三船恵美(駒澤大法学部教授)

 基本的な人権を求めること、それが中国では「罪」にみなされてしまうのだ。

 勇気をもって中国にとどまり言論活動を続け、非暴力で平和的な民主を勝ち取ろうと訴え続けた劉暁波氏の人生は、投獄や強制労働収容にも折れることなく、民主と自由の理想を追い続けるものだった。世界中で多くの人々が、劉氏の死に哀悼の意を表している。

 中国の権威主義的な統治や専制制度の腐敗を批判して、自由や民主の尊重を求めてきた劉暁波氏が、2017年7月13日午後5時35分、「病死」した。まだ61歳だった。
当局監視下で〝獄中死〟を遂げるまで、妻の劉霞さん(左)の解放を求め続けた劉暁波さん。劉霞さんは法的根拠もなく、今も軟禁下に置かれている(劉氏の家族提供・ロイター=共同)
当局監視下で〝獄中死〟を遂げるまで、妻の劉霞さん(左)の解放を求め続けた劉暁波さん。劉霞さんは法的根拠もなく、今も軟禁下に置かれている(劉氏の家族提供・ロイター=共同)
 「肝臓がんが全身に転移している」と中国当局が6月末に発表してから半月ほどで亡くなった。末期がんと診断されて刑務所から病院へ移送されたということは、中国当局が「中国における民主化闘士のアイコン」である劉暁波氏に、「刑務所での獄死」や「アメリカやドイツの病院でようやく治療されてからの絶命」ではなく、「中国内の病院での病死」で息絶えてほしかったのだろう。

 最期の痩せ細った劉暁波氏の映像は、中国の人権問題に関心を抱く世界の人々に大きな衝撃を与えた。劉氏の耐えた苦しみやつらさを察して有り余るほどだった。劉暁波氏は、1989年の第2次天安門事件以来、威厳のある態度で、中国の自由や民主を訴え続けてきた。自らの良心に基づいて、専制体制の改革や批判を主張して亡くなった人物として、その背景は違うものの、ロシア人女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤ氏や、ロシアの元情報将校であったアレクサンドル・リトビネンコ氏を思い浮かべた人も少なくなかっただろう。

 劉暁波氏は、中国における民主化闘士の象徴的存在として、服役中の2010年にノーベル平和賞を受賞した人物だ。劉氏は、世界人権宣言の公布から60周年目の世界人権デーにあたる08年12月10日に、「08憲章」を公表しようとしていた。しかし、その直前の12月8日、警察に連行されてしまった。劉氏は、09年12月25日の北京市第一中級人民法院(地裁に相当)における判決公判で、国家政権転覆扇動罪で懲役11年、政治権利剥奪2年の実刑判決を言い渡された。翌年2月に上訴が棄却され、判定が確定した。まさに、その年に劉氏は中国民主化運動のアイコンとしてノーベル平和賞を受賞したのである。

 劉氏が出席できなかった授賞式では、受賞者席が空席のままという異例の形で行われた。ネットの規制が厳しい中国で、劉氏の死を悼む人々が椅子の写真を投稿していたのは、このためである。授賞式をめぐっては、式への招待を希望している著名学者や弁護士、人権活動家ら140人以上の出国を中国当局が禁止したことでも話題になった。