岩佐善哉(酒詩歌研究家)

 あと2日、26日になると、小説『夫婦善哉(めおとぜんざい)』で知られる大阪出身の作家、織田作之助(1913~47年)が生まれてちょうど100年の日を迎える。作之助については、その妻、一枝さんが記していた昭和16年と18年の家計簿が大阪府立中之島図書館の織田文庫に収められており、調べたことがある。

織田作之助
 この家計簿を調べていくうちに、掛け買いしている書籍類の一覧のうち、16年10月に競馬雑誌が12冊記されていることに驚いた。さらに春と秋の競馬シーズンである4、10、11月の月末の空きスペースに、日付とプラスマイナスの記号付きの不思議な数字が列挙されていることに気づいた。もしや、阪神や京都の競馬場に出かけていた作之助の賭け馬の損得が記帳されているのではないかと閃(ひらめ)いた。

 早速、その日付の曜日を調べたところ、当時競馬が開催されていた金曜、土曜、日曜であることが判明。10月という記載から、すぐさま京都競馬場でのビッグレース、菊花賞(当時の京都農林省賞典)のことを思い浮かべ、この年の開催日が26日であることが確認できた。しかもセントライトが菊花賞を制し最初の三冠馬となった日である。当日の作之助の馬券戦績はプラス11円50銭と記されている。

 作之助を競馬に引き込んだのは在阪の先輩作家、藤沢桓夫(たけお)で、他に漫才作家の秋田実や長沖一(ながおきまこと)らが競馬仲間であった。新進作家の作之助にとって、文士サークルに加わり、競馬、将棋や麻雀などでも親交できることはうれしかったにちがいない。

 藤沢は作之助の競馬に関して、人気馬で勝負、勝てば大はしゃぎしている姿が印象的で、手堅く勝つことを計算していたようだと記している(『大阪自叙伝』)。65円の給料プラス稿料が入って競馬資金に少々ゆとりがあったとはいえ、当時は規制によって単勝、複勝の20円馬券を一人1枚ずつしか買えなかったのだから、無謀な穴券には手が出せなかったであろう。