もともと「交戦権否認」は、アメリカ合衆国の伝統的な外交政策にそったものだ。伝統的にモンロードクトリンにもとづく外交政策を標榜(ひょうぼう)していたアメリカは、ヨーロッパ「旧世界」の権力政治を「新世界」に持ち込む動きを強く警戒していた。ヨーロッパ列強は「戦時国際法」の存在を主張し、交戦国には中立国の船舶などを臨検したり、攻撃したりしてもやむをえない交戦国としての権利があるということを主張していた。これを否定したのがアメリカである。ウッドロー・ウィルソン大統領が、度重なる中立国アメリカの船舶に対する攻撃に対抗するために第一次世界大戦への参戦を決めたのは、国際法秩序観に関する争いも背景にあった。第一次世界大戦と第二次世界大戦を勝ち抜いて、いずれの場合でも戦後国際秩序の構築を主導したアメリカは、武力行使の一般的違法化を確立し、例外を自衛権と集団安全保障だけに限定した。一貫して、「交戦権」否認の政策を取り続けていたのが、自国の独立宣言や合衆国憲法、及び自国が主導して起草した大西洋憲章や国連憲章を参考にして、日本国憲法を起草したアメリカ人たちであった。

 二つの世界大戦を勝ち抜いたアメリカの主導で作り出された現代国際法は、「交戦権否認」を基本的なドクトリンとしている。日本だけでなく、世界の諸国のすべてが、「交戦権」なる実定法的根拠を欠いた謎の権利を主張することはないのである。

 このような明白な事実は、「八月革命」(ポツダム宣言受諾は主権者国民による革命だった)を基盤として、いわばウソと矛盾の上に構築された戦後日本憲法学の枠組みを所与のものとして世界を見るときにのみ、わからなくなってくる。そのときにのみ初めて、現実のほうがうそと矛盾があるように思えてくる。

 そもそも国連憲章2条4項で、武力行使が一般的に違法化されている法秩序においては、「交戦権」なるものが認められる余地はない。現代国際法において、武力行使の合法性をめぐる問題は、自衛権と集団安全保障の議論に還元される。

南スーダン・ジュバのPKO司令部周辺で、道路を補修する陸上自衛隊の隊員=2016年3月
南スーダン・ジュバのPKO司令部周辺で、道路を補修する陸上自衛隊の隊員=2016年3月
 倉持氏は「交戦権」なる権利があると考えないと、ミサイル迎撃をすることはできないし、国連平和維持活動(PKO)で防衛行動もとれないと主張する。だが、実際には、武力行使の際に必要なのは、自衛権または集団的安全保障にもとづく正当化事由である。「交戦権」などという謎の権利は、関係がない。

 もともと現代世界の武力紛争のほとんどは国家間の戦争などではない。内戦及び内戦が国際化した戦争が、ほぼすべてである。そうした現状をふまえて、現代国際法が関心を持つのは、武力紛争が発生している状態の有無である。「交戦権」なる謎の権利の行使の有無などではない。倉持氏の議論は、憲法の基本書で国際法を説明しているという点で的外れであるだけでなく、国際社会の現況をふまえた現実感覚から見ても、的外れである。

 政府解釈にも、憲法学に影響されて、不必要に「交戦権否認」を歪曲(わいきょく)しているところがある。交戦相手が「国または国に準ずる組織」であるかどうかにこだわるところなどは、おかしな「交戦権」解釈によるものだ。9条1項の内容と重複があると落ち着かない、などといった理由で「交戦権」を「交戦者(belligerents)が持つ権利」などと解釈する離れ業を行ったりもしてきた。