佐伯順子(同志社大大学院教授、女性文化史研究家)

 連日、様々な話題で多彩なコメンテータが意見をのべあう、ワイドショー。「ワイドショー」とは和製英語であり、文字どおり社会の話題をワイドに扱う番組として、芸能人のスキャンダルから深刻な社会、政治問題まで、まさに「ワイド」な守備範囲をほこる。

 かつて、ワイドショーで取り扱った情報が深刻な事件の契機となった疑いが生じた反省から、一時期はワイドショーに自粛ムードが流れたこともあったが、その後復活し、各局の番組のなかで欠かせない位置を占める現状である。そのときそのときの話題のニュースを軸にして、キャスターの仕切りでコメンテータが発言するという番組の構造は基本的に同じであり、各局通じて、平日には類似のワイドショーが組まれており、ワイドショーの占める放送時間は、物理的にも大きい。

 平日の日中は、基本的に仕事中の女性や男性は視聴しにくいので、現状のオーディエンスの中心としては、自由業や主婦、主夫の方が想定される。それゆえに、「女子供」(この表現自体が女性と子供を甘くみる偏見を含んでいるが)向けの情報と低くみられかねないが、確かに「そこまで本気で公共のメディアで時間を使うべきものですか?」という話題について無駄に議論する例も少なくない。タレントの不倫問題について、延々と議論するのは最たる例である。

 最近の例でいえば、日馬富士の暴行問題が一様に注目のテーマであった。国技として社会的な注目度も高い相撲界で起こった出来事だけに、ワイドショーが盛り上がるのも理解はできるが、どの局も同じような映像を使い、相撲ジャーナリストとタレントの組み合わせという、類似のメンバーで横並びの情報を流すことに果たして意義があるのかはオーディエンスの多くが疑問に思うところであろう。
報道陣に囲まれる貴乃花親方=2017年11月、東京都江東区
報道陣に囲まれる貴乃花親方=2017年11月、東京都江東区
 ただ、ワイドショーの存在自体が無意味かというと、そうとは言いきれない。現在の多様化したメディアにおいては、かつては録画しなければその場限りの言動で消えて行った司会者やコメンテーターの発言が、ネット上に記事として再掲され、放送時間にテレビの前に座っていなくても、ワイドショーでの議論に接することができ、記録にも残るようになった。

 つまり、ワイドショーの司会者やコメンテーターが「オピニオンリーダー的な位置づけ」で扱われる現象が、ネット環境の発達により高まっているのだ。ワイドショーをみているのは「どうせ女子供」という前提は通用しなくなり、より幅広い一般市民、老若男女に、ワイドショーの議論が影響を与える可能性が増えたのである。

 また、ワイドショーには、専門家やジャーナリストを中心に構成される夕方から深夜にかけてのニュース番組にはない特徴がある。コメンテーターの顔ぶれには、市民目線を意識したいわゆる「ど素人」的なメンバーも含まれるので、コメントは玉石混交ではあるが、時に素人ならではの新鮮な疑問が飛び出し、いわゆる学識経験者らによる真面目な大新聞の社説よりも的を射た意見だと納得させられる場合もある。