2017年12月27日 14:15 公開

ウゴ・バチェガ記者 BBCニュースサンパウロ

マリア(40)が自殺しようと思ったのは、夜も遅くなってから、自室で1人になった時だった。7階の窓から飛び降りて自殺しようと思った。いつものように部屋の扉の向こうで、夜明けから15時間も働き続けた後のことだった。2日もの間、何も食べていなかったので、体に力が入らなかった(文中敬称略)。

マリア(仮名)はこの2カ月前に、フィリピンからブラジルにやって来た。サンパウロの金持ち地域に住む家族に家政婦として雇われた。

雇い主の家族は、マリアにひっきりなしに仕事を与えた。

学校に通う子供3人と赤ちゃんがいたので、育児の手伝いをした。大きな食堂と応接間、個別のバス・トイレ付の寝室が4つある広いマンションの掃除も、マリアの仕事だった。さらに、飼い犬を散歩させて、子供たち全員を寝かしつけるのも彼女の役目だった。

女主人はふだん家にいて、マリアのやることなすこと全てを監視していた。ガラスのテーブルをしっかりきれいにしなかったと、マリアに1時間近くテーブルを磨かせたこともある。マリアがアイロンをかけた服の数を数えて、足りないからと、それから何時間もアイロンがけをさせたこともある。

雇い主は、何週間も休みなしにマリアを働かせた。やることが多すぎて、食事の時間もとれないのはしょっちゅうだった。与えられる食事の量が足りないことさえあった。

自殺を考えた夜、マリアはフィリピンの田舎にいる家族のことを思った。母親と幼い3人の娘たちのことを。娘の2人は心臓病で、特別な薬が必要だ。家族全員が自分の収入に頼っている。マリアは働き続けるしかなかった。なのでベッドを整えて、眠りに着いた。

「世界がぐるぐる回って、私は泣いていた」

マリアは自殺しかけた日のことをこう語る。ブラジルに来るのは夢だった。「ブラジルはいいところだと聞いていたので」。それなのに、なぜここまでひどく扱われるのか理解できなかった。

翌朝起きると、あまりの空腹におなかが痛かった。けれども、すでにその日の仕事は山積みだった。食べ物をやっと見つけたのは数時間後。飼い犬用の肉を調理して、その半分を自分で食べた。

「生き延びるためには、そうするしかなかった」

こうした状況は、マリアに限ったことではない。

ブラジルは世界一、家政婦の多い国で、約600万人のブラジル人が中流・富裕層に雇われている。多くが虐待や偏見にさらされ、政府当局によると現代の奴隷に匹敵するに状況に置かれている。ただし、公式データがないに等しいため、被害者の数を推計するのは難しい。

ブラジルは2013年にようやく、ほかの労働者と同じ権利を家政婦にも与える法律を導入し始めた。1日8時間労働や週最大44時間労働、残業代の支払いの権利などだ。しかし、大半の家政婦はこのような権利を受けられない、非公式な形で働いている。

家政婦の権利が保護されているのは、ブラジルで働きたいと思うポイントのひとつだったとマリアは言う。まともだと自分で思える月給(約6万8000円)も約束され、新しい国を経験する機会を心待ちにしていた。

マリアは優しくて、にこやかな女性だ。ドバイや香港でも住み込みの家政婦として働いた経験があり、これまではなんの問題もなかったので、まさかブラジルで問題が起きるなど想像もしていなかった。

自分の働く環境はこのまま改善しないのだと望みを失った時、マリアは雇い主を問い詰めてみた。

「どうしていつも私にそんな態度をとるのかと聞いてみた」ところ、女主人はマリアがずっと好きになれなかったと、見下すように言い放ったという。

マリアがマンションで一人きりになることはほとんどなかった。しかし、家族が外出した際に玄関を確認すると、鍵がかかっていたことがあった。セキュリティーがしっかりしたマンションなので、玄関に鍵をかけることは異例だった。自分が一人きりの時に限って施錠されたことで、マリアの中で警報が鳴った。

