平川祐弘(比較文化史家、東京大学名誉教授)
 
 元朝日新聞論説主幹の松山幸雄氏が随筆集『国際派一代』で「基本的に日本がいかに素晴らしい国であるか」を自覚せよと説いた。外国人は日本に滞在すると殆(ほとん)ど誰もが「穏やかな社会」を褒め「治安の良さ」をいい「サービスのすばらしさ」「ストの少なさ」「他者への気配り」「交通機関の時間表厳守」をあげるという。

「愛国殉国」裏返しの戦後


 なんの事(こと)はない、姪(めい)の日本語教師の外国人生徒たちの第一印象とそっくりだ。「来日外国人の日本認識の作文を集めて本にしたら」と姪に忠告したら「そんな当たり前の事を綴(つづ)るだけでは売れない。朝日記者の特色は日本の欠点を論(あげつら)うこと」と生意気を言う。

 それはまあそうだが、姪が名をあげたのが「百人斬り」の本多勝一記者だったから、いくらなんでもそれでは地道に働く報道人に気の毒な気がして「戦後の本多流の刺激的な日本軍残酷物語は戦争中の悲愴(ひそう)な愛国殉国物語の裏返しにすぎない」とたしなめた。

 が、日本を悪く言いたい記者がいるのも事実らしい。日本軍の大陸「侵略」を「進出」と歴史教科書が改訂したとの誤報に端を発して、中韓が反日宣伝攻勢に転じたのは知る人ぞ知る。誤報を素直に訂正しないのが良くない。

 森喜朗氏は「日本は神の国」といって揚げ足をとられた。日本が神道の国であるのは歴史的事実だ。森首相発言を Japan is the country of Shinto gods と訳せば問題はなかった。Japan is a divine country と訳すから内外で右傾化と騒がれる。麻生太郎氏の揚げ足を取った人は得意だろうが、発言を歪(ゆが)めて報じ世界の嫌日派に媚(こ)びるのはいかがなものか。

 こうなると良く言うも悪く言うも記者の筆先次第だ。「日本の良い点をもっと自覚しろ」と唱えれば、「日本の悪い点ももっと認識しろ」と言う人も出る。へそ曲がりの私も同調する。「日本人は東大法学部など最高学府だと思っているが、講義本位の授業はよくない。法学部志望生は理工系ほど頭がよくないが、クラス会に出てみると法学士の方が出世している。良くない」。こう有り体に言えば松山法学士も世間も妙な顔をするに違いない。だがこれは、私が長年文系理系の学生を東大駒場で教えた経験に即して述べたので、遺憾ながら事実だ。困った事だ。

日本の欠点を論う心理とは


 日本の欠点を論う心理も考えたい。漱石も明治34年、ロンドンに着くや自分はダメと思い込んだ。「我々(われわれ)はポツトデの田舎者のアンポンタンの山家猿(やまがざる)のチンチクリンの土氣色の不可思議ナ人間デアルカラ西洋人から馬鹿(ばか)にされるは尤(もっと)もだ」。光太郎も「魂をぬかれた様(よう)にぽかんとして、自分を知らない日本人」と卑下してみせた。

 自信喪失は敗戦で悪化し、日本の負けに乗じて外国礼賛がはやり出した。かつて『リテレール』という仏文系の雑誌が「日本人どこがダメか」という特集を組んだ。日本はダメ、とはよそにダメでない国があると思うから生じる判断で、事実、アンケートに答えた識者の多くは、同じ日本人でも西洋を学んだ自分だけはダメでないと思うからこそ口に出せる類いの日本人批判の回答を寄せていた。

 文化面ではそんなフランス礼賛が長く続いたが、政治面ではソ連や中国など社会主義礼賛が盛んだった。昭和29年、森恭三朝日欧州総局長は共産圏を謳歌(おうか)し、ニューヨークの最高級住宅でも裏側はレンガがむき出しだが、東ベルリンのスターリン大通りでは裏側まで化粧レンガが張ってあり、これは「ここで遊ぶ子供たちが、うわべだけを飾る人間にならないように、という心遣い」からだと書いた。いやはや恐れ入った。

内向け国際派スタイリスト


 外国語が多少読めて外国に傾倒するだけが能の特派員や学者先生の色眼鏡には困ったものだ。また外国語で反論できない程度の言語能力だと本国人に位負けする。日本古典を知らず日本人であることに自信が持てない人は、外国語が達者でも、日本人のアイデンティティーに欠ける。外国のこともよく知る「二本足の人」が日本には必要だ。それというのも、自国しか知らない保守派の日本礼賛はお国自慢でしかないからだ。

 私は「戦後の仕切り直し」に賛成だ。しかしそれが単なる「戦前への復帰」であっては困る。「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ」という『五箇条の御誓文』を、日本の大憲章(マグナ・カルタ)として尊重する私だが、『教育勅語(ちょくご)』の国体観の強がりには無理を感じる。井上毅流の一国主義的愛国主義を私はとらない。

 世界の中の日本をきちんと見据えての自由主義諸国との同盟強化が肝心だ。相手を知り己を知り、外国語で説得力をもって日本を語る能力が求められる。米大手紙が日本について論評するが、その日本知識や判断は正確か。外国語で著述し、偉そうなことを言う相手を論破してこそ大物日本人記者といえるだろう。今のところ日本のインターナショナリストは学者も記者も、概(おおむ)ね国内向け国際派スタイリストでしかないようだ。