佐藤優(作家、元外務省主任分析官)
 昭和35年、東京都渋谷区生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了。60年、外務省にノンキャリアの専門職員として入省。ロシア語を研修で選び、同年5月に欧亜局ソビエト連邦課に配属。62年、モスクワ国立大学言語学部に留学。663年から平成7年までロシアの日本大使館勤務、10年に国際情報局分析第1課主任分析官。21年7月失職。主な著書に「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社刊)、「国家の自縛」(産経新聞出版刊)などがある。 


 APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議出席のために北京を訪れた安倍晋三首相が2014年11月10日、中国の習近平国家主席と会談した。日中首脳会談が行われたのは、2012年5月以来2年6カ月ぶりであり、第2次安倍政権が成立してからは初めてのことだ。しかし、外交は「会えば成功」というほど単純なゲームではない。

領有権問題、事実上認める


 外務省は総花的に会談結果を発表し、今回の首脳会談で尖閣諸島問題をめぐって日本が中国に大幅な譲歩をしたことを隠そうとしている。

 鍵になるのは、会談前の7日前に発表された「4項目の一致点」という外交文書だ。この文書は、秘密裏に準備がなされた。「4項目の一致点」の第2点で、「双方は、尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識」との合意をしたことにより、日本政府は尖閣諸島をめぐる領有権問題の存在を事実上認める道を開いた。これは、日本の中国に対する大幅な譲歩である。日中首脳会談で「4項目の一致点」について首脳レベルで確認したことにより、尖閣諸島をめぐる日本の立場の後退が決定的になった。

 中国側は首脳会談開催の前提条件として、尖閣諸島の領有権をめぐる係争が日中間に存在することと、安倍首相が靖国神社を参拝しないことの2点を求めていた。首脳会談に前提条件をつけるというのは、外交的に非礼である。同時に中国が、習主席の外交交渉能力に不安を持っているからこのような前提条件をつけたのだ。

歴史問題に一言も触れず


 しかも、事務方が政治的に極めて重要な意味を持つ「4項目の一致点」という外交文書を作成し、それを首脳会談で追認するだけならば、首脳会談は単なる儀式ということになる。外交の慣例に照らし合わせても奇妙な首脳会談だ。<日本側は「会談に前提条件はつけない」との立場で、2点については「譲歩」は受け入れられないとの姿勢は堅持しつつ、中国側と折り合える文言を調整した。

 文書では、中国側が領有権の存在にこだわってきた「尖閣」を明記し、両国間に「異なる見解」があるとする一方、歴史について靖国参拝には一言も触れなかった。日本外務省幹部は「異なる見解」について、「『緊張状態が生じている』にかかっている」とし、尖閣の領有権をめぐるものではないと説明。「日本の立場が後退したとか損なわれたとかは一切ない」と強調した>(11月10日「朝日新聞デジタル」)ということであるが、この朝日新聞の記事の内容は説得力がない。匿名の外務官僚によるプロパガンダ(宣伝)をそのまま報じているだけだ。

 彼我の力関係に鑑みて尖閣問題で日本が譲歩し、その代わり安倍首相の靖国参拝については中国が譲歩したというのが、今回の日中首脳会談における取引の本質だ。外交交渉においては譲歩を余儀なくされるときがある。そういう場合、政府は譲歩した内容と理由を誠実に国民に説明する責任を負う。真実を隠蔽する曖昧な発表は国民を愚弄するものだ。

 11月11日付「産経新聞」は、「主張」(社説)で、<尖閣問題については、中国側が今後、「異なる見解」を根拠に領有権問題の存在を主張してくる可能性があり、警戒を怠るべきではない。関係改善を優先させるあまり、「領土」や「歴史」で中国側の一方的な主張に譲ることがあってはならない>と懸念を表明した。筆者もこの懸念を共有する。

 安倍首相と習主席との間の個人的信頼関係を今回の首脳会談で構築することはできなかった。今後とも、日中両国は、必要に迫られて「取引外交」を繰り返すことになるであろう。