これが転機だった。逃げなくてはと決心した。

翌朝、誰よりも早く起き出した。玄関に鍵はかかってなかったので、家を出た。荷物を持ち出すとマンションの警備員が不審に思い、雇い主に連絡するかもしれないと心配だったので、あえてわざわざ防犯カメラに向かって、おどけて手を振ってみせた。

作戦は成功した。マリアは呼び止められることなく、脱出できた。その時のことを、今でもうれしそうに話す。「運が良かった」と。

何百万ものフィリピン人が海外で働いている。行き先は、近隣のアジア諸国と石油資源に恵まれた中近東諸国が中心だ。しかし虐待事件の多発によって、その境遇が注目されるようになった。

マリアと同じ仲介業者にブラジルの勤め先を紹介された別のフィリピン人家政婦3人も、同じような状況で昨年、仕事を辞めている。

マリアと3人を助けたのは、非政府組織「ミサオ・パズ(平和の使命)」を運営するパオロ・パリーシ神父だ。

「みんな泣いていた。尊厳が破壊されて。あなたは搾取されていると、本人に伝えた」と神父は話した。

マリアと他の3人は、手数料として2000ドル(約22万円)を仲介業者に支払っていた。雇用主は仲介業者に6000ドル(約68万円)とブラジルへの航空代を支払っていた。

しかし、マリアたちが知らされていなかったことがある。ビザ(査証)と仕事が結びついていたのだ。決められた雇い主のもとで決められた仕事をすることが、ビザ発行の条件だった。そのため、働く環境がどれだけひどいか分かっても、辞めて別の仕事を探せばいいという簡単な話ではなかった。新しい就労許可を得るには、いったんブラジルを出る必要があった。

ブラジルの一般家庭による外国人雇用が合法になった2012年末以降、約250人のフィリピン人女性が家政婦としてブラジルで雇われた。フィリピン人家政婦はよく訓練されて英語を話すため、二カ国語の環境で子育てできると、ブラジル人の多くがフィリピン人家政婦を希望しているという。

しかしサンパウロのブラジル労働省調査官、リビア ・フェレイラ氏は、理由はほかにもありそうだと指摘する。

「そもそも搾取することがねらいで、フィリピン人を雇うことにしたのだと思う」とフェレイラ氏は言う。「自分たちの思い通りになるブラジル人がみつからなかったので。(中略)法改正によって家政婦の権利保護が強化され、一部の労働条件を拒否できるようになったので」。

フェレイラ氏の調査チームは、マリアさんと他の3人のフィリピン人家政婦が奴隷のような状態に置かれていたと断定した。ブラジルの法律は、強制労働、劣悪あるいは危険な状況での労働、無給もしくは雇用主への借金返済のための労働を、奴隷のような状況と定義している。

「マリアと3人の労働環境は、約束内容と大違いだった。強制労働をさせられ、過酷な量の労働を繰り返させられていた」とフェレイラ氏は話す。

雇用主の身元は公表されていない。雇用主はコメントもしていない。ブラジルの公選弁護人事務所は雇用主家族と仲介業者に対して、複数の労働訴訟を起こしている。仲介業者は不法行為を否認しているが、求人サービスを中断している。

ブラジルの当局は現在、ほかにも外国人労働者による家事業務をめぐり問題が指摘された180件について、実態を調査中だ。すでに最初の1件目で、労働法違反の内容がいくつか判明している。

ブラジル政府はマリアと他の3人に新しいビザを支給した。マリアは新しい仕事を見つけた。しかし、恐怖から自由になったわけではない。マリアが引っ越したアパートが、2カ月前に何者かに荒らされた。何も盗まれなかったが、マリアは警告だと受け止めた。

マリアの収入の大半は、借金返済に充てられている。ブラジル渡航手配を頼んだ仲介業者の費用を払うため、借金が必要だったからだ。

返済が終わったら、貯金をしたいとマリアは言う。「自分と同じ失敗を重ねないよう」、娘たちを大学に進学させるための学費として。さらには、自分がフィリピンに帰国した際に、起業するための資金として。

しかしとりあえず今のところ、マリアはブラジルでの生活をようやく楽しめるようになった。

「自由を実感している。今は幸せ」

(英語記事 Modern slavery: 'I had to eat the dog's food to survive'