「われわれは知らず知らずに心の中で魔女裁判を行っているのではないか?」。このようなことを書くと毎度出てくるのが、安倍擁護をしているという批判である。経済政策や安全保障を含めて重大な問題がある中で、あくまで責任が全く明示されていない問題に過度にこだわることの愚かさを指摘しているのである。朝日新聞や毎日新聞に代表されるような無責任なマスコミの報道姿勢を追及することは、政権の政策ベースでの批判と矛盾することはない。実際に安倍政権の経済政策だけでも、前回の論考で消費税増税シフトを批判したように問題はある。報道によってミスリードされている世論の「魔女裁判」的状況の解消を願っているだけなのである。
2017年11月、参院予算委で答弁する安倍首相
2017年11月、参院予算委で答弁する安倍首相
 このようなマスコミの無責任な報道姿勢は、森友学園問題だけではない。朝日新聞がいまでも自社の誇り、もしくは売りにしているものに「天声人語」がある。いまでも入試のための必読アイテムだとか、文章の見本などと宣伝されていることがある。実際にはそんなものではない。

 日本銀行の岩田規久男副総裁はかつて『福澤諭吉に学ぶ思考の技術』(2011年、東洋経済新報社)の中で、天声人語はいったい何が議論の本位なのか明示することなく、それを明示したとしても十分に論じることもなく終わってしまう悪い文章であると批判していた。まさに同意である。今回の森友学園問題も、いったい何が具体的な問題なのかわからないまま、「忖度」という議論になりえないものを延々と十分に論じることなく、一方だけの発言を恣意(しい)的に垂れ流していく。そのような朝日の報道姿勢が、そのメーン商品である天声人語にも明瞭だというのが、岩田氏の批判からもわかる。

 岩田氏は、当時話題になっていた大相撲力士の野球賭博問題を絡めて以下のように書いている。

 多くの日本人の責任の取り方は、福澤(諭吉)の言うように自己責任を原則とする個人主義とはかなり異なっている。自己責任を原則とすれば、裁くべきは法に照らした罪であり、世間が騒ぐ程度に応じて罪が変わるわけではない。メディアは力士が野球賭博をすると大騒ぎするが、普通の企業の社員がしても記事にもしないであろう。しかし、どちらも法を犯した罪は同じであるから、メディアがとりたてる程度で罪の重さが変わるわけではなく、同じように自己責任をとるべきである。

 つまり法によらずに、メディアが「罪」をつくり出す風土にこそ現代日本の病理がある。