藤井浩人(前美濃加茂市長)

 多くの人が幸せを享受できる現在の世の中を次世代に引き継ぐためには、やるべきことがたくさんあります。一人ひとりの社会への意識を変えることや子供たちへの教育など、現状に満足せず将来に向けて政治家として活動したい。そんな気持ちを原点に政治家を志し、約7年になります。しかし、「冤罪」が平気で生み出される時代であることを、改めて自ら認識し、美濃加茂市長を辞することとなりました。

 事件の内容は、一審からずっと共に闘ってくださった郷原信郎弁護士の著書『青年市長は“司法の闇”と闘った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開』にある通りですので、ここで多くは記しません。

 しかし、やはり現金30万円を2回に分けて、しかもファミリーレストランや大衆居酒屋において第三者がいるにも関わらず「渡した」とするなんの証拠もない作り話を事実だと認定してしまう、なんでもありの警察、検察、裁判所が身近にあるということを、多くの国民のみなさんには知っていただきたい。そしていつか自分や自分の周りの大切な人が冤罪の当事者になってしまう可能性があること、誰も目を向けないと司法を取り巻く環境が変わらないことを考えてもらうために筆を取らせていただきました。

最高裁が上告を棄却し、決定を通知する文書を手に
記者会見する、岐阜県美濃加茂市長の藤井浩人被告
=2017年12月13日(文書の一部を画像加工しています)
 12月14日に市長辞職となり、50日以内に行われる市長選挙に向けて美濃加茂市は動き始めています。今回の辞職にあたっての私の最後の役目は、これまで市民や多くの関係者の人たちと築いてきた美濃加茂市政を滞りなく引き継ぐことだとして、休む間もなく東奔西走しております。

 私は、岐阜県警の警察官の父、パートタイムで働く母に2人の弟を持つ3人兄弟の長男として育てられてきました。幼い頃は駐在所を転々とし、公務員住宅アパートで小学生までを過ごし、美濃加茂市には中学生から暮らしはじめました。政治家という職業には全く関係がない環境で、趣味のサッカーに撃ち込み、地元の高校、理系の大学と進み、就職活動をはじめました。

 そんな最中、学生の間で流行したSNS「mixi」(ミクシィ)や雑誌、テレビの影響を受け、アジア諸国へとバックパッカーに出かけました。

 大阪から船に乗り、安宿と安価なバスや電車を利用しながら、中国、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、タイを約2カ月に渡り移動しました。日本の地方で育ち海外留学等の経験もなかった私は、これまでに見たことのない景色や、触れたことのない生活、活気あふれる人々と交わることができました。おかげで、現在の経済的な豊かさがあっても幸せを実感することのできない日本の価値観、海外の若者たちの目標意識の高さ、東南アジアで暮らす子供たちのハングリーな姿勢と日本に対する羨望のまなざしなど、自分自身の生き方を根本から覆されるような衝撃を受けました。

 当時、学習塾でアルバイトをしていた私は、この自分が感じた衝撃を子供たちに伝えたいという気持ちとなり、居てもたってもいられず、大学院を修士論文を残した状態で辞め、アルバイト先の塾で働かせてもらうことになりました。