴走を始めたのである。司法の場で、専制集団が派閥をもって君臨し、その不断の闘争で法治主義を危機に陥れる事態となった。

 第二に、ではなぜ産経は狙い撃ちにされたのか。産経新聞の一面コラム「産経抄」(10月4日付)は、「かねて慰安婦問題の真相究明に努めてきた小紙を韓国が狙い撃ちにしたのではないか、という論評すらある。漢江の奇跡をなし遂げた偉大な父の娘である大統領がそんな狭量ではあるまい、と抄子は信じて疑わぬが」と、控えめに語ったが、はっきり産経の狙い撃ちであり、娘は狭量だと言わねばならない。

 周知のように韓国は戦時中、日本の対戦国でもなければ戦勝国でもなかった。米軍の進駐により棚ボタ式に独立を得た彼らには、国家の正統性がない。北朝鮮の金日成は中国の軍隊の一司令官で命からがら極東ソ連領に逃れたが、それでも独立戦争を一応戦ったという正統性がある。他方、南の方では、レンガ工場などに潜んでいた共産主義者は戦後北に渡り、金日成に粛清された。

 上海に逃げて中国国民党の食客になっていた大韓民国臨時政府は民族主義者と共産主義者の混成集団で、頭目の李承晩は二年で追放され、副頭目の李東輝は辞任したが、コミンテルンからの資金を独り占めし、テロリストの金九の私兵だった光復軍は、ミャンマーの英軍に日本人捕虜の通訳として八名派遣しただけで終戦を迎え、臨時政府は現地で瓦解したのだった。誰も戦っていないので、戦後の韓国では卑劣な爆弾魔を英雄にするしかなかった。

 歴史上、長らくイングランド総督府に抗したアイルランドにもテロリストはいたが、彼らは英雄の栄誉にはあずかってはいない。韓国が卑劣なテロリストを英雄にできるのは、卑劣行為への国内基準が国際基準よりもはるかに低いからである。

 文化水準がずっと上のシナの横に控え、武力が糅てて逞しい北方異民族を北にこらえて、袋型の廊下に芥のように溜まってしまった民族に、卑劣という戦術をやめろというには無理がある。国家の正統性が卑劣行為により捏造されるという誘惑に彼らが勝てるはずはなかったのである。

 それでも韓国が法治国家、民主主義国家にでもなれれば、それなりに正統性が担保できるはずだったのだが、前述のように、それもままならないことになってしまった。

南北で最終独立兵器が作動

 それゆえ、日本を悪者にし続けて、それと戦ってきたという正統性の偽史が韓国にはぜひとも必要だった。したがって慰安婦問題の真相究明に努めてきた産経新聞のスクープと、慰安婦誤報放置への朝日新聞の謝罪は、朴槿恵大統領には政権の正統性を揺るがしかねない大地震なのである。この動揺は、北朝鮮の正統性を欽慕する韓国左翼政党や労働組合、教職員組合などの左翼勢力にとって、これまで強権で押し切ってきた朴政権攻撃への狼煙となるやも知れなかった。

 この独立の危機に臨んで、日本に対するゴネ・からみ・ツッパリという最終独立兵器が作動する。ジュシェンに対し李朝の王が「強弱存亡の形勢を計らず、正義をもって断絶し、書を受け取らず断乎として拒否した」と、あくまでも突っ張ったのと類似である。「慰安婦問題から始めないならば、悪者の日本なんか相手にしてやらないぞ」と、廊下半分の主である朴槿恵大統領は専制君主のごとく自らを偽装した。時同じくして中国に原油を止められじり貧状態となった北朝鮮は、「身代金を払わなければ帰してやらないぞ。日本がまず誠意を見せなければならない」と、ゴネとたかりの最終独立兵器をちらつかせた。

 日本人にはもう分かっているのだ。彼らは東洋的専制圏のダークサイドに落ちる。卑劣な最終独立兵器の作動は、彼らの最期と魚爛の如き未来をはからずも予言しているといえるだろう。